◆反政府勢力、シーア派
フセインを支持する者はほとんどおらず、政権はすぐに崩壊した。しかし、連合軍による占領が始まるとすぐに、反政府勢力が勃興した。
フセイン政権下で抑圧されていたシーア派もまた占領軍に対し攻撃を開始し、またシーア派同士でも紛争が起こった。
圧政に対抗するために国民は武器や財産を隠していた。英米軍は、これらを回収しようとしたが、それはイラクに居座るための行為とみなされた。
イラク人がイラン人以上に宗教的であることを、アメリカ人は理解していなかった。イラク国民は反政府勢力に変貌していった。
ラムズフェルドは「ジュリアーニ市長をバグダッド市長にしたらどうか」と言ったが、合衆国は占領統治が失敗しつつあるという現実から逃げ続けていた。
◆占領統治
・ペトレイアス将軍はバース党員を社会復帰させることで治安の安定を目指し、ある程度成功した。しかし、「どの党派とも距離を置く」というかれの戦略は、究極的にはアメリカを孤立させることになると著者は考える。
・ラムズフェルドの言葉「付随的な殺人collateral murder」が多数発生し、無実のイラク人や農家が殺害され、その親族が次々と反政府勢力に変貌した。
・イラク傀儡政府の国旗が、イスラエルとトルコに似ているということでイラク人は激怒した。
・ブッシュとその取り巻きは、都合のよいイラク人指導者を探していたが、そのような人物は存在しなかった。根本的に国民が分裂している点で、イラクはレバノンに似ているという。
・大統領選挙にあわせて大々的なテロリスト掃討がおこなわれたが、結果は事態を悪化させるだけだった。
◆治安の悪化
・自爆テロ、誘拐、強盗殺人、反政府勢力、暗殺
・イラク暫定政府においてシーア派とクルド人が優勢になり、スンニ派の武装闘争は激しくなった。CPAは民主主義を導入しようとしたが、かえってスンニ、シーア、クルドの分裂は深刻化した。
・政治の腐敗……石油の売り上げが横領された。イラク軍の予算は一部の閣僚に盗まれたため、かれらは貧弱な装備と米軍の放出品で戦わなければならなかった。イラク政府は大規模な国家資産の収奪をおこなった。
イラク人たちは暫定政府を「どこの政府なのか」と皮肉った。
・民間軍事会社の導入を拡大することで、英米軍の戦死者は減ったが、戦費は高くなった。詐欺や、ぼったくりの警備について。
・治安の悪化により、米軍は基地から距離のあるトイレを運営することもできなくなった。
・スンニ派は武装勢力を利用しシーア派、クルド人、占領軍を攻撃した。シーア派はイランの支援を得て、内務省治安部隊等を利用し、スンニ派やバース党員を拷問、殺戮した。
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著者のまとめ
・たとえラムズフェルドが十分な戦力を送り込んだとしてもスンニの反乱は避けられなかっただろう。
・ウェリントン公爵の言葉が示すとおり、イラク戦争という「小戦争」は、米国という大きな政府に多大な損害を与えた。米国の中東における地位は低下し、テロの危険は増大した。
・フセインのクウェート侵攻がイラクの能力を超えていたように、ブッシュのイラク侵攻もまた米国の能力を超えていた。
ブッシュのイラク侵攻は、国内政治のための道具でしかなかった。
著者は、(でっちあげの疑いのある)不審な爆弾テロをきっかけに、小戦争を起こし、政権と国家を掌握したプーチンの行動を、類似例としてあげる。
The Occupation: War and Resistance in Iraq
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