副題は"War and resistance in Iraq".
数十年にわたってイラクの取材を続けてきた報道記者コバーンが、イラク戦争後の米軍占領の実態を伝える。
現地からの報告により米国、米軍のお粗末な政策と悲惨なイラクの様子を明らかにする。
イラクの民主化と政権移譲という、米国内向けの公式発表の裏で、イラクは内戦状態に陥っていた。
英米軍による新しい植民地主義との批判を免れるため、諸外国の協力が要請された。日本の派遣活動も、侵略行為の正当化、カモフラージュの一環である。
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◆占領失敗
・イラク占領後、アメリカの楽観的な発表とは逆に、治安は急激に悪化していった。イラク国民は米軍や米大統領の放送を、ナチスドイツの放送を聴取するロンドン市民のような感覚で受け入れていた。
・バグダッドを米軍ヘリが低空飛行するため――反政府勢力が活発になり飛行が危険になったことによる――子供が嫌がっている、というイラク人の苦情に対する米軍准将の回答……「砲声やヘリの音は自由の音だ」。
・爆弾テロや営利誘拐が活発になり、著者の身近にいる記者や活動家が何人も殺害された。
◆分裂・崩壊した国家
・イラクはスンニ派、シーア派、クルド人、各部族、各都市で分裂していた。フセインは軍と秘密警察の力により権力を保持していたが、それでも80年代や、湾岸戦争後に度々反乱がおこっている。
・フセインは誇大妄想にとらわれた独裁者だった。
若者は銃の使い方以外知らず、失業率は7割に上った。国連の経済制裁は、市民の生活を破壊したが、フセイン政権は耐えた。
・イラク人社会は犯罪者、民兵、潜在的犯罪者であふれており、フセインが倒れたとき、いっせいに動き出したのがかれらである。
◆だれがどうやって統治するのか
・スンニ、シーア、クルド、バース党と軍の傀儡等、勢力は分裂しており、民主主義が成立するのは不可能だった。実際、政党同士は後に殺し合いを始めた。
・米国は楽観主義と傲慢に冒されており、イスラムに宗派があることさえ知らない大統領の下、フセイン打倒も体制変革もすべてうまくいくと考えていた。
・イラクの指導者たちは、米国の占領統治は間違いなくうまくいかないだろうと確信していた。
◆クルド人
米国がイラク侵攻の際に現地支援勢力としたのがクルド人である。
著者はクルド人勢力、居住地域の現状に詳しい。クルド内部ではKDPとPUKの紛争があり、またクルド人はフセイン以上にトルコに対して敵対的である。
対イラクの観点から、イランは伝統的にクルドを支援してきた。
クルド人は米軍のフセイン打倒を、自分たちの独立の好機とみなしていた。トルコが議決により参戦を拒否したこともクルド人にとっては良い結果におもわれた。
クルド人の居住区、または多数の都市……キルクーク、モスル、アルビル、スレイマニヤ。
◆イラク戦争の勝利
イラク軍の士気は総じて低く、精鋭部隊もすぐに武器や戦車を置いて逃げだした。イラクは、フセインとその取り巻き以外だれも支持しない国となっていた。
その後の占領が始まると間もなく、イラク社会の状況は悪化していった。
・多数のバース党員が追放されたため、教師、医師等公務員が多数失業しインフラが停止した。また、軍の解体は大規模な失業者を生んだ。
・強盗や泥棒が急激にはびこり、クルド人武装集団による攻撃も始まった。米軍は掠奪を見ても反応せず、治安維持の意志・能力ともに欠けていた。
・グリーンゾーン内のCPA(連合国暫定当局)ブレマー代表は、希望的、楽観的な声明を繰り返していたが、バグダッドを含め都市には電力が行き渡らず、水道、下水も不安定となった。
1945年ベルリンと異なり、なぜ占領後インフラが崩壊したのかについては、単純な人員・資金不足、見積もり不足があげられている。
・略奪者や武装強盗たちのことを、イラク人は「ファイナリスト(決勝選手)」と呼んでいた。フセインが対米戦争を「アメリカとの最終決戦」と形容していたためである。
[つづく]
The Occupation: War and Resistance in Iraq
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