うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Black Flags』Joby Warrick その1 ――イラクのアルカイダがISISに引き継がれるまで

ISIS(イスラム国)発祥の経緯をたどる調査の本。

前半はヨルダンの悪党ザルカウィイラクアルカイダを率いてテロを行うまで。後半は、壊滅したイラクアルカイダがシリア内戦を経て再び活性化し、ISISが誕生するまでをたどる。

 

◆所感

  • ヨルダン人のならず者ザルカウィが、ムジャヒディンから国際テロリストに変貌していく軌跡は、『The Looming Tower』などで描かれているビン・ラディンにも通じるものがある。

 

the-cosmological-fort.hatenablog.com

 

  • イスラーム社会は、イスラエルとアラブの対立、過激な神学思想と世俗権力の対立、圧政と失業・貧困など、内部に様々な問題を抱えている。
  • ISISは、ザルカウィが率いたイラクアルカイダと、完全に地続きの組織である。停滞していたテロ集団だったイラクアルカイダは、米軍の撤退とシリアの崩壊を機に拡大を開始した。大人しい神学者だったバグダディを狂信者に変えたのは、米軍の侵略と収容所だった。
  • オバマ政権は就任後、シリアへの大使派遣を再開した。これは、アサド大統領の親欧米派・改革派としての行動を期待してのことだった。
  • シリアにおける民主化デモは当初、アラブの春に影響を受けた住民の自発的行動だった。アメリカは動向を見ていたが、アサドが暴力的鎮圧を始まると、オバマが「アサドは退陣すべき」と発言した。しかし具体的な支援は行わず、やがて過激派が反体制派を乗っ取った。
  • シリア情勢の悪化に際しては、アメリカの消極姿勢が際立っている。これは、巷にいわれる「アメリカの介入が泥沼を招いた」という状況とは反対である。
  • エピローグにおいて、レバノン人ジャーナリストRami Khouriは次のように指摘する。

 

アルカイダイスラム国を生んだ過激化の多くはアラブ諸国の牢獄において発生した。……アメリカ軍の航空機とアラブ諸国の監獄は、アルカイダイスラム国が蔓延するうえで致命的な支点だった。

 

  • アルカイダ構成員やムスリム同胞団といったテロ組織構成員の多くは、かつてエジプトなどの世俗政権によって弾圧され拷問を受けた者たちである。また米軍の収容所はバグダディや過激派たちにリクルート活動の場を提供した。

 


序章

2015年のヨルダンパイロット人質事件と、2005年アンマン自爆テロとの結びつきについて。

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イラクアルカイダザルカウィZarqawiはアンマン自爆テロを引き起こした。その10年後、ISISは、当該自爆テロ犯の生き残りサジド・リシャウィAl-Rishawi容疑者の引き渡しを要求した。

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ザルカウィは元々ヨルダン出身の、高校を中退した無法者で、アフガン聖戦に参加後逮捕され、国外追放された。

2003年、突如アメリカがフセイン政権とザルカウィとを結びつけ(実際は、まったくの無関係)、再び有名になった。イラク戦争後、ザルカウィ率いるイラクアルカイダはインターネットを駆使しテロを繰り広げ、アメリカを泥沼に引きずり込んだ。

ザルカウィビンラディンとは異なり、即時イスラム国家の設立を主張していた。かれの率いる集団はシリアに逃れ、ISと名乗った。

2015年になり、「ザルカウィの子供たち」……ISISがヨルダンに牙をむいた。

 

1章 ザルカウィの出現

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ザルカウィは1990年代、ヨルダン国内のジハード主義・テロリスト組織に属していた。

この組織は貧弱で、とある構成員はポルノ映画館を爆破しようとしたが上映に夢中になり自分の足だけを吹き飛ばした。

ザルカウィは無表情の、粗暴な人間として、組織のトップである導師Maqdisiを補佐した。

ザルカウィは厳格なリーダーとして囚人を統制する一方、母親と姉妹、仲間の病人には極度の親愛を見せた。特に、弱者に対する思いやりが非常に強く、仲間内で邪険に扱われがちな両足のない男(ポルノ映画館の失敗による)を日常的に手助けした。

 

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1999年、ヨルダン国王フセイン1世が死亡し、軍人だった長男のアブドゥッラー2世が跡を継いだ。

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初代ヨルダン国王タラール1世はイスラエルパレスチナ人に暗殺され、フセイン1世は15回の暗殺危機に見舞われた。父フセイン1世はアラーの幸運に恵まれたのか、私生活でもヘリや戦闘機の操縦など危険なものを好んだ。

ヨルダンのハシーム家は代々メッカを守護してきた。第1次世界大戦ではアラブの反乱を主導したが、イギリスに裏切られ、ハシーム家にはヨルダン川東岸の砂漠……トランスヨルダンのみが与えられた。

建国以来、ジハード主義者やパレスチナゲリラなどの敵対者は、ヨルダン王国を西欧による分割統治の道具とみなし、テロや攻撃を繰り返してきた。

 

アブドゥッラー2世即位にともなう恩赦によって、ザルカウィらは釈放されてしまった。しかしザルカウィは、牢獄に残された仲間の様子を見に戻ってきていた。かれには強烈なリーダーシップがあったと刑務所の医官が回想している。

 

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ヨルダン当局は当初、アフガンに行った義勇兵たちを反共の闘士、英米との協調者として見守っていた。ところが、かれらは帰ってくると狂信的イスラム主義者になっていた。

ザルカウィもかつては町の不良に過ぎなかったが、1994年に秘密警察が逮捕したときは、狂信者になっていた。

ザルカウィはジハード英雄になりたがっていた一方で、罪の意識にさいなまれていた。

また狂信者になってからも、未婚女性の家を訪問するなど不可解な行動があったため、監視していた秘密警察は、多重人格ではないかと疑った。

 

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1999年、ザルカウィがヨルダンを一時出国した際、ビンラディンに会いにカンダハルに向かった。

当時FBIから指名手配されていたビンラディンは、代わりに部下のAl-adelを派遣した。

ザルカウィは、アルカイダに参加するにはあまりに頑固で自己主張が強かった。しかしAl-Adelは、レバント地方イスラエル、ヨルダン、パレスチナ)にアルカイダネットワークを構築する上で、ザルカウィが役に立つのではないかと考えた。

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ザルカウィアルカイダから資金援助を受け、アフガニスタン西部、イラン国境近くに軍事訓練キャンプを作った。

911に伴うアメリカの2001年アフガン侵攻では、ザルカウィのキャンプも標的となり、ザルカウィは負傷した。かれらはイランやイラク北部のクルド人地区に逃れた。

かれは現地の組織アンサール・アル・イスラームと協力しつつ、イラクアメリカとの戦場になるだろうと予言した。

https://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ME_N-africa/AI.html

 
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2002年、おそらくザルカウィの指令により、アンマンでアメリカ人外交官が射殺された(ただしザルカウィ本人は否定している)。

イラク侵攻の口実を作るために躍起になっていたチェイニー副大統領らは、フセインアルカイダの結びつきがまだ見つかっていないために、CIAを突き上げていた。

ザルカウィを担当していたCIAの分析官Nada Bakosに対して、指揮系統に反してホワイトハウスから直接電話がかかってきた。

彼女が、ザルカウィアルカイダのメンバーではなく、フセインと連携してもいないと説明すると、相手は次のように言った。

 

だからなんだ? こいつらはみな同じ目標をもっている、だれが気にするものか。

 

フセインの世俗政権と、イスラム主義のアルカイダザルカウィとは本来天敵である。

ブッシュ政権イラク侵攻の理由を探していることは明白であり、そのためにザルカウィフセインが結びついている必要があった。

 

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イラク北部に潜伏しているザルカウィの居場所を、CIAは完全に捕捉していた。その近くではイラクの情報機関も、ザルカウィとアンサール・アル・イスラームを監視していた。現地の工作員Faddisは爆撃を提案したが、イラク戦争を計画中のホワイトハウスはこれを却下した。

パウエル国務長官は、「イラク侵攻によりテロリストネットワークを根絶する」と国連で演説していた。ザルカウィのアジト爆撃は、この開戦根拠を崩すおそれがあった。

 

ブッシュと会談したヨルダン国王アブドゥッラー2世は、イラク戦争が深刻な混乱を引き起こすだろうと確信した。ブッシュは「わたしは在任中フセインから逃げたチキンだと思われたくない」と発言していた。

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フセイン政権がザルカウィをかくまっている、というパウエル国務長官のスピーチは、「クリーヴランド第23代合衆国大統領が、ジェロニモを西部でかくまっている」という言葉と同じくらい現実からかけ離れていた。

ブッシュ政権によるザルカウィ言及は、かれを無名のテロリストからグローバルジハードの英雄に変貌させた。無数の戦闘員が、ザルカウィを追ってアルカイダに加入した。

 

 

2章 イラク

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Nada Bakosは占領下のバグダッドに派遣され、尋問を担当した。

ホワイトハウスは、存在しない証拠――大量破壊兵器アルカイダフセインの結びつき――を見つけようと躍起になっていた。

捕虜になったイラク情報機関の高官は、パレスチナのゲリラについては支援を自白したが、アルカイダザルカウィは全く関係がなく、むしろ敵対していたと供述した。
 

ヨルダン大使館の爆弾テロを皮切りに、バグダードは爆弾テロ(国連施設に対する)や狙撃、IED攻撃に見舞われ、治安が悪化していった。2003年8月には、ブッシュ政権の誰も予想しなかった程度まで事態が悪化していた。

ヨルダン大使館、国連施設、ナジャフNajafのシーア派モスク爆弾テロは、ザルカウィの組織による犯行だと判明した。フセイン政権が崩壊した後、ザルカウィの組織は突如勃興した。

ザルカウィのテロは、米軍統治に協力するアラブ諸国や国際機関を委縮させ、米軍を孤立させた上で、イラクの内戦を扇動するものだった。

ザルカウィによる犯行というCIAのレポートは政権にとって都合が悪かった。それは、イラク戦争が勝利とは程遠いことを意味した。

 

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ブッシュ政権「反乱」insurgencyという言葉を使いたがらなかった。これはベトナム戦争を想起させ、またブッシュの勝利宣言を無効化するものだからだ。

攻撃の直前まで、イラクの警備について全く見積もりがされていなかった。

美術館や政府施設・武器庫掠奪に対し無関心・無力な米兵を見て、イラク人たちは疑いと不満を抱くようになった。このような不信の最大の原因は、イラク軍解体・バース党員の追放によるイラク行政・市民社会の機能停止にあった。

大量の軍人や兵士がアルカイダに流れ込んだ。

 

イラクは単なる石油の産地ではなく、古い部族によって構成される領域だった。スンニ派部族は、アメリカがシーア派アフマド・チャラビらをかつぎ、シーア派民兵の攻撃を黙認していることに失望した。占領後1年で米軍は部族からの信頼を失った。

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