うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『The Bosnia List』Kenan Trebincevic その2 ――拷問殺人を行う隣人たち

・ルカLukaの強制収容所は、現在でも運送集配所として使われていた。

 父の部下だった収容所のギャング、ランコRankoは、父と兄の命は助けたが、その他のボスニア人、クロアチア人を拷問・処刑した。看守は、収容された兄弟同士を性行為させた後射殺した。また、夫の目の前で妻を複数人でレイプした。

 この人物は後に国際法廷で起訴され、Wikipediaや旧ユーゴ国際司法裁判所のサイトにも名前が載っている。

www.icty.org

 

・町で尊敬されていた父親が故郷を再訪すると、ディナーの時間に旧友らと再会し、多くの人びとがかけつけた。

 同時に、かつて自分たちを迫害したセルビア人も、のうのうと生きていた。

 ある者は、大量殺人や嫌がらせを忘れたかのごとく振る舞い、また別の者は、罪の意識に耐え切れず、「自分はいじめに加わりたくなかったので国外にいた」と嘘をついた。町の人びとは、亡命した人びと以上に、様々な因縁に縛られているようだった。

 

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 セルビア人のゾリチャZorica・ミロシュMilos夫妻とその子供は、一家に食糧を分けたり、出国の手助けをしてくれたりした。ミロシュは、著者をいじめていた近所の子供を追い払った。以後、いじめはなくなった。

 ミロシュはブルチコ郊外でボスニア勢力と戦っていたようだった。あるとき、多くのセルビア兵が死に、戦車に乗っていた兵隊が体を真っ二つにされていた、と嘆いていた。

 著者たちは、自分たちが腹いせに殺されるのではないかと心配になった。

 家族は、交番で出国手続きを頼んだ。このとき、空手コーチの弟が検問にうまく連絡をしてくれたらしく、かれらは無事ハンガリーに脱出することができた。

 バスの運転手や乗客たちは、セルビア人であるにもかかわらず、著者たちの味方だった。

 ドライブ中、黙りこくっていた乗客のセルビア人たちは、バスが無事ハンガリー領内に入り、かれらが亡命に成功すると一緒に喜んだ。かれらは、同胞の兵士たちから裏切り者と思われるのを恐れていたのだ。

 

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 著者らは、かつて自分を助けてくれたゾリチャとミロシュを訪問した。

 夫妻は家族を歓迎し、一緒に食事をとった。

 このとき、著者は子供のときからおもっていた疑問を吐き出した。

 

・なぜかれらはやってきたのか? 

 ミロシュは教育のあるセルビアクロアチア人だったが、戦争がはじまると、クロアチア人から迫害された。ボスニアに避難してきたことで、同じ境遇のムスリム一家に同情した。

・ミロシュはやむを得ずセルビア人部隊に参加したが、自分の撃った弾がだれも殺していないことを祈っていた。かれは戦争犯罪や暴力にはいっさい加わらなかった。

 かれはユーゴスラヴィアの統一を信じていた。ミロシェヴィッチの宣伝にだまされたが、自分の行動を完全に否定することはできなかった。

・かれらは、ムスリム系住民であるフソHuso、著者の友人一家が出ていったあとに、その空き家に引っ越してきた。

・最終的に、著者はこのセルビア人夫妻との友情を感じた。

・略奪をしていた夫婦、ボバンとダーチャは、結局民兵ではなく、ベオグラード・マフィアの末端だった。ボバンがいなくなったあと、ダーチャは同業者にリンチされ、誰だかわからなくなるまで顔を殴られた。かれらは夫婦でもなかった。ダーチャは売春婦として塹壕に出入りし、ミロシュの11歳の息子と性交渉しようとさえした。

 

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 オーストリアに亡命してから、アメリカに移住するまで。

・デイトン合意は、ボスニア人の進軍を阻止してしまった。セルビア人はかれらの犯罪の収穫を手にしたのだった。

・著者はコネティカットConnecticutの学校に通い始めた。

・著者ケナンと兄のエルジンは、親の仕送りや学生ローンで、医療系の単科大学に通うことができた。しかし、父は単純労働を掛け持ちし、夜中まで働いた。母親は孤独を感じながら、パートタイマーとして働いた。

 ボスニアを出てから、母親は精神的に消耗し、腫瘍やがんに苦しむようになった。

 

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 いとこのアメラとの再会について。アメラとは、ブルチコの町が砲撃にさらされた日以来、戦争が終わるまで、まったく連絡をとれずにいた。

 祖母の家から、著者たちが脱出した直後、セルビア民兵が橋を渡ってやってきた。かれらは住宅街に侵入し、片っ端からムスリムを射殺した。

 兄のエルジンは、兵役年齢に達していた自分がまったく戦闘に参加せず、隠れて生き延びたことを後悔しているようだった。

 

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 著者はふたたび隣人の老婆ペトラを訪問した。兄は、かれが老婆をバルコニーから突き落とすのではないかと心配し、無理やり弟についてきた。

 娘たちとともに姿を見せたペトラは、予想とはうってかわって、ケナンとエルジンを歓迎し、温かい言葉で迎えた。

 かれは、老婆に対し、自分のやったことに罪悪感を抱いているか問い質そうと考えていた。しかし、意表をつかれた。

 そのうち、老婆ペトラは嘘をついたり、ごまかしたりしているのではなく、本当に著者たちを歓迎し、尊敬しているのだと感じるようになった。

 

 ――あなたは、あなたを裏切った男の子たちよりもよくやった。かれらには失望した。かれらには未来がないが、あなたにはある。あなたはホームレスの状態から始めなければならなかった。それは、申し訳ないとおもう。しかし、あなたは自分の隣人たちを乗り越えた。あなたはいまや勝者である。

 

 多くのセルビア人が、大量殺人を忘れたかのように、気さくにムスリムに接しようとする。かれらはすべてを一部の政治家のせいにして、戦争を忘却しようとしているようだった。

 しかし、そこからは何1つ繁栄せず、復旧せず、救済は生まれない。

 

 ――傷がなければ、癒えることもない。

 

 兄は、ケナンに対し言葉をかけた。

 

 ――もしおまえが敵対的で、彼女(ペトラ)を侮辱すれば、彼女は、「このバーリヤBalija(ボスニャク人への蔑称)たちを追い払ってよかった」と考えるだけだ。しかしおまえは彼女の話を聴いた。

 

 ――おまえは彼女から、自分のやったことを正当化する理由を奪った。……彼女は、自分たちが最良の友人たちを失ったと感じたに違いない。

 

 多くのセルビア人は、自分たちが破壊した国に失望していた。田舎からやってきた同胞セルビア人は、ガレージで牛や豚を飼い、洗濯機が何かわからなかった。都市のセルビア人は田舎者とまったく通じ合えなかった。

 

・空手コーチ・ペロの正体……憧れの対象だったペロは、同世代のなかではクズ扱いだった。格闘技の才能はなく、著者の父親のひいきで黒帯をもらった。本当の格闘家……クロアチア人キックボクサーがいたが、ペロとランコはかれの腕をハンマーで粉砕し、射殺した。

 ペロは30歳を過ぎて職もなく、結婚もできなかった。

 かれは、自分の惨めな人生に対してうっぷん晴らしをしたのであって、おそらく民族主義者でも、愛国者でもないのだろう。

 自分を尊敬していた数少ない人間だった著者を、ペロは最後まで生かしておいた。

 

  ***
 自分の故郷を再訪したことは、かれの価値観を変えた。

 セルビア人たちを許すことはないが、かれらもまた自分たちのしたことの結果を受けて、苦境のなかにいた。

 著者のケナンらは、ブルチコで最も幸福な一族だった。アメリカに移住し、バイリンガルとなり、大学を出て、本国のセルビア人よりもはるかに豊かな暮らしを享受できるようになった。

 かれは夢の中でかつての空手コーチに再会した。自分を裏切った「先生」が、実際は人生の敗者だったと知ることで、著者は過去を克服しようとした。

 

The Bosnia List: A Memoir of War, Exile, and Return (English Edition)

The Bosnia List: A Memoir of War, Exile, and Return (English Edition)