コソヴォ紛争終結後、コソヴォにおいて発生したセルビア人の拉致・殺害事件に関する報告。
著者は取材対象とほぼ完全に同化し、国際社会から孤立したセルビア人の窮状を訴える。
ここで指摘されている問題は、国際社会から政治的な「敵」扱いされた集団(セルビア人)の実態を明らかにしようとするものである。
元々アルバニア人の独立運動が盛んだったコソヴォでは、90年代中盤からコソヴォ解放軍による非アルバニア系住民への迫害が問題になっていた。これに対しセルビアが報復すると、残虐行為に対し国際社会から非難が巻き起こった。
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1 大コソヴォ主義
コソヴォのアルバニア人に対するセルビア、ユーゴスラヴィア部隊の迫害・虐殺行為が問題となり、NATOはベオグラード空爆を行った。
セルビア人部隊がコソヴォから撤退したことで、今度は少数派であるコソヴォ・セルビア人が迫害を受けた。
武装勢力であるKLA(コソヴォ解放軍)は、セルビア人住民を誘拐・拉致し、一部は遺体で発見された。
既に1300人以上の行方不明者が発生していたが、国際世論はこれを「アルバニア人から報復されるセルビア人」として片づけた。
国連部隊はセルビア人迫害に取り合わず、セルビア政府も厄介な存在として無視した。コソヴォ難民は、ベオグラードで劣悪な生活を強いられた。子供たちは、なまりがあるため学校でいじめられた。
2001年に発生したマケドニア紛争は、マケドニアのアルバニア人武装勢力と、KLA(NLAと名称を変えた)が主体となって引き起こされた。武装勢力は「大コソヴォ主義」に基づいて、マケドニアの北西部をアルバニア人の土地にしようとした。
2 混迷の中で
・NATOによるコソヴォ空爆において劣化ウラン弾が用いられ、放射能汚染による被害が出ている可能性がある。
・2000年、大規模なデモ活動と国会への突入により、ミロシェヴィッチは失脚した。
・ボイボディナは、ハンガリー人を含む様々な民族が住む地域である。セルビア中央は、ボイボディナが独立を目論んでいる、と警戒するが、ボイボディナの政治家は、自治権と少数民族の権利のみを要求している。
3 セルビア・モンテネグロの誕生
・2003年、ユーゴスラヴィア連邦が消滅し、セルビア・モンテネグロの連合国家体制に移行した。
・モンテネグロの主要産業は闇市である。アドリア海沿岸のコトル等は観光業が盛んだが、中央部は密輸や闇経済、麻薬輸入が主である。
・モンテネグロの独立は、コソヴォの地位にも影響を与える。コソヴォはNATOの介入により実質独立しているが、今後、セルビア人住民の立場はますます脅かされるだろう。
・セルビア極右政治家シェシェリは、ボスニアとコソヴォにおいて民兵を指揮し、多数の戦争犯罪を行った。かれは米国とNATOを非難し、かれらがアルバニア人のテロリストを擁護していると訴える。
・セルビア共和国首相ジンジッチは、国際社会への復帰のために、ミロシェヴィッチを国際法廷に売り渡し、またコソヴォ独立もやむなしと主張した。このため、西欧かぶれとしてセルビア人や極右、マフィアの反感を買い、暗殺された。
・コソヴォではKLAテロリストや戦犯が釈放され、セルビア住民に対する殺人、強制失踪が相次いでいる。
コソヴォでは、麻薬が栽培され、ボスニアに輸出されている。ボスニアのスルプスカ共和国には、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦から逃げてきた多くのセルビア人難民がおり、また麻薬の流入が問題になっている。
国際社会は、セルビア人とスルプスカ共和国の苦境にはまったく注目していない。
終章
・2004年、アルバニア人少年がセルビア人に殺害されたという事件によって、大規模な騒乱が発生した。アルバニア人が、セルビア人居住区に押し寄せ、焼き討ち等をおこなった。
・ほぼすべての知識人たちは、NATOによるユーゴスラヴィア空爆を支持した。空爆に反対したペーター・ハントケらは、社会的に追放された。
・日本の外務省は、著者に対し「空爆が不当かどうかなど問題ではない。大事なのは日米安保だ」とコメントした。
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・NATO、国連は、アルバニア人に配慮し、KLAや一部民兵の犯罪を見過ごしている。
・ボスニア内のスルプスカ共和国、ベオグラードにおける難民たち。
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