元職員らの証言を聞き出し全貌を明らかにするという形式をとる。
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・登戸研究所は各特務機関や中野学校と密接なつながりがあった。職員の中には、終戦後すぐに行方不明となり、中国人になりすまして生活をしていた者もいたという。
・特に、米本土に影響を与えた風船爆弾部門や、化学兵器、生物兵器、贋札製造部門の職員たちは、占領軍による追及を恐れた。こうした部門で勤務していた者は、米軍との取引により免責された。
・2科長であった山本氏は敗戦後横須賀で勤務しその後サンフランシスコで何らかの業務に就いている。
・登戸研究所と「ヤマ」防諜機関との関係……研究所の製造したスパイ道具が用いられ、「ヤマ」の構成員たちは盗聴、尾行、検閲、また暗殺等を行ったという。
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登戸研究所は所長篠田以下多くの将校、技術員がGHQのG2(情報担当)に呼び出され尋問されたが、結果的に戦犯指名されたものはいない。
著者は研究所とGHQの関係を明らかにするため米国公文書館や軍機関を訪問するが、登戸研究所の調査結果等を示す資料は見つからなかった。
職員の中に、大陸で身分を変え、その後香港で中国人として生活しているものがいた。
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この本が書かれた当時は、伴氏や、山本氏等、当時の将校、技術者がまだ生きており、かれらを追って取材することができた。
著者は登戸研究所出身者に取材を試みるが、多くの者は口を閉ざした。特に、3科の贋札作りに関わった人間たち、2科の細菌兵器、化学兵器研究に関わった人間たちは、過去を語りたがらなかったようだ。
著者は、戦後の反軍的な雰囲気や、本人たちの罪悪感によるものだと考えている。
偽造紙幣技術を持つ元職員やBC兵器研究者たちの多くは戦後アメリカに雇われ、一部の人間はアメリカに移住した。
帝銀事件の際は、犯行に使われた青酸ニトリールが登戸研究所で製造していたものと近いということで、元職員が集中的に警察の尋問を受けた。
2科所属の技術将校である伴氏は、本書ではまだ過去を打ち明けていないが、やがて『登戸研究所の真実』において人体実験について発言した。
秘密戦のための研究機関という性質上、本書には憶測が多く、確定事実は少ない。
しかし、登戸研究所の概要、アメリカ政府への協力、元職員たちの動向等をうかがい知ることはできる。
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余談……米国の公文書管理体制について多少の説明がある。
GHQの時代から、軍の行政文書を保管し、専門の職員が整理分類している。文書閲覧者や検索者のためのガイドや司書も雇われているという。
自分たちの記録を残すことによって、過去の間違いを認識できるのみならず、敵からのデマや誹謗中傷に対抗することもできる。
日本軍と政府のように全てを焼却してしまえば、お互いに証拠がないのだから言いたい放題が可能になってしまい、結果的に発言力の強い方に有利になると考えるがどうか。
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CIC:対敵防諜部隊