16 リヒャルト・ゾルゲ
ゾルゲは近代でもっとも優秀なスパイの1人とされる。かれはGRU(赤軍参謀本部情報総局)職員となり主に極東で活躍した。
・日本がイギリスの手薄な地点、シンガポールなどを攻撃することを予想
・ドイツ大使館にドイツ人として潜伏し、大量の軍事情報を収集
・ドイツのポーランド侵攻計画を報告
・日本にはソ連侵攻計画はないことを確認
ゾルゲとともに、その協力者である尾崎も優れたスパイと評価される。
17 トロツキー暗殺とルーシー・ネットワーク
スターリンはトロツキーの暗殺を強く指示した。ベリヤは部下を使い、死に物狂いで暗殺を遂行させた。かれは下手人の家族を人質にとり、必ずトロツキーを殺すよう命令した。
スイスのスパイ網……ドイツの電撃戦によりヨーロッパのソ連スパイ網は崩壊してしまった。ソ連は、スイスを拠点に工作員の浸透を試みた。
コードネーム「ルーシー」ことドイツ人ルドルフ・リスラーの構築したスパイ網は、ドイツ軍事情報をイギリスとソ連に提供した。かれの正確な情報と分析は、独ソ戦に多大な貢献を果たした。
本書では、ラインハルト・ゲーレン(ドイツ陸軍及び西ドイツの情報将校、初代BND設立者)の回顧録にも言及しつつ、ドイツ側の協力者がマルティン・ボルマンだったのではないか、と推測している。
18 原爆スパイ
ソ連情報機関は各国共産党を信用していなかった。アメリカにおけるスパイ網組織化は、リディア・スタールによって行われた。
アメリカの高官たち……ハロルド・ウェア、フランク・コー、ローチリン・カーリー、ローレンス・ダガン、アルジャー・ヒス、ハリー・デクスター・ホワイト、ネイサン・シルヴァーマスター等がソ連のスパイとなった。
――アメリカほどロシアの徹底的な破壊的浸透を受けた国は他に見当たらない。ルーズヴェルトの時代、そしてそれ以前にもきわめて多数の有力なソ連スパイがアメリカで活動していた。
原爆をめぐるスパイ活動は成功し、ソ連は数年のうちに原爆を保有することができた。
19 ナチを出し抜いたスヴェトロフ
NKVD以降の組織変遷……NKVDとNKGB(国家保安人民委員部)→MVD(内務省)とMGB(国家保安省)へ
ドイツ軍情報部は、テヘランでの連合国首脳暗殺計画を企画したが、ソ連スパイのスヴェトロフにより阻止された。もっともこのエピソードの信ぴょう性には疑いがあるという。
20 反NATOスパイ
1945年には、古参の工作員……元チェーカーやGPU出身者はほぼ粛清され、スターリン派で固められていた。
東欧にはソ連スパイが浸透し、政府を操作し、暗殺や工作に従事した。
イタリア、ベルリン、ウィーンなどで東西のスパイ合戦が激化した。ソ連は、西側がドイツを復活させ、ソ連にけしかけるのではないかと疑っていた。
スターリンの死はソ連内部を一変させた。ベリヤが跡を継いで君臨しようとしたが、かれは赤軍から恨まれており、またマレンコフの軍への影響力を軽視していた。
ベリヤは同僚たちに逮捕されすぐに処刑された。
1954年、ベリヤ排除とともに国家保安委員会すなわちKGBが誕生した。
1958年以降、シュレーピン長官のもと、KGB及びスパイのイメージ向上政策が図られた。
また、ベリヤの処刑後に恐怖心から亡命する者が続出したため、組織は昔より穏健になった。
21 ブレイクとアベル
ソ連が雇った優秀なスパイについて。
協力者の獲得方法……職場での不満、秘密にしている同性愛癖、借金など。
アベルは『ブリッジ・オブ・スパイ』でも取り上げられたアメリカ在住のスパイ・マスターである。
22 長官アンドロポフとコノン・モロディ
ベリヤ死後、KGBの長官には行政職の党員を採用し、党によるコントロールが図られていた。しかし、フルシチョフを失脚させたのはかれに不満を持つKGBの有力勢力だった(ペンコフスキー大佐事件)。
以後、KGBはしだいに政策決定に参加しはじめる。
――現在、KGBはソ連の権力構造において少なくとも軍部と同等の勢力を持っていると思われる。KGBは単なる諜報活動とテロの道具から、より高度な組織に格上げされ、独自の謎めいた雰囲気をもち、党中央委員会の外で隠然たる独自の政治的影響力をもつ存在に変貌したのだ。
ブレジネフ政権下、アンドロポフが長官となり、KGB改革を進めた。
・第1総局:外国情報収集分析
・第2総局:破壊活動、経済スパイ、サボタージュ、反逆、通常警察業務
・第3総局:「スメルシュ(スパイに死を)」の後継、処刑・暗殺、防諜
・第7局:外国人
・第8局:暗号解読、通信、組織防衛
・第9局:ソ連指導者警護
23 KGBの対フランス、アフリカ、アジア作戦
各国におけるソ連のスパイ活動について、細かい説明がある。
KGBは無線通信に力を入れたため、技術においては西側を一時期凌駕した。
KGBの最大任務は、国内治安の維持である。
ド・ゴール政権への浸透を試みたKGBのハニートラップについて。
アフリカでは、旧宗主国であるイギリスやフランス、また新興勢力である中国の勢力を削ぐために、ソ連スパイが投入された。
KGBは中国に対抗するため台湾国民党と連絡を取り合い、また南米においてはカトリック教会を利用した。
24 冷戦時の逆情報工作
KGBにはソ連共産党幹部を監視する部門とともに、西側に虚偽情報や攪乱情報……「逆情報(Disinformation)」をながす部署がある。
――……それは奇妙な戦場であり、共産主義と反共産主義の間の理論上の争いではもはやない。ソ連でさえ今日、この種の争いが無駄であることを認めている。モスクワは、現在、理論闘争などは英国共産党のような、取るに足らぬ時代遅れの共産主義者にのみふさわしいと考えるまでにさばけているのである。
国際機関への浸透、また報道機関への浸透が行われた。
麻薬密売人と情報機関とのルートは一致していることが多い。諜報員が麻薬密売人を兼ねることも多い。
25 西側の内通者と亡命者
・中東へのソ連スパイの浸透について
・英国、特にGCHQ(政府通信本部)がスパイに汚染された。
26 国内治安を強化するKGB
1980年代前半、アンドロポフがブレジネフの継いで共産党書記長となり、KGBの支配は強まった。KGB議長はフェドルチューク続いてチェブリコフがついた。
KGBは世界最大の諜報機関であり、国内だけでも200万人以上の関係者を抱えていた。
組織構造は複雑でありまた頻繁に改変された。
・第1総局……国外活動、殺人執行
・第2総局……国内保安、防諜、逆情報、
・第3総局……国境警備
80年代後半になっても、ソ連は共産圏、西側諸国、教会、フリーメーソン、国際機関などあらゆる領域において工作を続けていた。
本章は訳者木村明生によるものである。ゴルバチョフの主導するペレストロイカに伴い、KGBに対する改革圧力もまた強まった。
新議長クリュチコフが送り込まれた。
KGBはより開かれた組織になると声明を出したものの、当時のCIA副長官ロバート・ゲーツは、KGBの対外活動が強化されるだろうと予測した。
その後確認された活動……通信傍受・解読、軍隊へのスパイ行為、スペツナズ要員による偵察、ネガティブキャンペーン、ギリシア、中米、フィリピンでの工作、盗聴器の設置。