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『細菌戦争の世紀』トム・マンゴールド その1 ――生物兵器開発と使用の実際


 ◆メモ

 BBCのドキュメンタリー記者らが書いた生物兵器開発についての本。

 特に米ソの軍備管理問題、南アフリカにおける生物兵器使用、イラク北朝鮮・テロ組織による生物兵器利用について、非常に詳しく知ることができる。

 

生物兵器核兵器に比べはるかに安価で、使用されても検知が困難である。被害は広範囲におよび、また防護は非常に難しく、核や化学兵器とは全く別の手段が要求される。

 ニクソンは、生物兵器の使用に対しては核兵器をもって報復することを宣言していた。

・米ソは生物兵器禁止条約を批准したものの、ソ連は秘密裡に開発を続けてきた。情報機関がこれを察知し、相互の査察が行われたものの、事態は好転しなかった。

 軍備管理の実行は非常に困難である。また、国家の破たんによって技術が拡散することも防止しなければならない。

・日本軍による生物兵器の運用は有名だが、ローデシア紛争における南アフリカ共和国軍の使用も濃厚である。

イラク問題……イラクは化学・生物兵器の開発を進めてきた。湾岸戦争後、国連査察ミッションが始まったが、イラク側の妨害で効果はなかなかあがらなかった。

 ところが、米英は98年に単独で施設爆撃を実施し(砂漠のキツネ作戦)、その後米国はイラクを直接崩壊させた。結果、大量破壊兵器は既にないことが明らかになり、後には無政府状態と過激派の台頭が残った。

 軍備管理や禁止兵器の阻止は困難だが、このように短絡的に侵攻した場合も、別の問題が発生する。

・テロ組織による生物テロ

 NYやロンドンといった大都市での生物テロ防護は、どれだけ準備しようとも限界がある。どのように対応すべきかが今後の問題となる。

・情報機関の重要性

 様々な情報源により、他国、または組織の生物兵器開発状況を知ることが不可欠である。

 

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 1

 合衆国による生物テロ演習の想定……本土の空港においてイラク人グループが航空機を乗っ取り、炭疽菌を機内に散布するといって脅し要求をつきつけるというもの。

 

 2

 冷戦の終結に伴い、合衆国は非対称戦争、災害テロ対策の必要性を痛感していた。

 テロリストや敵性国家……イラクやイランは、化学兵器生物兵器を使い合衆国を攻撃する可能性が高かった。

 治安機関や軍が検討した結果、合衆国のほぼすべての施設や建物は、細菌兵器や生物テロに非常に脆弱であり、空調設備などもまったく無防備であることが明らかになった。

 

 3

 生物兵器研究の起源は日本陸軍731部隊にある。

 石井四郎中将は、満洲生物兵器実験施設が設置し、捕虜を使い人体実験を行った。

 終戦後、連合軍は731部隊関係者を尋問し、かれらから人体実験や生物兵器のデータを受け取った。生物兵器関係者は訴追されなかった。

 米軍は冷戦に備え生物兵器の研究にとりかかったが、731部隊の資料はあまり役に立たなかったという。

 

 4

 第2次大戦中から列強は生物兵器の開発に乗り出した。

 生物兵器の開発と防衛に先駆的に取り組んでいたのはイギリスである。ウィルトシャーに化学防護実験研究所を設立し、炭疽菌爆弾など生物製剤の兵器開発を行った。

 あわせて、ドイツがV1ミサイルにボツリヌス菌などを搭載する可能性を考え、生物兵器防護の検討が始まった。

 合衆国は1943年、キャンプ・デトリックに研究施設をつくり、あらゆる研究、製造、実権、報告、産学界との調整などを行った。

 1944年には、米英は炭疽菌爆弾をドイツに投下する計画を検討していた。

 50年代の研究対象……炭疽菌ボツリヌス菌ブルセラ属、野兎病菌、オウム病菌、ペスト、ヴェネズエラ馬脳炎、Q熱、コレラデング熱赤痢、馬鼻疽。

 1950年、合衆国議会は大規模生物兵器生産工場であるアーカンソー州パインブラフ研究所を設立した(元は化学兵器用施設)。

 米軍は、50年代から60年代にかけて、無毒の実験用生物製剤を国内において散布し、実験を繰り返した。

 

 5

 1972年に米英が生物兵器軍拡競争から脱し開発を中止してからも、ソ連はひそかに開発を進めた。

 ソ連生物兵器開発は1928年までさかのぼる。

 1949年ハバロフスク裁判においてソ連は日本人捕虜の被告から近代生物戦の細部を聞き取った。

 ソ連全土に研究所や実験場がつくられ、細菌兵器の開発がすすめられた。

 

 6

 CIAは、HUMINTや偵察機情報などを頼りにソ連のNBC兵器情報を収集していたが、生物兵器開発については一貫して過小評価を続けていた。

 ソ連のような専制体制では、生物兵器開発のような大規模プロジェクトを秘匿することが民主主義国よりも容易だった。

 

 7

 ニクソン大統領とメルヴィン・レアード国防長官の主導により、生物兵器禁止条約が締結され、1975年発効した。

 理由……

・軍備管理に先んじて実績を上げたかった

・軍は生物兵器の実用性に疑問を抱いていた

生物兵器開発予算を削減したかった

ソ連が応じたことで、双方の軍拡競争を制限できると考えた

 

 情報機関は、ソ連が秘密裡に開発を続けているという情報をかぎつけたが、条約をつぶしたくない外務省はこれに応じなかった。

 

 8

 ソ連は西側諸国を欺き、生物兵器開発を継続した。

 政治的専制国家は、情報統制や情報機関の監視によって、大がかりな秘密計画を運営することが可能だった。

 

 9

 1979年、アフガン侵攻の4か月後、スヴェルドロフスク(エカテリンブルグ)の生物兵器研究所で炭疽菌の大規模漏洩事故が発生し、数百人が死亡した。

 アメリカは事故情報をかぎつけ、ソ連に抗議したが、ソ連は汚染肉の事故だとして事実を隠ぺいした。このため、隠蔽工作――土壌の清掃や家畜の殺処分――の過程でさらに炭疽菌による死者が発生した。

 ソ連隠蔽工作生物兵器事故を認めたのは冷戦崩壊後だった。

 

 10

 1987年、偵察写真やスパイ情報から、ソ連ICBMに生物弾頭を搭載していたことがわかった。ミサイル発射場に巨大な冷蔵庫がおかれていたからだ。

 しかし、ブッシュ政権は雪解けと軍備管理の進行に配慮し、ゴルバチョフに対し強硬に抗議しなかった。

 ジェイムズ・ベーカー国務長官とシュワルナゼ外相は交流を深め、軍縮と歩み寄りが進むかに思われた。

 

 11

 1989年、生化学者ウラジミル・パセチニクの亡命(イギリスが受け入れし、MI6が尋問)によるソ連生物兵器開発の暴露

・高純度生物製剤研究所所長、民間人

・バイオプレパラート……非軍事複合組織の所有する生物学研究所や製造工場などのインフラ情報

 ソ連ゴルバチョフ政権になってもなお生物兵器開発を継続しているという事実が明白になった。

・スーパーペスト菌エアロゾル化、総力戦における生物兵器使用の計画

生物兵器開発の第一人者、ユーリ・カリーニン少将について

 

 パセチニク情報を受けて、米国のホワイトハウス、CIA、国防総省国務省の担当者は強硬派と穏健派に分裂した。

 軍備管理担当グループは、ソ連生物兵器開発の実態、また米国より数世代先を行っていることを議会に報告する義務があった。しかし、国民が知れば世論が沸騰するので、担当議員にのみ極秘で知らせた。

 

 ――だが、いちばん大きな問題は、超大国間の将来の関係と、軍備管理条約に調印したソ連の信頼性だった。これが根本にあった。今後、ソ連を信頼してよいのだろうか? ……言葉や署名がなんの保証にもならないような嘘つきの国とは、今後、軍備管理条約を結ぶことはできないというのはまちがいない。とはいえ、大国間の条約のない世界など、ほとんど考えられない。

 

 サッチャーソ連を条約違反で厳しく非難しようと決意していた。

 

 12

 米英の抗議を受けたゴルバチョフは、施設の査察に応じた。

 

 [つづく]

 

細菌戦争の世紀

細菌戦争の世紀

 

 

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