小原保(こはら たもつ)による村越吉展誘拐殺人について書かれた本。
事件の状況、警察による捜索と取り調べ、被害者と犯人の生い立ちなどを検討していく。文章は落ち着いているが、事件を通して浮かび上がる世の中の特性が細かく書かれている。
犯人の生い立ちは暗く、犯行にいたるまでの経緯もみじめである。酒と風俗にはまり金銭的な問題を抱え、自分の首を絞めることになった。
小原と一時期交際し、後に警察に協力した女性も、どん底人生を生き延びてきたというような人物である。
世の大人は、戦争経験者であり、犯人は元軍人であるとか、青年期を戦争に奪われたとかの憶測がなされた。
世間は「吉展ちゃん事件」に注目しており、マスコミの報道が被害者を苦しめることもあった。
世の中にはほんとうに心の歪んだ人間、軽率で無神経な人間がいる。
戦時中には子供も大人も毎日大量死していた。時がたって、子供1人の誘拐に皆が注目するようになったということは、時代が変わったことの証でもあると感じる。
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◆小原保について
小原保の家系には障害者や精神疾患者が多く、福島県の山間集落内でも忌み嫌われていた。小原は少年時代の足のけががもとでびっこになった。
かれは障害者職業訓練所で時計修理を学んだ。
上京後、時計屋で働くが方々に借金をしてまわり首が回らなくなった。とはいえ、その額もそこまで大きなものではない。取り立ても、自分の身内や仕事の知り合い、近所の在日朝鮮人等、普通の人びとによるものである。それでも小原は追い込まれ、『天国と地獄』にヒントを得て営利誘拐を行った。
取り調べ中、罪悪感にさいなまれており自殺も考えたと供述している。かれは死刑確定後、短歌を創るようになった。
特徴的な東北弁をしゃべるため、録音テープが一般公開されると、続々と推理が行われ、犯人絞り込みにつながった。
◆警察
警察ははじめ、村越家から通報を受けてもまともに取り合わなかった。
身代金電話の録音は被害者宅が自前で行った。
警察は、身代金の受け渡し現場に行きそびれて、小原を逃がしてしまった。一連のミスをごまかすため、警察は「被害者の親が警察の制止を振り切って金だけを渡してしまった」と被害者に責任転嫁した。
ところが、こうした警察の嘘はばれた。
有名な平塚刑事は、捜査が行き詰った後に専従捜査員として投入された。かれは徹底的に聞き込みをやりなおし、小原の犯行当時のアリバイを崩し、自白させた。
刑事の生活は過酷である……事件に携わった刑事は、毎日、始発で出発し午前1時過ぎに家に帰った。また、忙しいときは1週間家に帰らなかった。
刑事になった当初、捜査1課配属後、8年間お茶くみをさせられた。この刑事は、定年前にがんで死んだ。
その他のメモ……
・警視庁では警備警察が刑事警察よりもヒエラルキーが上だった。
・当時は逆探知ができず、また通話記録の調査も法律に阻まれていた。営利誘拐の対処は確立していなかった。
◆世間
「吉展ちゃん事件」は日本人の関心の的だった。村越家は、事件に巻き込まれたことにより、日本人の性質を身をもって知ることになる。
被害者宅には応援や激励の言葉と同じくらい、誹謗中傷やいたずらが舞い込んだ。
犯人を騙る脅迫電話や、身代金要求が相次いだ。
――(激励の手紙について)「だれかがこうなったら、その人に手紙を書こうとしただろうか」
――彼女は善意というものを、言葉の上ではなく、肌身に沁みて知った。
――しかし、同時に、極限にまで打ちひしがれている人間を、それこそ水に落ちた犬でも叩くようにして、さらに打ちのめそうとするいわれのない憎悪の持ち主が、社会には少なからず潜んでいることも、心臓を刺されるようにして教えられたのである。
――「公共の水を手前勝手に使うから、そういう目にあうのだ」
また、被害者宅には様々な宗教の信者がおしかけてきた。
――村越家の人びとは、事件の被害者となって初めて、世に神仏の多くあることを学んだ。そして、何かにすがらなければ生きて行けない民衆が多くいることも、彼らにとっての新しい発見であった。
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著者は事件に対して冷静な見方を保持している。
法執行職員である警察が、犯罪者を徹底的に取り締まらなければならないことは確かである。
同時に、犯罪者がどのような存在であるのか、何が犯罪者を生み出すのかも、理解しておく必要がある。
――私は16年間の新聞社勤めの大半を社会部記者として過ごした。そして、その歳月は、犯罪の2文字で片付けられる多くが、社会の暗部に根差した病理現象であり、犯罪者というのは、しばしば社会的弱者と同義語であることを私に教えた。
すべての人間を尊重するよう努めなければならないとこの本を読んで感じた。
そうでないと、精神は常に他人を見下し、憎む方向に動くからである。わたしたちには立場の弱い者を攻撃する、また切り捨てる傾向がある。