――本書は、仏教界を堕落させているお金や制度の問題について、内側を知る立場から隠すことなく述べ、みなさんといっしょになって考えていただくために書かれました。
現役僧侶が住職の堕落を嘆く本であり、笑える箇所が多々ある。
時代に合わない制度や強欲坊主が蔓延する現状を改善し、宗教の適切な姿を考える。
いつの時代も現実は理想と程遠く、この世は身分の優劣と強欲で成り立っている。しかし改良する姿勢を失ってはならないと感じる。
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1
寺院の数はコンビニより多いが、大半は閑散としており、存在意義が無い。今後、寺院は衰退しサバイバル時代に突入していくだろう。
寺院は宗教法人の認証を受けているが、既存の団体に対しては、まともなチェックが行われないため、あまり信頼性がない。法人としての義務も、収支と財産目録の提出だけである。
各寺院を総括する宗教法人として、曹洞宗、臨済宗○○派、等が位置づけられているが、各寺院を統制することはない。このため末端の住職は強い独立性と権限を持ち、やりたい放題ができる。
宗派本部が各寺院に要求するのは上納金だけであり、後は放任する。
葬式の需要減少、葬儀業者の主流化により、寺院の経済的基盤は崩れつつある。
明治になり僧侶の妻帯が許可されてから住職の世襲化が進み、今は7、8割を占める。
――すると、逆説的になってしまうのですが、あまり優秀な大人に育ってもらうと困るわけです。「ほどほどにおバカさん」であるほうがいいのです。
――ヘタに知恵をつけてしまって、「オレは、こんな仕事やるつもりはない」、「マジメに考えれば考えるほど、とてもやっていけそうにない」、「そもそもオヤジだって、ちゃんとやれてないじゃないか」などといわれては、元も子もないからです。
――こうして、お寺の長男というものは、「家業を継ぐことで、どれだけのメリットがあるか、いかに人生の勝者となれるか」を幼少のころから教えこまれます。
著者は埼玉県熊谷の寺の三代目として生まれ、大学卒業後、永平寺で3年修業し、さらに駒沢の大学院を出た後、アメリカに4年間留学した。
アメリカの曹洞宗寺院は日系人社会のコミュニティスペースの役割を果たしており、日本の姿とは異なっていた。
――……はるか江戸時代の初期に釣ったきり、檀家は、お寺にとって永遠の搾取の対象でしかないのです。
――葬儀の際に、何十万円ものお布施を包んでもらって、ごつい金時計をして、高級車で乗り付けるような、菩提寺の住職を呼ばなくてはならないのは、まったく悲劇としかいいようがありません。素行不良の僧侶でも、いまのところ何とか仕事にありつけるのが、仏教界です。
著者の寺の内部規則は「人としてのマナー」、「社会人としての振る舞い」を説くものであり、「仏の教えを説く以前のレベル」のものである。
2
葬式仏教の収入源は葬祭によるお布施と墓地経営である。
葬祭業は主に民間がやっているが、かれらは客を見て値段を決める。
――「あそこは、高すぎる」と、近所やインターネットでいいふらされないていどに、高く見積もるのです。
お布施は、葬祭業者と僧侶仲介僧侶が中抜きした後、お経をあげた僧侶本人に渡される。
戒名を授けるという行為は僧侶の特権である。階級に応じて価格が決まっているが、近年、戒名のレベルにこだわらない人が増えており、いずれビジネスモデルは崩壊すると思われる。
墓地経営について……自治体等が運営するものは「霊園」、「公園墓地」等と呼ばれる。一方、寺院が名義だけを貸して業者に経営させる墓地がある。こうした墓地の目的は墓石を売ることである。また、墓地販売は非課税であるため莫大な収入を上げることができる。
葬儀もより簡素で低価格なものに変遷してきている。そもそも死人を供養する意味は、死人の生前の罪を懺悔させる機会を与え、出家させることにある。
葬式を担当する際はぼったくられないように目的をはっきりとさせ、業者や僧侶を良く調査すべきである。
3
お寺の収入は課税、非課税と細かく分類されているが、抜け道が存在する。
寺檀制度(檀家制度)は江戸時代につくられた政治的な仕組である。幕府は檀那寺を通して地域住民を管理し統制した。
寺院には本山―本寺―末寺―檀家というヒエラルキーがある。
――いまの仏教界を堕落させているのは、お布施の強要を前提とした寺檀制度と、固定化された本末制度です。この2つの制度がなくなれば、日本の仏教はずいぶん風通しがよくなります。お寺に蔓延する精神の腐敗もおさまり、世間からの批判の声もやわらぐでしょう。
この方針に従い、著者は檀家制度を廃止し、寺の収入だけで運営するようになった。
4
なぜ宗教法人が非課税であるのか。
宗教関係者は課税の話題になると宗教弾圧であり憲法違反であると憤慨するが、多くは既得権益を守りたいだけである。内部の者は非営利であることを忘れてぜいたくな生活をしている。
――世の宗教指導者たちは、純然たる経済行為が非課税であることの意味をかみしめて、その感謝を信徒や社会の幸福のために向けて、奉仕すべきではないでしょうか。
住職は節度と限度を意識して運営していかなければ生き残れないだろう。お布施をあてにしてゴルフと高級車に費やす坊主は強欲である。
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曹洞宗の本山は永平寺と總持寺の2つであり、以下はすべて同列にあることになっている。
曹洞宗は分裂した派閥がなく、その点で他の宗派と異なっている。