うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Reinhold Niebuhr: Major Works on Religion and Politics』その3 ――人間は罪深い!

 

3部 光の子供と闇の子供(The Children of Light and the Children of Darkness)

民主主義をより悲観的な視点から分析し、また擁護することがこのエッセイの目的である。自由主義のあまりに楽観的な人間理解は、民主主義への幻滅を生みかねない

そこでニーバーが取り上げるのがキリスト教的人間観である。

 

1 光の子と闇の子

民主主義と国際普遍主義に根付く、人間の利己主義の過小評価を指摘する。

民主主義はブルジョワが確立させた政治システムである。

民主主義は自由と同一ではなく、自由の下での統合と秩序が必要である

リバタリアニズム共産主義の欠陥は、自己利益と一般利益との対立を甘く見ていることだ。

 

著者は、利己主義と力のみを信じる者を闇の子、より普遍的な善と調和を重んじる者を光の子と呼ぶ。

民主主義は光の子がつくったが、かれらは闇の子ほど賢くなく、利己主義の力を見くびっていた。一方闇の子は邪悪だが、利己主義の力を理解していた。

中世の聖職者対ブルジョワは、腐敗に気づかぬ光の子同士の戦いだったという。

聖職者たちが人間の罪深さを認識していたのに比べて、現代の世俗派たちは原罪のコンセプトを忘れ、楽観主義をばらまいている。

人間の生存本能(will-to-live)は、真実に生きる欲求と、権力栄光の欲求とに分かれていく。そして、後者は常により強力である。

神の手による調和を説いたアダム・スミス自身は光の子だったが、闇の子はかれの哲学を悪用した。

19世紀の普遍主義者(ヘーゲルやヘルダー)は国家を超えた法則や存在が国際社会の調和を生み出すと考えたが、これもあまりに楽観的だった。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

 

2 個人と組織

民主主義はブルジョワ階級が作ったコンセプトだが、かれらは個人の欲望が制御可能であり、共同体の中で調和すると考えていた。一方、ルターやホッブズといった悲観主義者は、人間の本性は制御不能と考え、強力な政府国家が必要と主張した。しかし悲観主義者たちも、政府国家に対して抑圧機能だけしか課さず、また国家そのものも、国際社会の中では欲望のままに行動する事実に気が付かなかった。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

 

ルソーは国家の意志を「一般意思」と表現したが、しばしば国家は、自らの利益を単に支配者と支配階級の利益と同一視する。マルクス主義も、支配階級の出現を考慮していない。

ja.wikipedia.org

 

個人の活力について:

(1) 個人と共同体はお互いに連関している。

いかなる個人も、環境と歴史から完全に自由になることはできない。ブルジョワが創出した初期の民主主義は、個人の自主独立をうたったが、同時にかれらイギリス人、フランス人は歴史の力によって大規模戦争に引きずられていった。

完全に社会環境から独立した自由な個人というものは幻想である。

マルクス主義は個人と共同体の調和を理想としたが、現実には永遠の独裁が出現した。

 

(2) 個人の生命力と集団の生命力は双方とも複雑である。

人間の自由というのは創造的にも破壊的にもなり、その力は絶大である。人間の欲望は動物のそれよりはるかに複雑である。

 

(3) 個人の生命力はいかなる社会・共同体においても出現する。

自由な社会においては、自由と秩序は常に均衡状態にある必要がある。また自由と秩序を規制するいかなる道徳的・社会的原則も、自由な社会においては常に見直しされなければならない。

人間は歴史と社会に紐づけられているが、それでもこうした文脈から超越することがある。こうした個人の究極の自由は、従来信仰の形で表現されてきた。 

歴史を超えた個人の自由はより高次の正義をもたらす可能性を有している。しかし共同体は、こうした個人の可能性を、平和と秩序のために圧殺する。

 

3 共同体と財産(Property)

あらゆる人間関係には、所有物の問題がかかわっている。あらゆる集団間の抗争も、たいていは持つ者と持たざる者との戦いである。

近代に入ってからの階級闘争は、所有権に対する考え方の違いが要因となっている。ブルジョワは財産を美徳と正義の結果と考え、一方労働者階級は財産が悪と不正の根源であると考える。

原始キリスト教私有財産を否定したが、その後、カトリックプロテスタントともに所有権を正当化してきた。一方、財産を否定する宗派は主に異端や反乱勢力によって掲げられてきた。

私有財産を否定する異端の思想は、近代に入りマルクス主義として勢力を持った。

 

以降は、私有財産の無制限の肯定、また完全否定のどちらも誤りであることを指摘する。

 

「所有権は自身の労働の結果である」という古典的なテーゼは、産業社会ではもはや正しくない。(ブルジョワの)自由主義マルクス主義もともに、個人あるいは社会の所有権が武器になりえることを見落としている。

ロックは、アダム・スミスとは異なり、市民社会では個人の所有は不正を生むとして、政府の必要性を唱えた。

ja.wikipedia.org

 

マルクス主義は反対に、所有権が人間の腐敗の根源であるとして、これを撤廃すれば善なる人間性が出現すると想像した。マルクスは、人間の本質的な利己主義に関する認識が不足していた。

所有権の問題を解決するには、自由主義マルクス主義双方が幻想を捨て、次の命題を了解すべきである。

すなわち、すべての所有物は権力である。ある種の経済的権力はより防御的であり制御可能だが、制御可能と不可能との境界はあいまいである。所有権を破壊しても、経済権力はなくならない。

制御不能な権力は濫用される。よって、民主主義的手続きによって適切に分配されるべきである。

 

4 民主主義の寛容と共同体内の集団

民主主義制度は、多元主義の結果であり、原因でもある。現代国家は、前近代のように民族的・社会的に単一ではない。この多元性を破壊し、押し戻そうとしたのが例えばナチズムである。

 

闇の子供たちはこの場合、誤った普遍的国家共同体をもって他のあらゆる生を排除しようとする。しかし真の普遍主義は生の豊かな多様性を破壊することなく調和を確立しなければならない。

 

民主主義の最大の課題は、異なる社会集団を、その豊かさを破壊することなくいかに統合し調和させていくかにある。

主要な集団、また集団同士の対立は3つの要素に基づく……民族、宗教、経済。

 

宗教:

 

民族:

あらゆる民族は生物学的に平等であるが、ひとたび民族が成立すればそれは自身の生存と栄光を求める。アメリカ人の、外国人や非英語話者に対する無理解は深刻である。また人種偏見・差別はどこにでも存在する。こうした偏見を取り除くのは非常に困難である。

民族間の調停に終わりはない。終わりのない課題であることを認識することが必要である。

 

経済:

ドイツは経済的な階級対立により内戦状態に陥り、議会政治システムが崩壊した。ブルジョワ自由主義マルクス主義双方の幻想を取り除き、民主主義の維持に努めなければならない。

民主主義にとって必要なのは、道徳的理想への宗教的帰依ではなく、宗教的な謙遜である。民主主義は、自分たちの理想こそ完全であると信じる宗派の対立によって内部崩壊するだろう。

 

5 世界共同体

第2次世界大戦は、国家間の共同体が必要であることを改めて浮き彫りにした。

歴史上の普遍主義として、キリスト教、アジアの儒教道教、仏教、帝国主義などがあげられる。新しい形の普遍主義は、技術の発達がもたらした国家間の相互依存(グローバル経済)である。古い普遍主義は道徳を、一方新しい普遍主義は技術を核とする。

それでもなお、普遍主義に対する個別の力、すなわち国家の力は揺らいでいない。

反対に、ナチス・ドイツのように、利己的な目的を持った、腐敗した普遍主義が技術の力を使い世界を統合しようとする。

 

普遍性個別性の戦いは、光の子供たちが考える以上に深刻である。

批判の対象となるのは、国際連盟・連合万能主義者たちである。かれらは、自らの理想図を見るだけで、現実に起きてきた歴史から目を背けている。

理想主義者である光の子は、どのように主権が形成されるかについての洞察が不足している。いかなる共同体の統合も、ある程度の人種的・文化的同一性がなければ実現されない。そして、国民意識はしばしば、共通の敵が出現することで生まれる

しばしば誤解されるがアメリカ合衆国も、その統合の原点は、立憲的思想ではなく、イギリスとの戦争である。

国際共同体の設立は考えられている以上に困難である。歴史上の帝国を省みれば、主権同士の統合は、立憲主義的な思想によって生まれたわけではない。イギリスやローマ帝国など、あらゆる超大国の統合は、共通の敵に対する自衛や、強力な力による征服によって生まれた。

 

理想主義者は国際共同体を、現実主義者は勢力均衡を掲げるが、どちらも平和を維持するのは難しい。現実主義者はしばしば、個別利益や狭い忠誠心にとらわれて、革命的な力を見落としがちである。

ニーバーは、双方の幻想を廃した観察が重要だと主張する。

大国同士の協調は、国際共同体のための大前提となる。しかし、諸国民はあまりに多様であり、価値観も分裂している。大国による統合はただちに帝国主義を招き、正義を犠牲にするだろう。

共同体の第一の任務は、混沌を廃し秩序を形成することである。そしてそこに、第二の任務である圧政の防止が伴わなければならない。

 

キリスト者にとって、人類の最大の課題は世界共同体である。

人間の生が本来的に腐敗している、というキリスト教の信念は、世界共同体を目指すにあたり出現する腐敗を解決する助けとなるだろう。

人間の力を過信することは、幻滅と、生きる意味の完全な喪失を招く。