うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『スノーデン 日本への警告』スノーデン ――知識は無知を制する。そして自らを律しようとする市民は知識が与える力で武装しなければならない

“Knowledge will forever govern ignorance, and a people who mean to be their own governors, must arm themselves with the power knowledge gives.”
― James Madison

 

 

 スノーデンが暴露した大量監視システムに関する話題を中心に、民主主義社会における監視と自由の平衡について検討する。

 前半部はスノーデンへのインタビュー、後半はアメリカで活躍するプライバシー専門弁護士や情報機関専門ジャーナリストらの対談からなる。

 

 ◆所感

 日本でも勤務経験のあるスノーデンのインタビュー集。

 さらに詳しい自伝が少し前に最近発売された。

Permanent Record (English Edition)

Permanent Record (English Edition)

 

 

 

  ***

 1 スノーデン 日本への警告

 自身の生い立ちからリークの概要、日本の現状に対する警告まで。

 かれは連邦職員や軍人の一家に生まれ(祖父は沿岸警備隊の少将である)、当初はテロとの戦いイラク戦争にも賛同し、国家に奉仕したいと考えていた。

 しかしNSAの実態を目の当たりにし考えを変えたという。

 

 ――民主主義とは政府の正統性の根源です。国民は、国のあるべき方向を選択して選挙で投票し、結果として統治される国民の総意として選ばれたという事実が政府の正統性の由来です。もし投票するために十分な情報が開示されていなければどうでしょうか。さらには政府が実施する施策について情報を隠し、嘘をついているとなればどうでしょうか。このことは国の民主主義の将来にとってどのようなことを意味するでしょうか。

 

 操作監視の手法

・軍事的ターゲットの監視

・政治的外交的経済的ターゲットの監視

・大量無差別監視

 

 テクノロジーの発展と企業の協力により、嫌疑のない人間に対する、正当な手続きなしの大量監視が行われていることをかれは明らかにした。

 リークは大きな議論を呼び起こし、大量監視を規制する方向へと法改正が行われた。

 犯罪者やマフィア、テロリストだけでなく、人権活動家や平和運動家も英米の監視対象になっていることを暴露された。

 日本はITインフラを米国に依存しており、また米国政府と情報共有を行っていることから大量監視が行われている可能性が存在する。

 

 ――社会で最も凶悪な人間を弁護することができなければ、社会で最も弱い立場にある者を弁護することもできません。なぜなら、批判されている人や、脅迫を受けている人こそ、最も弁護することが困難な存在だからです。

 

 大量監視を含めた政府による人権侵害を防ぐには、暗号化といった技術面も重要だが、それ以上に「政治的な状況や、私たち自身の無関心と知識の欠如がもたらす脅威に目を向ける必要が」ある。

 

 ――……政府が情報を機密とする権限は本質的に民主主義にとって危険なものであり、極めて厳格なコントロールが不可欠です。……実際にアメリカでは、政府の機密特権のために統治の機能が深刻な被害を受けています。

 

 ――ある政策が適切なのか、信頼できるのか、正しいのかといったことは、ジャーナリストが知るべき事実です。政策がどのように実施されているかを知ることも大変重要です。

 

 ――民衆が政策に反対しているのに、政府が民意を無視することをなんとも思っていない時にはとりわけ危険です。……政府が「世論は関係ない」「三分の二の国民が政策に反対しても関係がない」、「国民の支持がなくてもどうでもいい」と言い始めているのは、大変危険です。

 

 スノーデンは日本国内の状況についてもある程度知っているらしく、マスコミが委縮し自己規制する現状を指摘する。

 

 ――政府は自分たちの持つ地位と権力を理解しています。

 

 ムスリムであるというだけで日本では公安警察が監視を行っている。

 

 ――アメリカ政府には、人を殺しません、拷問はしませんという以上のことを約束する政府であってほしいと思います。

 

 メディアの役割とは……情報を提供し、分析し、判断すること。

 プライバシーとは、自分が自分であるために必要な権利である。

 大量監視の弁護者は「隠すことがなければ恐れる必要はありません」と答える。

 

 ――プライバシーとは、悪いことを隠すということではありません。プライバシーとは力です。プライバシーとはあなた自身のことです。

 

 日本は顔や名前を隠したりするなどプライバシーに敏感な国のはずである。

 

 ――隠すことがなければプライバシーの権利を気にする必要がないというのは、話したいことがなければ言論の自由は必要ないというのと同じくらい危険なことです。弱い立場に陥る可能性を想像する必要があります。

 

 ――すべての権利は守られなくてはなりません。あなたが安倍晋三首相であれば言論の自由など必要ないでしょう。あなたにこれを言ってはいけないなどという人はいませんし、多くの権利や特権を持っていて、しかも多くの点で多数派に属しているためです。権利は少数派を擁護するために存在するということを覚えていなくてはなりません。

 

 ――私のような一般人たちは法律を破れば厳正に処罰される一方、権力をもった官僚は同じように法を逸脱しても、国家安全保障のためであるなどと言い逃れできてしまいます。……すなわち、法律に反しても政府の関係者であれば免責されるということになれば、自由社会にとって回復できない打撃になるでしょう。

 

 ――権力者が自らを罰することに積極的になるはずがりません。「これは恥ずかしい過ちだったね。ぜひ記事にしてください」などという政治家はいないでしょう。……シンプルなことです。民主主義においては、市民が政府に法律を守れと癒えなければならないのです。

 

 関心を持ち、自分の権利を守ろうとすること、政府が適切に運営されるよう監視することが重要である。

 

 

 2 信教の自由・プライバシーと監視社会

 パネリストによる討論。

 

・大人数の秘密警察を動員して、厳選したターゲットを尾行する時代から、安価な装置で大量に監視を行える時代になった。

・監視能力を悪用する権力者の例としてトランプがあげられている。しかし、監視プログラムの強化は冷戦時代から始まっており、ブッシュ、オバマと強化される一方である。

ムスリムに対する監視やモスクへの工作員浸透、周辺施設の監視などは、アメリカの黒歴史である日系人収容と同じことを行っている。

青木理氏は自らの取材経験をもとに日本の情報機関の代表たる公安警察について説明する。現在、公安警察の第一標的はムスリムである。

ホロコーストの経験から、ヨーロッパは合衆国以上に、政府が個人情報を収集することに否定的である。

・大量監視システムは合衆国憲法に照らすと違憲の可能性が高い。

・情報機関による監視を監督する機能の1つは、独立したメディアである。日本では、警察などの監視活動を監督する活動はほぼ皆無に近い。

・日本はジャーナリズムの意義をあまり理解していない。後藤健二がシリアで殺害された後、政府はシリア入りしようとしたジャーナリストのパスポートを没収した。一方、合衆国ケリー国務長官は次のようなコメントを掲載した。

 

 ――危険地で取材するジャーナリストの危険性をゼロにすることはできない。唯一の方法があるとすれば、それは沈黙することだ。しかし、沈黙は独裁者や圧政者に力を与えることになるから、それはするべきではない。政府にできることがあれば言ってほしい。

 

 青木氏は次のように指摘する。

 

 ――……紛争地取材にあたるジャーナリストを「自己責任だ」などと言って切り捨ててしまうという風潮が強まれば、僕たちは紛争地の真実を知ることができない。あえて攻撃的に言えば、この程度の市民があってこそ、この程度のメディアと言えるのかもしれません。

 

・性犯罪者出所後の住所開示は統計上ほとんど効果がない。

 

・ジェームズ・マディソン大統領のことば:

 

 ――人びとが政府のことについてすべてのことを知っていること、これが民主主義だ。政府が多くのことを知っているが、人びとが政府のことを知らない、これは専制政治である。

 

 

 3

 合衆国社会は歴史上もっとも安全な状態にある。テロの脅威を煽ることで政府が何をしようとしているのか見極める必要がある。

 

 ――アメリカでは、政治的リーダーがテロの脅威について言及すると、力強いと賞賛されます。……強さは、勇敢さや恐怖に立ち向かう姿勢をもとに判断すべきです。私たちの政治制度では、すべての政治的なインセンティブが、恐怖を煽る人に見返りを与え、沈黙を推奨する人には罰を与えるように機能しています。

 

 トランプ政権の行いは人びとを抗議活動に駆り立てた。

 

 ――人びとは、市民であるためには、夜テレビでニュースを見てフェイスブックに投稿する以上の義務があることに気づき始めたようです。……民主主義社会では単に過去から受け継いだものの上であぐらをかいているだけではいけません。民主主義には行動する責任が伴うのです。

 

 

『僕は少年ゲリラ兵だった:陸軍中野学校が作った沖縄秘密部隊』NHKスペシャル取材班 ――我が国の少年兵政策

 沖縄戦時、北部でゲリラ戦を強いられた少年兵たちがいた。

 NHKの取材班は、生き残った当時の人びとを取材しその全貌をつかもうとする。

 新潮文庫版は『少年ゲリラ兵の告白』という書名に変わっている。

 

 ◆所見

 小野田氏で有名な陸軍中野学校二俣分校が主役の本である。

 二俣分校は遊撃戦専門家を育成しており、太平洋戦線や沖縄など各地に指導のため出身者が派遣された。

 

 中野学校には正規軍とは異なる謎めいたイメージがある。

 しかし本書において護郷隊……少年兵を指導する出身者たちは、日本軍の精神主義や非合理性を濃縮したような存在である。

 これは光人社陸軍中野学校』に書いてあるように、教育の根底にあるのが非常に強烈な愛国教育であることに由来するのだろう。

 子供を教育する手段は恐怖と暴力だった。紛争国の少年兵やISIS、左翼ゲリラと教育訓練手法が似ており、また招集自体が当時でも違法だった。

 弱者が抵抗する方法として持久戦やゲリラ戦は非常に有効である。よって、根絶するのは容易ではない。

 日本軍が後世まで指弾される原因は、もっと大きな目的や意図、戦略における失敗にある。

 

 

  ***

 1

 沖縄戦に備え、参謀本部は遊撃戦部隊の編成を命じた。それが第一護郷隊と第二護郷隊である。

 護郷隊の編成には中野学校出身者と、中野学校二俣分校(遊撃戦教育)出身者があてがわれ、将校・下士官が沖縄に派遣された。

 遊撃戦の方法は既に研究されており、「戦闘教令」を参考に教育訓練を行った。

 中野学校出身者たちは、沖縄県北部の市役所に指示を出し、13歳~17歳の少年たちを招集した。これは、当時の兵役法や義勇兵役法に照らしても明確な違法行為だった。

 護郷隊の人数は約1000人である。

 

 

 2

 第一護郷隊の記憶について。

 少年たちはゲリラ戦教育を受け、上陸した米兵と戦闘した。脱走しようとした少年は銃殺刑になった。

 米軍宿営地の夜襲、燃料・弾薬爆破工作、待ち伏せ攻撃など。

 

 

 3

 第二護郷隊生存者の回想。

 将校たちの教育は、まさに恐怖と暴力による洗脳である。教義の暗唱、ビンタ、殴打によるしつけが行われ、子供たちの精神は麻痺していった。

 生き残りによれば、米兵を殺すこと、戦うことよりも、上等兵や教官に殴られる方が恐ろしかったという。

 ミスした少年を、別の少年たちに殴らせた。

 少年たちは体格や素養に応じ、情報班、偵察班、司令部要員などに分かれた。

 民間人のふりをしてキャンプに入り、夜間に米兵テントに擲弾筒を投げ込んで逃げた。

 爆弾を持って特攻することになったが、これは中止になった。

 五月末に恩納岳の戦いが起こり、その後組織的抵抗が終わった。

 

 

 4

 久米島作戦……各離島においてゲリラ活動を主導するため、中野学校二俣分校出身の工作員が派遣された。

 かれらは身分を隠し潜入し、島民を指導し義勇兵を組織した。

 久米島にやってきた出身者は、教員になりすました。かれは戦後米軍に連行され、そのときに「残地工作員」――米軍占領後も残ってゲリラを組織する要員――であることが明らかになった。

 

 

 5

 ゲリラ戦計画は、本土決戦にも含まれていた。

 『国内遊撃戦ノ参考』や、関係法令について。

 中野学校出身者が各上陸予想地点に配備された。

 中野学校は元々、諜報・謀略・宣伝・防諜が任務だったが、二俣分校は特に遊撃戦指導者育成のため、座学・計画立案・スリ技術・破壊工作などを教育した。

 

 中野学校の教え……生き残って持久戦をすること。国の為に悪いことをしても許される、特別に悪いことをする。

 

 ――……体にうじがわくでしょ。そのうじを、鉄棒に集めて、洗って、そして、煎って食べる。火を焚いて。雪隠食いって、こっちでは。うんこの中のうじ虫やら、屍体に出てたやつ。それを洗ったりできる体のもんは助かっておるわけや。ひもじいからそのまま食べたやつはみんな、マラリアやら下痢で死んでいっちょるわけだよ。

 

  ***

 本土決戦では、建前では水際決戦、攻撃主義を推進していたが、実際には、米軍が日本軍を打ち破るだろうと想定し、ゲリラ戦の準備も進められていた。

 

 

 
 ◆参考

the-cosmological-fort.hatenablog.com

the-cosmological-fort.hatenablog.com

 

the-cosmological-fort.hatenablog.com

the-cosmological-fort.hatenablog.com

the-cosmological-fort.hatenablog.com

 

『東本願寺三十年紛争』田原由紀雄 ――寺の内部抗争について

 東本願寺紛争とは、1969年ごろから表面化した、「宗門の天皇家」大谷家――親鸞の血を引く一族であるーーを中心とする伝統擁護派と、「同朋会運動」を中心とする改革派との争いである。

ja.wikipedia.org

 

 本願寺は、親鸞没後、関東の有力門弟が京都東山・大谷に寺を建てたのが起こりである。親鸞以後、3世覚如から代々血脈信仰が受け継がれてきた。

 秀吉と和睦した顕如教如に跡を継がせたが、母に退けられ代わって准如法主となった。これが西本願寺である。一方、隠退させられた教如徳川家康に請願し開いたのが東本願寺である。

 設立の経緯から、西本願寺は朝廷・長州藩石山合戦の際に毛利水軍の支援を受けていた。また、禁門の変では志士たちを寺に匿った)との、東本願寺は幕府との結びつきが強かった。

 

 明治以降、東西両家ともに、天皇家や皇族との婚姻に成功し、権威を強化させた。

 本願寺では、親鸞の血をひく「法主」(現在は門主)が絶大な権力を持つため、天皇制にたとえられている。

 

 本書では、東本願寺紛争を、戦前の法主、光暢時代までさかのぼって説明する。

 

 

 ◆メモ

・血脈信仰は仏教にもその起源を持っている。

・本書における法主の位置づけは、ミニ天皇・ミニ専制君主である。「法主と内局は対等ではないから対話は生じない」、「法主は超法規的な存在である」等、教団が特異な組織であることを浮き彫りにする。このような絶対的人間に服従する宗教には違和感を覚える。

・敗戦後まもなく、本願寺の宗憲が新憲法にならい、より民主的なものに改正された。天皇制と本願寺における法主制との対比は、事実に基づくものである。

・仏教集団という非常に保守的な団体のなかでもこのような改革運動と紛争が存在した。しかし、根本的な問題は、そもそも仏教に接する人びとが減り続けている事実である。高齢者が減っていき、若い人びとが宗教に無関心になれば、仏教そのものがやがては滅亡するだろう。

 

 

  ***

 1

 1969年、法主光暢は、内局(実務を統括する内閣相当の部署)に協議せず、独断で管長(門下の寺の統括役)職を長男の光紹に譲った。これまで、法主は、法主東本願寺住職・管長の三役を兼務し、「三位一体」を不文律としていた。

 光紹は京大卒・米留学経験ありの華々しい人物だったが、吹原詐欺事件の吹原被告をブレーンに抱え、その人物が頻繁に寺に出入りしていた。

 内局は、光紹の管長就任を拒否し、一族と内局との抗争が始まった。

 

 腐敗した教団に対する内部の改革運動は明治期からあったが(清沢満之など)、戦後、同朋会運動が中心となって、教団の改革を提唱した。同朋会は、改革派の代表的人物である訓覇(くるべ)が内局宗務総長に就任してから創始された。訓覇は、徳川による支配の道具となった寺請制度・本末制度・檀家制を批判し、清沢教学を範として本願寺を改革しようとした。

 ところが同朋会の隆盛にともなって、法主がお礼(現金)を受け取る機会などが減り、地位が低下していった。これに、大谷家、保守派が反発し、管長譲位事件(開申事件)で対立が表面化した。

 大谷大学にいたっては、学生たちが「真宗の教えと相容れない法主制の廃止」を訴える事態となった。

 

 血脈(けつみゃく、けちみゃく)信仰は仏教界で広く行われている。

 本願寺では、蓮如による組織拡大以降、代々の法主がカリスマ的な運営を行ってきたため、こうした改革派の反発は教団に衝撃を与えた。

 

 

 2

 法主ら保守派と改革派との対立は、本願寺所有地での霊園建設問題をめぐってさらに深まった。この問題には詐欺容疑の吹原被告が関与していた。

 法主による親政か、内局による民主的運営かをめぐって東本願寺は二分された。この争いはマスコミの話題になり、結局、旧態依然とした法主側が譲歩し、「君臨すれども統治せず」の立憲君主的役割になることで決着した。

 

 戦前には、新門光紹が道を歩くと、「親鸞の子孫、皇族の親類」ということで市電が停止した。

 しかし、光紹は親との折り合いが悪く、代わって四男の暢道が台頭したが、かれは遊び癖があり金銭問題に悩んでいるようだった。

 

 

 3

・光暢法主と息子暢道による5億円手形払い出し事件は東本願寺の金銭スキャンダルを再燃させた。戦前には句仏法主が営利事業を展開し借金を抱えるなどの事件が起きていた。

・峯藤宗務総長と光暢法主・暢道側は激しく対立し、寺務所ロックアウト等が発生した。

本願寺の敷地や施設が差し押さえされ、人の手に渡ってしまった。

法主の独断専行により保守派は徐々に議会で劣勢になっていった。

 

 ――保守派の議員たちには何の相談もなしに、宗政上の重要決定を下し、いきなり記者会見で発表することなど日常茶飯事。それに加えて、相次いで表面化した法主本願寺財産をめぐるスキャンダル。

 

 法主・暢道側は、本願寺真宗大谷派から離脱させるという通告を出した。これによって、本願寺の財産を、教団に制約されることなく処分でき、また末寺を引き入れることで教団を無力化することができるはずだった。

 

 光暢法主・暢道たちは、詐欺師や悪徳会社に次々とたぶらかされ、巨額の借財に苦しんでいるようだった。

 

 

 4

 法主の、教団からの離脱宣言後まもなく、本願寺の土地である「枳殻邸」(きこくてい)を第三者に権利委譲しようとしていることが発覚した。

 内局は抗議したが、光暢法主は、これは本願寺の財産であり、既に無関係の教団が関知できることではないと反論した。

 このときには、保守派も大谷家を見放していた。

 峯藤宗務総長ら内局側と法主側は、法廷で争った……光暢らによる背任容疑による告訴。

 

 

 5

 検察が光暢・暢道氏の側近を背任・横領容疑で逮捕し、本人たちも事情聴取を受けるようになり、内紛の行く末は決まった。

 法主側は、逮捕されるという恐れに屈し、内局に和解を申し入れた。結果、法主の権限は大幅に縮小され、象徴天皇的な地位となった。

 

 司法は宗教問題に介入することに及び腰であり、また大谷家は天皇の縁戚でもあったため、国は消極的だった。

 

 

 6

 光暢門主とその裏方が死に、紛争は内局側が勝利しつつあった。しかし、長男光紹氏が独立させた東京別院東本願寺浄土真宗東本願寺派として分裂した。

 新しい門主として業成氏が選ばれたが、内局と、業成門主の父暢順(光暢の次男)との間で再び確執が生じた。

 

 

 7

 門主の父暢順氏が理事を務める本願寺維持財団が、内局に断りなく京都駅前の敷地を近鉄百貨店に売却したため、問題になった。それ以前から、暢順氏がワンマン経営を行う財団と、内局との関係は、険悪なものだった。

 96年、暢順・業政、その次男の父子3人はそろって(彼ら個人の)宗派離脱を宣言した。

 

 

 8

 宗派に残った大谷家の継承者は、三男暢顕氏だけだった。かれは象徴としての門首の地位を受け入れた。

 

 東本願寺の内紛は、戦後の社会変化と連動していた。

・家単位の宗教から、個人の自覚による宗教へ

・農村を基盤にした社会から、都市部への人口集中へ

・家制度が崩壊し、兄弟は皆平等となり、子は家長から独立する

・戦前の特権……華族爵位の無力化

 

東本願寺三十年紛争

東本願寺三十年紛争

 

 

明治時代を考えたい / 中国のIT産業

 ◆明治時代について調べる

 石光真清という明治時代の陸軍人の本が面白いと聞いたのでまとめて買った。

ja.wikipedia.org

 (実際は古本で買った)

 

 

 ◆女工と紡績工場

 野麦峠も名前は知っていたが、つい最近読み始めた。

 

あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史 (角川文庫)
 

 

 

 ◆日露戦争関係

 買ったはいいがまだ埋もれていた。

 ロシア側の史料に関する本で、翻訳者はジョージ・ケナンバクーニンなど古い本も日本語化しているようだった。

 

 

 ◆中国のIT産業について

 まとまった本を読んだことがなかったので最近急いで読んだ。

 中国ではアメリカのインターネット発展のすぐ後を追うように産業が成長しており、技術・普及度の双方で非常に高いレベルにある。

 歴史上、ほぼすべての国や政府は非民主的・圧政的であり、新しい技術や産業・文化がそこから生まれてきた(古代ギリシア、エジプト、インド、中国、アメリカ、欧州その他)。

 その事実に目をそらしては正しい現実認識はできないのではないか。

 ドイツやフランスから雇った学者が、明治時代の軍制や法律、機械工業の基礎をつくった。その間、この2国はアフリカや中国で狩りと称して現地人を射撃していた(※ 義和団事件に関する史料から引用)。

 

・テンセントなどの新興インターネット企業は、かつてチャイナモバイルなど国有通信事業者の圧力を受け、これをかわすというやり取りを繰り返してきた。

・ファーウェイ、テンセント、アリババいずれも民間企業であり、直接的な国家の統制や経営介入を受けているわけではない。中国の資本主義システムはそのようなマンガ的なものではない。

 ・『テンセント』の著者は中国在住の研究者だが、天安門事件や政治的要素に触れられない検閲の跡が明らかにみられる。しかし、そうした箇所以外は、アメリカでよく売れているIT・テック系の評伝とほぼ内容・質ともに変わらない。

 

 ネットカフェを中心に発展した中国のインターネット産業に関する記述を読んで、自分の10年前、20年前の生活と通じる点が非常に多いと気が付いた。

 

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