うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『タテ社会の人間関係』中根千枝 ――ルールではなく人に従う

 日本論の古典の1つだという。

 本書の目的は、現代日本社会を社会人類学によって分析し、それがどのようなものかといった理論を提示するものである。

 

 ◆所見

 本書で考察されている企業(一体感、家族ぐるみ)の様子は、一昔前のものである。しかし、現代にも通じる箇所がある。

 日本の社会構造が他の文化と全く異質なのではなく、ある程度の共通点もある。タテ社会の構造は近代的な官僚制と類似しており、また家族を含む共同体的な思考は、米軍においてもよく見られる特徴である。

 

 本書が書かれた時代からだいぶ状況は変わったが、序列を重視する思考や、コミュニケーションを拒む「ウチ/ヨソ」の意識は現在でも強く残っていると感じる。

 

 問題は、感情的な上下関係を作りやすい傾向、論理よりも組織の和を重視しやすい傾向、従属的な傾向が、わたしたちの社会にマイナス効果を及ぼしている点にある。

 軍におけるタテ構造に関しては、果たしてそれが親密さだったのかは疑わしい。

 

 

  ***

 1 序論

 日本が西欧に倣い近代化したからといって社会構造も西欧化したわけではない。著者は、西欧を基準に用いない社会人類学的手法によって日本社会の分析を試みる。

 ここで対象となる社会構造とは、表面的な組織・制度の背後にある、より抽象的な個人・集団の関係性を示す。この構造は、時代が変わっても最も変化しにくい部分である。

 

 

 2 場による集団の特性

 個人は必ず資格(属性)と場による社会集団・階層に属している。インドは極端に資格を重視し(カースト)、日本は場を重視する。

 日本では自分の技能ではなく所属する会社名を重視し、また会社は自己の社会的存在のすべてである。これはかつての家制度と同じく、場を重んじる風習からくる。会社は枠という集団を構成し、一族郎党的な一単位として認識される。

 枠としての集団は成員の全生活・人格に浸透し、成員に対し一体感を強いる。家制度の要素は企業にも受け継がれ、特に大企業において、従業員を家族とみなし、実際に家族生活にも介入する傾向が顕著である。

 農村の閉鎖性と企業の閉鎖性とは類似する。

 

 ――エモーショナルな全面的な個々人の集団参加を基盤として強調され、また強要される集団の一体感というものは、それ自体閉ざされた世界を形成し、強い孤立性を結果するものである。

 

 こうした結束と孤立によって、ウチの者、ヨソの者という差別意識が生まれる。この意識はときに、ヨソ者を人間とみなさない思考につながる。

 

 ――実際、日本人は仲間といっしょにグループでいるとき、他の人びとに対して実に冷たい態度をとる。相手が自分たちより劣勢であると思われる場合には、特にそれが優越感に似たものとなり「ヨソ者」に対する非礼が大っぴらになるのがつねである。

 

 日本人社会は例えばインドに比べて非常に単一的であるからこそ、我々は「ウチの者」意識を常に強調しなければならない。

 

 ――日本人同士が偶然外国で居合わせたときに起こる、「冷たさ」を通り越した「いがみ合い」に似たあの「敵意」に満ちたような視線のやりとりは、まったくお互いにやりきれないことだ。

 

 社交性とは、異なる個人に接したときにうまく振舞うことであり、個人の同質性を強制する枠のなかでは社交性は発達しない。

 日本人の集団……会社、学者、政治家はローカリズムと田舎者根性に陥りがちである。

 年功序列は制度化されていると同時に心性にも組み込まれているため、転職は日本人にとって大変不利である。年数を経れば経るほど、その損失コスト(年次)のために転職は困難になる。枠の集団では日常的な・直接的な接触が親密さの基準となるため「去る者は日日に疎し」となり、離れた知人は疎遠となり、海外赴任者は忘れられる。

 ハワイ、ブラジル移民たちは念願かなって故郷に帰ると村民から冷たくあしらわれたという。

 

 反対に、海外の日本人コミュニティは日本の社会構造を凝縮したものとなる……所属機関や年次による格付け、何事も寄り合いで決める、枠をはみ出た個人に対する糾弾等。

 

 ――さらに注目すべきことは、こうした日本人コミュニティというものが、現地の社会(それがアジア・西欧であるとを問わず)からひどく浮き上がっていることである。

 

 これが、場とそれを基盤にした枠に強く支配される日本人社会の特徴である。

 

 

 3 タテ組織による序列の発達

 組織には統制が必要であり、必ずタテとヨコに広がっていく。ヨコはカースト制や階級に、タテは親分・子分制や官僚組織に代表される。

 日本の組織は序列偏重(年功序列、入社年次等、生年)だが、これは人はだれでも同じ力を持っているという能力平等観に基づく。学歴偏重は、個々人の能力評価を行わない点で、この能力平等観に基づいている。

 

 ――日本において、民主主義・社会主義がしばしば混乱を招く1つの原因は、社会主義の国々においてさえ認められている能力差すら認めようとしない点にあるといえよう。

 

 日本では個人を組織化する場合、能力差や資格差ではなく序列を使いがちである。能力評価が存在しないわけではなく、一定の序列の枠の中で働いている。

 日本の序列意識は大変根深く、席次、敬語の用法などに浸透しており、また作家や俳優、芸人といった能力依存型の職業であっても先輩後輩関係に貫かれている。中国、インド、チベットでも長幼の序はあるが、討論などでは自由に意見を述べる。

 本書では、ビルマで収容された日本兵捕虜の例をあげ、日本軍はタテのつながりがつよく、将校と兵が親密であったため、将校たちは自分たちだけが良い待遇を受けて苦しんだ、と書いている。

 しかし英米軍に比べて、日本軍では将校と兵がより親密だったようには感じられない。この点はほかの本で調べる必要がある。

 

 

 4

 タテを基盤にした社会構造は、カーストや階級など横断的な層化ではなく、企業別・学校別のような縦断的な層化である。

 日本は人間平等主義に基づいており、階層の流動性は非常に高い。どんな家の生まれでも東大に入れば東大閥だが、イギリスではそうはいかない。名家が長く続くことは少なく、富豪の多くは新興の者である。

 タテを基盤にした社会では上へ行く運動が激しいため、下層にとどまることは非常にみじめなこととされ、またカーストと異なり、下層のなかでの連帯もない。社会は縦割りとなり、同業者、同僚、同種の者が敵となる。企業では分業が行われず競合しがちである(ワン・セット主義)。

 タテ割の集団が孤立して並立しているため、中央集権的な政治組織が発達した。日本人は権力に弱く、同時に上からの命令に反発を覚える(本当か?)

 

 

 5

 タテ集団の特徴:

・リーダーは1人であり、その構成員とはピラミッドを通じてつながる。リーダーの交代は困難である。

・組織が個々人の人間関係に強く影響を受けやすい。分裂やお家騒動が起きやすい。

・タテ集団の典型が官僚制であり、セクショナリズムである。よって、日本のタテ集団は近代的でもある。

・ヨコの連携が困難であるため、集団の合併は困難をともない、しばしば一方による吸収となる。

・論理ではなく力関係、人間関係に基づいた派閥、党中党が生じやすい。

 

 

 6

 タテ集団でのリーダーシップはピラミッドの制限を受けるため、リーダーが直接指示できるのは幹部だけである。幹部同士はお互いに配下を抱えているためかれらの利害を調整しなければならない。

 全成員に対し強い権限を発揮する独裁者は、日本型リーダーの対極にある。

 劣ったリーダーは部下を監督する(ディレクターシップ)ことすらできず、幹部に引きずられ、セクショナリズムを抑えることができない。

 

 ヒトラームッソリーニと、東条英機とは、お互い全く質の異なる指導者である。

 

 日本的事情の反動として、資質のない「ワンマン」リーダーが出現すると権力の不当行使が行われ、悲劇が生じる。

 

 ――とにかく、痛感することは、「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むのでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である「人」には従ったり(人を従えたり)影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである。

 

 稟議制に代表される組織では、上に立つ者がバカでも問題ない。頭がキレるリーダーはかえって部下の存在意義を低下させる。

 

 ――天才的な能力よりも、人間に対する理解力・包容力をもつということが、何よりも日本社会におけるリーダーの資格である。

 

 日本は老人天国だが、それはその老人が社会的実力(子分)を持っているからであって、そうした実力のない老人に対してわれわれは非常に冷たい。

 

 ――日本の組織というのは、序列を守り、人間関係をうまく保っていれば、能力に応じてどんなにでも羽をのばせるし、なまけようと思えば、どんなにでもなまけることができ、タレントも能無しも同じように養っていける性質を持っている。

 

 リーダーに求められるのは本人の能力よりも、自分の兵隊をうまく指揮し、かれらの能力を引き出させる能力である。

 

 

 7

 タテ組織の反対にあるのがヨコ組織(親類縁者、同階級)であり、もう1つが「コントラクト」関係である。

 

 コントラクト関係は日本にまったく欠如しているものである。これは仕事のために契約するという概念が希薄で、感情的な人間関係にもとづいて仕事をするということである。

 欧州の調査団は、団長が契約に基づき他人を雇いリーダーシップをとるのに対し、日本は団長と親しい部下たちがメンバーを構成し、チームの和を維持していく。こうした関係の象徴は政治家集団ややくざである。

 

 ――親分・子分関係の強さ、エモーショナルな要素は、弱い者にとって安住の世界をつくっている。

 

 多くの仏教集団や新興宗教は、強力なタテの関係(親分子分、親子)によって結束している。

 人同士の関係が基礎を形作る社会では、対人関係がその人間の価値や思考を決める。集団のメンバーは考え方も人格も似通ってくるが、この強制に耐えられない者は集団から排除される。

 

 ――……日本人の価値観の根底には、絶対を設定する思考、あるいは論理的探求といったものが存在しないか、あるいは、あってもきわめて低調で、その代わりに直接的、感情的人間関係を前提とする相対性原理が強く存在しているといえよう。

 

 弊害……参考にならない書評、先輩に意見できない会議、非難があっても批評がない。論理より感情優先。

 

 おわりに

 日本社会を貫く非公式的組織習性の根底にあるのは、日本の単一性ーー圧倒的多数の同一民族からなる同質的な社会――である。よって本書が提示する理論は、「単一社会の理論」であるともいえる。

 

 

『自省録』マルクス・アウレーリウス その2 ――生きているうちに、許されている間に、善き人たれ

 

 5

 重視するべきなのは次の精神である……「誠実、謹厳、忍苦、享楽的でないこと、運命にたいして呟かぬこと、寡欲、親切、自由、単純、真面目、高邁な精神」

 恩を売るようなことは慎むこと。

 すべてを与えられたものとして受け入れること。

 人間にとって自然なものは、本性に根差したものであり、すなわち善がそこにある。

 

 ――君の魂の指導理性(ト・ヘーゲモニコン)であり支配者であるところのものは、君の肉の中に起こる剛柔の動きに、泰然自若としていなくてはいけない。

 

 

 6

 ――もっともよい復讐の方法は自分まで同じような行為をしないことだ。

 

 ――我々とともに競技をしているともいうべき人たちにたいして、多くのことを大目に見てあげようではないか。なぜなら私のいったように、人を疑ったり憎んだりせずに避けることは可能なのだから。

 

 ――あらゆることにおいてアントーニーヌスの弟子としてふるまえ。

 

 アジア、ヨーロッパは宇宙の片隅、「現在の時はことごとく永遠の中の一点」である。

 

 ――あらゆるものは小さく、変わりやすく、消滅しつつある。

 

 ――名誉を愛する者は自分の幸福は他人の行為の中にあると思い、享楽を愛する者は自分の感情の中にあると思うが、もののわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである。

 

 

 7

 ――人に助けてもらうことを恥ずるな。

 ――万物は互いにからみあい、その結びつきは神聖である。ほとんどひとつとして互いに無関係のものはない。

 ――幸福(エウダイモニアー)とは善きダイモーン、または善き指導理性のことである。

 ――想像力を抹殺せよ。人形のように糸にあやつられるな。時を現在にかぎれ。

 ――(アンティステネースから)「善事をなして悪くいわれるのは王者らしいことだ」

 

 理性的動物である人間の特徴……社会性、肉体的欲情に対する抵抗力、そして思慮深さである。

 

 ――ゆえに君の指導理性をして以上の特徴を固守せしめ、まっすぐ道を歩ましめよ。そうしてこそ君の理性は自分の本分を全うするのである。

 

 ――処世術は舞踏よりも角力(すもう)に似ている。なぜならそれは攻撃、しかも全く予期せぬような攻撃にたいしても用意して、びくともせずにかまえていなくてはならないからである。

 

 自分の心を平静に保ち、周囲の物事に関して正しい判断を下すこと。

 

 ――まことにすべて生起する事柄は神または人間に関係の深いもので、新しくもなければ扱いがたくもなく、親しみ深く処理しやすいものである。

 

 ――笑止千万なことには、人間は自分の悪を避けない。ところがそれは可能なのだ。しかし他人の悪は避ける。ところがそれは不可能なのである。

 

 ――君が善事をなし、他人が君のおかげで善い思いをしたときに、なぜ君は馬鹿者どものごとく、そのほかにまだ第三のものを求め、善いことをしたという評判や、その報酬を受けたいなどと考えるのか。

 

 

 8

 哲学者は理想の生き方である。しかし哲学者に慣れなかった以上、自らの信条(ドグマ)を持ちこれに従い生きるのがいい。信条は善悪に関するもので、具体的には節制、雄々しさ、自由などが善にあたる。

 読書はある程度の役に立つ。しかし著者は読書と距離を置いている。

 他人の精神について考えること。

 

 ――なんぴとにでくわそうとも、ただちにまず自問せよ。「この人間は善悪に関していかなる信念を持っているか」と。

 

 ――……自分の指導理性(ト・ヘーゲモニコン)を健全に保つことで、これがいかなる人間にたいしても、また人間に起こってくるいかなる事柄にたいしても嫌悪の念を抱くことなく、あらゆるものを善意にみちた眼でながめ、あらゆるものを受け入れ、各々その価値に従って利用するようであってくれればそれがわたしの喜びなのである。

 

 

 9

 不敬虔なもの……不正、嘘つき、快楽追求

 

 ――働け、みじめな者としてではなく、人の憐れまれたり関心されたりしたい者としてでもなく働け。

 

 あらゆる煩労は「内部に、わたしの主観の中にあったのである」。

 神々は何ができるのかと問い、神々にたいしては、自分の理性を維持できるよう祈るべきだと答える。

 厚顔無恥な人間、悪党、ペテン師、ありとあらゆる悪者に腹をたてないこと。

 

 ――その人間は世の中に存在せざるをえない無恥な人びとの一人なのだ。

 

 無作法者は無作法者として行動するからそれを予期しなければならない。

 

 ――人に善くしてやったとき、それ以上のなにを君は望むのか。

 

 親切は容易に奢りと傲慢に陥ってしまう。

 

 

 10

 すべての出来事はあらかじめ定められている。

 

 

 11

 死について、キリスト教に言及する箇所がある。

 

 ――(魂が肉体から離れる)準備ができているというのは、自己の内心の判断から出るべきであって、(キリスト教徒のごとく)単なる反抗からであってはならない。それは思慮と品位とを備うべきであり、他人をも納得させようとするならば、芝居がかったところがあってはならない。

 

 ――君の仕事はなにか。「善き人間であること。」

 

 ――狼の友情ほど忌むべきものはない。……善き人、誠実な人、親切な人はそれらの特徴を眼の中にそなえており、それは人に気づかれずに済むものではない。

 

 

 12

 

 ――各個人の叡智は神であり、神から流れ出たものであることを君は忘れている。またどんなものでも人間の個人的な所有物ではなく、人の子供、肉体、また魂さえも、神からきたものであること、すべては主観にすぎぬこと。各人の生きるのは現在であり、失うのも現在のみであること。

 

 

『自省録』マルクス・アウレーリウス その1 ――生きているうちに、許されている間に、善き人たれ

 2世紀のローマ皇帝によるメモ。マルクス・アウレーリウスの治下は戦争が絶えなかった。

 

 エピクテトスストア哲学から強い影響を受けている。セネカエピクテトスマルクス・アウレーリウスらの後期ストア派は、宗教的色彩を帯びており、「哲学は初期の人びとの場合のごとくなんの欠乏も感じない精神の自由な活動にあらずして、道徳的感情的渇望を満足させる方法」との傾向を持つ。

 

 ストア哲学は物理学、論理学、倫理学からなる。

 宇宙はひとつであり神も物質もひとつである。また人間は肉体、霊魂、叡智(指導理性)からなる。指導理性は宇宙を支配する理性、つまり神の一部であって、これをダイモーンという。

 

 この信念から導かれる義務観念……敬虔、社会性、自律

 

 

 ◆メモ

・神は漠然とした存在であり複数なのだろうか。

・ダイモーンは、人間のなかに宿った神の一部であり、人間を導く指導理性(ト・ヘーゲモニコン)である。

 指導理性……人間を正しく導くもの。人間の自然に備わっているもの。

 善……他のギリシア思想家と同じく、善とは何か、善の追求に対し執着する。

 職業……哲学者は、マルクス・アウレリウスにとって理想の生き方である。かれはそれを実現できなかったが、哲学者にならって善く生きようと努めた。

 

 

 ◆所見

 無宗教者としての読み方:マルクス・アウレーリウスの価値観は、現在でも通用する概念からなる……節制、誠実、嘘をつかない、恩着せがましくしない、寛容、平静その他。

 こうした徳目は神という存在から由来しているものだが、その神はキリストや仏陀ではなく古代ローマの神である。ではだれかといえば明確な神があるわけではないようだ。

 キリスト教徒やイスラム教徒、仏教徒でなくとも、徳目や価値を定め、信条を持つことは可能である。

 古代ローマギリシアの思想家を指して、信仰がないから道徳観念がない、ということは正しくない。

 社会……世間体以外に一切の基準を持たない場合、または見栄や体裁を善悪の唯一の基準にした場合、自分の価値観は常に周囲に左右されることになる。これは芯のない、信念のない人間と判断されても仕方がない。

 

 

  ***

 1

 模範となった人物たちとその項目を並べる。

 

 ――道に精進する人間、善行にはげむ人間として人の目をみはらせるようなポーズをとらぬこと。

 

 ――……腹を立てて自分に無礼をくわえた人びとにたいしては和解的な態度をとり、かれらが元へ戻ろうとするときには即座に寛大にしてやること。

 

 ――また怒りやその他の激情の兆候をゆめにも色にもあらわさず、このうえもなくものに動ぜぬ人間であると同時に、このうえもなく愛情にみちた人間であったこと。

 

 ――優しいところと厳格なところがうまく混ざり合った性質。

 

 

 2

 心の平静、神への信仰を忘れないこと。感情や怒り、快楽に流されてはならないこと。

 

 ダイモーンとはなにか。

 

 ――なによりもみじめな人間は……隣人の心の中まで推量せんとしておきながら、しかも自分としては自己の内なるダイモーンの前に出てこれに真実に仕えさえすればよいのだということを自覚せぬ者である。

 

 仏教的な諦念について。

 

 ――ひと言にしていえば、肉体に関するすべては流れであり、霊魂に関するすべては夢であり煙である。人生は戦いであり、旅のやどりであり、死後の名声は忘却にすぎない。

 

 われわれを導くものはただ哲学であり、すなわち内なるダイモーンを守ることにあるという。

 

 

 3

 ――何かするときいやいやながらするな、利己的な気持ちからするな、無思慮にするな、心にさからってするな。着物考えを美辞麗句で飾り立てるな。余計な言葉やおこないをつつしめ。

 

 ――しかしより善いものとは有利なもののことだ。

 

 避けるべきこと。

 

 ――……たとえば信をうらぎること、自己の節操を放棄すること、他人を憎むこと、疑うこと、呪うこと、偽善者になること、壁やカーテンを必要とするものを欲すること、等。

 

 われわれは過去も未来も持つことはできず、ただ「この一瞬間にすぎない現在のみを生きる」。

 自らの信条をもとに神のこと、人間のことを理解すべきである。いかなる人間的な事柄も、神的なことに関係づけなければうまくおこなえない。

 

 

 4

 ――君自身の内なるこの小さな土地に隠退することをおぼえよ。……事物は魂に触れることなく外側に静かに立っており、わずらわしいのはただ内心の主観からくるものにすぎないということ。もう1つは、すべて君の見るところのものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうということ。

 

 ――宇宙即変化。人生即主観。

 

 ――君に害を与える人間がいだいている意見や、その人間が君にいだかせたいと思っている意見をいだくな。あるがままの姿で物事を見よ。

 

 ――あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。

 

 

 [つづく]

 

 

南洋諸島の歴史、その他歴史

 『忘れられた島々』

 

・ 日本は敗戦までの30年間、ミクロネシアを国連委任統治領(国連脱退後は実質的な領土)として支配していた。

サイパンなどの南洋諸島には10万人超の日本人移民がおり戦闘で半数以上が死んだ(戦死や集団自殺)。

・徴用漁船は6万人の犠牲者を出した。

・日米の対立は、第1次世界大戦後に日本が南洋諸島委任統治領とした時点から始まった。

・『大本営機密戦争日誌』によれば、大本営は、1944年2月にはサイパン放棄を決定し、また一億総玉砕による敵の戦意喪失を目標にしていたという。

 

 

 その他の本

 

 

 

我ら降伏せず ―サイパン玉砕戦の狂気と真実―

我ら降伏せず ―サイパン玉砕戦の狂気と真実―

  • 作者:田中徳祐
  • 発売日: 2012/07/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

 

 

大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌

大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌

  • 発売日: 2008/05/01
  • メディア: 単行本