うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『自省録』マルクス・アウレーリウス その2 ――生きているうちに、許されている間に、善き人たれ

 

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 重視するべきなのは次の精神である……「誠実、謹厳、忍苦、享楽的でないこと、運命にたいして呟かぬこと、寡欲、親切、自由、単純、真面目、高邁な精神」

 恩を売るようなことは慎むこと。

 すべてを与えられたものとして受け入れること。

 人間にとって自然なものは、本性に根差したものであり、すなわち善がそこにある。

 

 ――君の魂の指導理性(ト・ヘーゲモニコン)であり支配者であるところのものは、君の肉の中に起こる剛柔の動きに、泰然自若としていなくてはいけない。

 

 

 6

 ――もっともよい復讐の方法は自分まで同じような行為をしないことだ。

 

 ――我々とともに競技をしているともいうべき人たちにたいして、多くのことを大目に見てあげようではないか。なぜなら私のいったように、人を疑ったり憎んだりせずに避けることは可能なのだから。

 

 ――あらゆることにおいてアントーニーヌスの弟子としてふるまえ。

 

 アジア、ヨーロッパは宇宙の片隅、「現在の時はことごとく永遠の中の一点」である。

 

 ――あらゆるものは小さく、変わりやすく、消滅しつつある。

 

 ――名誉を愛する者は自分の幸福は他人の行為の中にあると思い、享楽を愛する者は自分の感情の中にあると思うが、もののわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである。

 

 

 7

 ――人に助けてもらうことを恥ずるな。

 ――万物は互いにからみあい、その結びつきは神聖である。ほとんどひとつとして互いに無関係のものはない。

 ――幸福(エウダイモニアー)とは善きダイモーン、または善き指導理性のことである。

 ――想像力を抹殺せよ。人形のように糸にあやつられるな。時を現在にかぎれ。

 ――(アンティステネースから)「善事をなして悪くいわれるのは王者らしいことだ」

 

 理性的動物である人間の特徴……社会性、肉体的欲情に対する抵抗力、そして思慮深さである。

 

 ――ゆえに君の指導理性をして以上の特徴を固守せしめ、まっすぐ道を歩ましめよ。そうしてこそ君の理性は自分の本分を全うするのである。

 

 ――処世術は舞踏よりも角力(すもう)に似ている。なぜならそれは攻撃、しかも全く予期せぬような攻撃にたいしても用意して、びくともせずにかまえていなくてはならないからである。

 

 自分の心を平静に保ち、周囲の物事に関して正しい判断を下すこと。

 

 ――まことにすべて生起する事柄は神または人間に関係の深いもので、新しくもなければ扱いがたくもなく、親しみ深く処理しやすいものである。

 

 ――笑止千万なことには、人間は自分の悪を避けない。ところがそれは可能なのだ。しかし他人の悪は避ける。ところがそれは不可能なのである。

 

 ――君が善事をなし、他人が君のおかげで善い思いをしたときに、なぜ君は馬鹿者どものごとく、そのほかにまだ第三のものを求め、善いことをしたという評判や、その報酬を受けたいなどと考えるのか。

 

 

 8

 哲学者は理想の生き方である。しかし哲学者に慣れなかった以上、自らの信条(ドグマ)を持ちこれに従い生きるのがいい。信条は善悪に関するもので、具体的には節制、雄々しさ、自由などが善にあたる。

 読書はある程度の役に立つ。しかし著者は読書と距離を置いている。

 他人の精神について考えること。

 

 ――なんぴとにでくわそうとも、ただちにまず自問せよ。「この人間は善悪に関していかなる信念を持っているか」と。

 

 ――……自分の指導理性(ト・ヘーゲモニコン)を健全に保つことで、これがいかなる人間にたいしても、また人間に起こってくるいかなる事柄にたいしても嫌悪の念を抱くことなく、あらゆるものを善意にみちた眼でながめ、あらゆるものを受け入れ、各々その価値に従って利用するようであってくれればそれがわたしの喜びなのである。

 

 

 9

 不敬虔なもの……不正、嘘つき、快楽追求

 

 ――働け、みじめな者としてではなく、人の憐れまれたり関心されたりしたい者としてでもなく働け。

 

 あらゆる煩労は「内部に、わたしの主観の中にあったのである」。

 神々は何ができるのかと問い、神々にたいしては、自分の理性を維持できるよう祈るべきだと答える。

 厚顔無恥な人間、悪党、ペテン師、ありとあらゆる悪者に腹をたてないこと。

 

 ――その人間は世の中に存在せざるをえない無恥な人びとの一人なのだ。

 

 無作法者は無作法者として行動するからそれを予期しなければならない。

 

 ――人に善くしてやったとき、それ以上のなにを君は望むのか。

 

 親切は容易に奢りと傲慢に陥ってしまう。

 

 

 10

 すべての出来事はあらかじめ定められている。

 

 

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 死について、キリスト教に言及する箇所がある。

 

 ――(魂が肉体から離れる)準備ができているというのは、自己の内心の判断から出るべきであって、(キリスト教徒のごとく)単なる反抗からであってはならない。それは思慮と品位とを備うべきであり、他人をも納得させようとするならば、芝居がかったところがあってはならない。

 

 ――君の仕事はなにか。「善き人間であること。」

 

 ――狼の友情ほど忌むべきものはない。……善き人、誠実な人、親切な人はそれらの特徴を眼の中にそなえており、それは人に気づかれずに済むものではない。

 

 

 12

 

 ――各個人の叡智は神であり、神から流れ出たものであることを君は忘れている。またどんなものでも人間の個人的な所有物ではなく、人の子供、肉体、また魂さえも、神からきたものであること、すべては主観にすぎぬこと。各人の生きるのは現在であり、失うのも現在のみであること。