うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『サムソン・オプション』セイモア・ハーシュ その1 ――容認された核開発

 イスラエルが、アメリカ政府の黙認のもと、実質核保有国になった経緯を描く本。

 イスラエルでは軍による検閲制度があり、摘発された場合ほぼ確実に入国禁止となるという。

 

 著者のセイモア(シーモア)・ハーシュは、ベトナム戦争におけるソンミ村虐殺事件や、イラク戦争におけるアブグレイブ収容所捕虜虐待事件を告発した記者である。

 

 ◆所見

 A

 アメリカの大統領府、CIAなどの情報機関は、イスラエルの核をどう取り扱うかに関して、官僚的な欠点を露呈した。

ユダヤ系ロビーからの支援や、投票行動に影響することを恐れて、一部の大統領はイスラエル核開発疑惑を追及をしなかった。

・カーター大統領は「人権外交」、「核拡散防止」の業績造りに取り組んでいた。もう少しで業績を達成するというところで、イスラエルの疑惑をとりあげるのは、自分たちの政策にとってマイナスである。よって、疑惑を見逃した。

 こうした事象は、生物兵器禁止条約をめぐる米ソのやりとりでも出現している(『細菌戦争の世紀』)。

 締結間近の禁止条約が白紙に戻るのを恐れて、政権担当者はロシアの生物兵器疑惑を「聞かなかったことにした」。

 政治家は、自身の功績をあげるために、現実を犠牲にすることがある。

 「やってる感」というのがそれにあたる。

 

 B

 イスラエルアメリカの関係は不変ではなかった。当初、生存の危機に晒されていたイスラエルは、米国との軍事同盟を熱望し、基地共同使用や軍事援助を求めた。

 しかし、信用できないことがわかると、同じく独自路線をとるフランスや南アフリカと手を組み、核開発を決心した。

 この核開発は、議会(クネセト)とは関係のないところ、一部の元老と軍高官らによって進められた。

 イラクが繰り返していたと同様の査察拒否や虚偽報告を、イスラエルは戦後数十年にわたって続けてきた。イラクイスラエルの違いは、米国内に政治勢力ユダヤ系団体など)がいたかどうかである。

 ある国家が核開発を決心した場合、これを止めるのは非常に困難である。特に、支援する国が存在し、他国に政治的基盤を持つ場合はそうである。

 

 C

 イスラエルは、最大の支援国であるアメリカの動向を常に警戒し、またアメリカに対し、強引に軍や情報工作員を浸透させてきた。第二次大戦中のイギリスがもっとも熱心に情報収集した国はアメリカだったという。

 味方をまず掌握し、信頼に足るかどうかを判断することが重要と、軍や情報機関は考えている。

 

 D

 周りを敵性国家に囲まれたイスラエルは、常に他国の支援を求めてきた。

 北朝鮮は日米以外のほぼすべての周辺国から援助されており、また北朝鮮の主敵は米国である。日本も核武装すればいいという単純な話ではない。

 核武装を強行するイスラエルの姿勢は、絶対に見習うべきではない。

 

 

  ***

 1

 画像偵察衛星KH‐11をめぐるアメリカ・イスラエルの協定について……イスラエルはこのとき協定を濫用し、米軍内に浸透していた。

 入手した衛星画像を使い、1981年6月、イスラエル空軍はイラクオシラ原発爆撃した。

 

ja.wikipedia.org

 

オシラ原発爆撃を受けて、イラクに核協力してきたフランスは激怒した。

・ベギン政権のアリエル・シャロン防大臣は、信頼できない同盟国アメリカをスパイしようと決めていた。

・冷戦時代、イスラエルの核ミサイルはソ連に照準をあわせていた。

 

 

 2

 核開発の主導者たち……ベングリオン首相、補佐官シモン・ペレス、エルンスト・ダヴィッド・ベルクマン

 かれらは生き残りのために、核が不可欠だと考えた。米の支援、仏との協力をもとに、原子力開発を開始した。

 

・ワイツマン研究所

・フランス・イスラエルの科学技術者交流

 

ja.wikipedia.org

 

 

 3

 1955年、ベングリオン首相・国防相のとき、エジプトが軍備を拡大し、ゲリラ戦士であるフェダインを訓練していた。

 フランスとイスラエルは互いに第三世界勢力と戦っており、協力することになった。

 

・フランス……インドシナ敗北、アルジェリア危機

・1956年7月、ナセルのスエズ運河国有化に激怒した英仏イスラエルが軍事侵攻を行った(10月スエズ危機(第二次中東戦争))。

 

 ――イスラエルの核爆弾はアメリカに向けたものとわれわれは理解していた。アメリカを核攻撃するという意味ではない。決定的な状況でイスラエルを支援する意思がアメリカにないのであれば、イスラエル側から支援を要求し、答えがノーなら核兵器を使うと警告するわけだ。

 

・米ソの介入により英仏は撤退した。

アイゼンハワーイスラエルに対し激怒した。

 

 ――スエズ戦争アメリカが得た教訓は何だろうか……。イスラエルが国家の安全に必要と考えていることに取り組んでいるときには、それを停めるのがおそろしく危険であるということだ。

 

・フランスのギイ・モレ首相と、ペレス国防次官、メイア外相との原子炉協定について。

 フランスは1960年代半ばに核戦力を確立し、脱NATOアメリカに向けて進んだ。

イスラエルは、フランスの協力のもと、1958年、ディモナEL-02原子炉工事を開始した。

 

 

 4

 1957年から、アメリカはU2偵察機を運用し、ソ連の核施設偵察を開始した。

 ※ 情報関係者の基本原則……「上層部が望まない情報は、報告するなかれ」

 

 ところがCIAは、画像偵察によりイスラエル・ネゲブ砂漠にあるディモナ核施設情報をつかんだ。

 アイゼンハワーイスラエルの状況に同情し、核施設を黙認した。かれはまた、ナセルの汎アラブ主義を警戒していた。

・核開発と米国武官の偵察……掘削と残土、武官の写真撮影と野草集め(放射能痕跡収集)

 

 

 5

 イスラエルにおいて核施設建設が始まったときの様子について。

・技術協力でやってきた傲慢なフランス人

・秘密保全機関と体制の整備

・国際都市ベエルシェバ

 

 当時、イスラエル国内の核開発反対派は財政担当、通常兵器を重視する軍人、人材流出を嘆く産業界などだった。

 


 6

 1960年、イスラエルの原子炉建設記事がNYタイムズに掲載された。

 ベングリオンは、核開発に関してクネセト(議会)軽視を続けた。

 

 

 7

 アメリ原子力委員会(AEC)委員長を務めていたルイス・ストラウスは、核兵器管理・拡散防止に努めていたが、一方で、ユダヤ人としての出自から、イスラエル核武装を支持していた。

 二重の忠誠心……情報機関ではユダヤ人をイスラエル担当につけないという。

 アメリカ人職員は、ホロコーストの罪悪感から、一般にイスラエル核開発を黙認する傾向にあった。

 

 

 8

 トゥルーマン大統領、ケネディ大統領への、ユダヤ人利益団体・実業家らの資金提供について。

 ケネディユダヤ票の複雑な関係……ケネディ自身は、資金や票田はありがたいが、露骨に政策介入しようとするとしてユダヤ人を嫌悪していた。

 フルシチョフベングリオンは、ケネディを「未熟で若いただの政治屋」と感じた。

 ディモナ核施設査察をめぐり、ケネディベングリオンは対立していた。

 

 

 9

 1963年、ベングリオンが辞任し、民主的・核開発慎重派のレヴィ・エシュコル首相が後任となった。

 ケネディが暗殺され、ジョンソンが大統領となった。

 ジョンソンは議員時代からのユダヤ難民支援で有名だった。かれはイスラエルを支援し、武器売却を承認した。

 [つづく]

 

 

 参考

 

the-cosmological-fort.hatenablog.com

 

古い本と新しい本 グーグルと歴史

 データを集めて考える、仮説をもとに検証するという学問の基本的な考えは不変である。しかし方法は増えている。

 

 

 ◆グーグル

 『誰もが嘘をついている』は、グーグル検索で抽出された大量のデータをもとに、隠れた事実を指摘する本である。

 

 

 従来の世論調査等と異なり、グーグル利用者は自分の本心をそのまま入力する。そして出てきたデータは、既成概念や偏見と異なる事実を示すもの多い。

 他にも、あらゆる小さなデータの積み上げが情勢把握や予測にも利用されているという。

 

 失業率と最も相関性の高い検索ワードはポルノサイトと「スパイダーソリティア」だった。

 このことは、こうしたワードの検索量によって、公的調査よりも早く失業率を推測できることを示す。

 

 人種差別は共和党南部がメッカだとされるが、実際は東高西低であり、北部の都市部でも多い。

 オバマの大統領選挙では、人種差別用語検索の多い地域で苦戦していた。
 トランプが勝つ兆候はグーグル検索に現れていた。トランプを検索する率が高く、また黒人差別用語の検索数が高い地域……北東部や北部工業地域で、トランプは大勝した。

 

 グーグル検索と異なり、SNSは真実を述べるインセンティブが働かないため、データをそのまま信頼することができない。

 高級紙『アトランティック』と低俗なタブロイド紙『ナショナル・インクワイアラー』の発行部数はほぼ同じだが、Facebook上では後者を読んでいる人は27分の1である。

 

 ――フェイスブックはデジタル自白剤ではなく、「自分はこんなにいい暮らしをしていると友人にデジタル自慢させる薬」なのだ。フェイスブック上では、平均的なユーザーは幸せな結婚生活を送り、カリブ海に休暇旅行に出かけ、『アトランティック』の記事を追いかけている。現実には多くの人々はいらいらとスーパーのレジ前に並びながら『ナショナル・インクワイアラー』を横目で立ち読みしつつ、もう何年も一緒に寝ていない伴侶からの電話を無視している。

 

 暴力・犯罪映画が上映される週末には、実際は犯罪発生率は減っていた。なぜか? 通常、攻撃的な男性は丸腰で映画館にいき、その間はバーやクラブにはいかない。また現在の映画館ではアルコールを提供することがない。

 

 借金を踏み倒す人がよく使う言葉……神、お返しします、病院、約束します、ありがとうございます、家族への言及

 

 

 

 ◆階級と死亡率

 各戦争において階級別の死亡率をどこかでまとめていないか探しているがなかなかデータが見つからない。

 

 James McPhersonによれば、南北戦争で最も死亡率が高かったのは将軍だという。これは、指揮官が陣頭に立って突撃する当時の戦闘方式のためと考える。

 

 

 

 ジェームズ・ハラスの『シュガー・ローフ』では、次から次へと日本軍に狙撃される将校の姿に関する証言が紹介されている。

 

 

――「中尉はつぎからつぎにやってきて、まるでトイレットペーパーみたいだった」……「……ある将校は着任してから15分で死んで、またつぎのやつがやってきた」

 

 本書は沖縄戦を生き延びた海兵隊の証言録であり、悲惨な場面が多い。

 

 ――「焼死体は不思議なもので、そのままだと臭いが閉じ込められていて、それほど臭わない。ただ、何かのきっかけで踏んだり、弾が当たったりすると、猛烈な臭いがするんだ」

 

 ――「……K中隊の周囲は、海兵隊員や日本兵の屍体、飛び散った肉片などで、食肉処理場のような様相を呈していた」

 

 死体を満載したアムトラックに乗っていた兵隊は、車が傾いて死体の山に埋もれそうになった。

 ――「そのうち、水も流れてきて、いろんなものが口の中に入ってきた。水に、蛆虫に、肉片も」

 

 戦闘に参加した者の多くが、PTSDになり、精神崩壊しかけていたため後送となった。

 

 

 

 ◆三権分立のいろいろな形

 裁判所についての本、元裁判官による本を読んでいるが、どうやらこの職業は〇〇隊や警察にも匹敵する息苦しい職場のようである。

 

 ――その構成員が精神的奴隷に近い境遇にありながら、どうして、人びとの権利や自由を守ることができようか? みずからの基本的人権をほとんど抑圧されている者が、どうして、国民、市民の基本的人権を守ることができようか?

 

司法権力の内幕 (ちくま新書)

司法権力の内幕 (ちくま新書)

  • 作者:森 炎
  • 発売日: 2013/12/04
  • メディア: 単行本
 

 

・裁判所は治安維持と権力保持のための司法権力メカニズムによってコントロールされており、国民の権利や裁判官の自由などには関心がない。

・裁判所は人権の砦のようなイメージで語られることがあるが、実は治安維持的・人権抑圧的である。

 裁判所は死刑を含む多くの冤罪を生んでいる。

 そして、そのターゲットは圧倒的に社会的な弱者やハズレ者、貧しい者である。

 

 

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

 

 

――留学時代には、なぜアメリカ人は基本的に自由に生きているのに、自分を含む日本人はそうではないのかということをよく考えていた。

 

 

 一方、ソ連三権分立は西洋式とは全く異なる。

 

ソ連三権分立は党、軍、KGBであり、この三者がけん制しあうのが実質の最高機関である政治局である。それ以外のあらゆる部署は、外国向けのカモフラージュ組織に過ぎない。

 

Inside the Soviet Army

Inside the Soviet Army

 

 

 

 

 ◆買い物

Call Sign Chaos: Learning to Lead

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Commando: A Boer Journal of the Boer War (English Edition)
 

 

『古代ギリシアの歴史』伊藤貞夫 ――ポリス興亡の歴史を知る

 主にポリスの興亡を中心に歴史をたどる。

 アテネやスパルタ、テーベといった都市国家が政治的独立を保っていた期間はそう長くない。

 各ポリスは、それぞれ植民都市を従え、同盟諸国から富を吸収し繁栄を誇ったが、社会変動や国内対立によって疲弊し、また外部の巨大国家によって征服された。

 

 

  ***

 1章 王宮の内と外

 エーゲ海文明発掘は、シュリーマンによるトロイア発掘、エヴァンスによるクレタ島クノッソス遺跡発掘、ヴェントリスによる線文字B解読などを通じて発展してきた。

 エーゲ文明の後、ギリシア人の先祖たちがバルカン半島を南下し定住した。ギリシア人の先祖は先住民から航海術や青銅器などの文化を学んだ。

 -thos, -ssosという語尾は、非印欧語、つまり先住民から継承したものである。

 

・ミケーネ時代(前1600年頃から)

 ミケーネ文書、クノッソス文書、ピュロス文書から解読できる事項は限られる――主に王国の行政文書、しかも粘土が再利用されず破棄された終末期のみ。

 強力な王の専制の下、各在地豪族が地域を統治し、自由民と奴隷との境界は後世の古代ギリシアよりもあいまいだった。

 クレタ文明の文化、線文字A(未解読)を参考に、先祖たちは線文字Bを作り、海外……ロードス、ミレトス、クレタ島小アジア西岸にも進出した。

 しかし、前13世紀後半のトロイア遠征(『イーリアス』の舞台)を最後に、ミケーネの諸王国は破壊され、消滅してしまう。

 

 

  ***

 2章 ポリスの生誕

 前12世紀末におけるミケーネ文明の滅亡は、トゥキディデスによれば北方にいたドーリア人、ボイオティア人、テッサリア人などの侵入によるという。

 しかし近年ではドーリア人定住の前に、海の民(かれらはエジプト、シリア、ヒッタイトも攻撃した)がギリシア諸都市を攻撃し破壊したという仮説も有力である。

 

 前800年代まで、文字のない「暗黒時代」が続くが、この間に方言が固定化し、またポリスが形成された。アッティカ地方(アテネなど)に人口が流入し、そこから小アジア西岸のイオニア地方に植民が進んだ。

 バシレウス(有力者)からなる共同体連合がポリスをつくったため、そのほとんどは貴族制だった。

 多くのポリスは全く別個の政体だが、かれらはお互いに、生活習慣・言語・宗教を共通項として、ギリシア人としての強い意識を持っていた。

 

・古代オリンピアの開催

ホメロス叙事詩

ギリシアアルファベット(フェニキア文字を改良)

 ホメロスの詩は一部ではあるが当時の社会について知る材料となる。

 ポリスにおける平民と貴族の境界は曖昧であり、やがて民主政へと変化していく。

 

 

  ***

 3章 民主政への歩み

 地中海交易と植民が拡大することで、ギリシア世界もまた変化した。植民や航海に関してはデルポイの神殿が情報センターとして機能した。

 小麦の栽培に適さないギリシアの諸都市にとって、三大穀倉地帯……黒海沿岸、シチリア、エジプトとの貿易は不可欠だった。

 貿易が栄えることで商人が台頭し、貴族制の基盤は揺らいでいった。

 各植民都市は、母都市とは独立したポリスとして運営された。

 前8世紀後半頃、ホプロン(大型の盾)と防具による重装歩兵戦術が普及したこともまた、政治形態に大きな影響を与えた。

 武具を自弁しファランクス(密集隊形)で戦うことにより、平民戦士の影響力が増大していった。

 

・スパルタ

 ラコニア、メッセニアという肥沃な土地を戦争によって征服したスパルタ人(侵入してきたドーリア人)は、ペリオイコイ(参政権を持たない民)やヘロット(農民)を統治するために特異な社会を発達させた。

 鎖国政策/ 貴金属貨幣の禁止……文化の発展はなし

 軍国主義・戦死教育

 青年の訓練……田園地帯に派遣し、ヘロット有力者を殺害させる

 市民と選出された5人のエフォロス(監督官)を中心とした高度の民主政

 

アテネ

 東地中海貿易の中心

 スパルタは陸軍大国であり、アテネは海軍大国

 貴族・平民間の対立から、ソロンの改革による平民の借金救済、地位向上、アテネ市民団の復興へ

 ペイシストラトスの僭主政治:農民の地位強化

 クレイステネスの登場……地域ごとの政治単位確立(十部族性)、陶片追放制度(オストラキスモス)

 

 

  ***

 4章 ポリスの栄光と凋落

 アテネ、スパルタとオリエントは強く結びついていた。

 黒海西岸のイオニア諸都市は、当初、アケメネス朝ペルシアの緩やかな支配を受けていたが、反乱が発生するとアテネは援軍を送り込んだ。

 アテネは親ペルシア派と反ペルシア派とで分裂していたが、やがて反ペルシア派が台頭した。

 アテネの反ペルシア派……マラトンの英雄ミルティアデス、サラミス海戦の将軍テミストクレスなど。

 この報復のためペルシアのダリウス1世はギリシアに遠征した(ペルシア戦争)。戦争はマラトンの戦い、サラミス海戦、プラタイアイの戦いにより、ギリシア側の勝利で終結した。

 

 マラトンの戦い

 クセルクセス1世のギリシア遠征……テミストクレスの指導による防衛(アルテミシオンへの出撃)

 テルモピレーの戦い(スパルタのレオニダス王以下300人の全滅)

 サラミス海戦により、ギリシア海軍はペルシア海軍を打ち破った。

 

 ペルシア戦争後、スパルタに並びアテネギリシア世界において台頭した。

 その後、ペリクレス時代には市民の規定が厳格化(両親が市民でなければ市民になれない)され、民主政が強化された。同時に、デロス同盟を東地中海一帯に広め、帝国としてふるまった。

 アテネの繁栄は同盟諸都市からの貢納や、諸都市への内政干渉により成り立っていた。やがて、アテネの存在はスパルタを脅かすようになり、両都市は対立を深めていった。

 

 この時代の文化……アッティカ悲劇、建築の最盛期

 

 アテネとスパルタの対立は、デロス同盟ペロポネソス同盟を巻き込んだ大戦争ペロポネソス戦争)を引き起こした。

 ペリクレスが戦争半ばで死亡したため、アテネには下層市民の声を直接支持基盤とする指導者たちが残った。政治の主役は、貴族たちから、下層市民らに移っていた。かれらは思慮が浅く好戦的であり、引き際を誤り戦争を長期化させた。

 最終的にアテネはスパルタ・ペルシア連合に敗れ、降伏することになった。

 一連の出来事をトゥキディデスが『歴史』に残している。

 

 その後もアテネの民主政は繁栄を深めたが、デマゴーグ(扇動家)の続出など、直接民主政そのものの欠陥も表面化した。

 アテネは、特権的な市民による民主政であると同時に、最も発展した奴隷制国家でもあった。

 

 クセノフォン……ペロポネソス戦争後、貧困のため故郷を出て傭兵となったギリシア人の多くのギリシア人の中の一人。ペルシア王の弟キュロスの叛乱(本人の死により瓦解)に参加した傭兵たちの指揮官となり、黒海沿岸に向けて退避を指揮した。

 

 ソクラテスプラトンアリストテレス

 

・テーベの興亡(エパミノンダス、ペリピダス)

・フィリッポス率いるマケドニアによるギリシア統一と、各ポリスの政治的主権の消滅

 

 スパルタは衰退し、アテネの民主政も前301年にはほぼ消滅した。アテネは志願兵と傭兵が戦争を担うようになった。

 エジプト、シリア、マケドニアが地域の覇権を争う専制国家となった。そこに対抗できたのは、後進の連邦であるアカイア同盟、アイトリア同盟くらいだった。

 しかしいずれもローマに敗北・吸収された(マケドニアはそれより早く、前168年に征服されている)。

 

古代ギリシアの歴史 ポリスの興隆と衰退 (学術文庫)
 

 

強制志願/ 調和による統制を目指す国

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「強制ではない」が「強く推奨する」と指揮官が言ったとき(米軍ジョーク)

 

 ◆和の国、令和(Beautiful Harmony)、和諧社会(Harmonious Society)

 

 ジャーナリスト、ウォルフレンの本『日本/権力構造の謎』は、1989年に出版されたもので、本書で指摘されている一部の事象はすでに過去になったか、変わりつつある。

 しかし、日本の政治システムが持つ問題の大半は、いまも変わっていないという印象である。

 

 本書では比較的マシに書かれている警察だが、まだ裏金問題が全国化する前のことである。

 

 日本政治や社会の問題をまとめて提示した本であり、新しい事実や発見があるわけではないが、自分の経験と照らしても説得力のある話題が多い。

 

・日本には中心となる権力が存在しない。

・日本社会にみられる統制や、自由のなさは大半が統治者の政策に由来するものである。

 

 

 本書の中心テーマは、日本における権力中枢の不在、また政治権力が日本社会・文化に与えた影響である。
 また、日本の文化や社会に独自性を求める「日本異質論」を批判し、こうした文化の多くが時の政治権力によって強いられてきたものであることを指摘する。

 その様子は、ロシア帝国ソ連の影響を強く受けたロシア国民と重なる。

 

 

 ……したがって、集団生活、会社・集団への忠誠、協調的な傾向、個人主義の欠如、無きに等しい訴訟闘争など、日本の社会や文化の典型的な側面とされている事柄は、究極的には、政治的方策に起因するものであり、政治的な目的のために維持されているのである。

 

 権力中心の不在、権力の分散は古代、中世から始まっており、戦前も天皇を名目上の頂点として、政治家、官僚、財閥、陸海軍、宮中、元老等がそれぞれに権力を行使していた。
 現代日本の権力は、国会、官僚、企業、暴力団などが無秩序に権力を行使している。西欧のような強力な政治的リーダーシップは存在せず、アメリカにおける権力の分散とも異なる。

 日本における権力グループは、市民のコントロールの効かない状態で、個別に権力を行使している状態にある。

 

 

 

 日本の政治論評は、もっぱら、政治家のだれがだれにどんな働きかけをしたかなどの密室の権謀術数のごく狭い話題に限られ、憶測ゲームをはてしなく続けるばかりである。政策案への言及は皆無である。言及しようにも政策の違いがないのだから、しようがないのである。

 


 派閥は、政党の代わりをはたしているのではなく、ただ首相の座と地元への利益誘導とを競うだけのパワーゲームである。何より、この派閥抗争に選挙民は介入することができない。

 

 

 日本人には、法は自分たちを守るためにあるという認識、法の下の平等という認識がない。それは、日本がいまだかつて西洋的な意味での近代的な法を持たなかったことが原因である。

 

 伝統的な日本の法律は、合理的で哲学的な正義の原理を積み上げて法体系を作り上げたのではなく、民衆を盲従させるための命令を一覧表にしたとしかいえないものであった。

 

 日本では、実際に履行されえない憲法があっても、それが問題だとは一般に思われない。

 

 人為的に引き起こされたものであろうとなかろうと、不幸を前にしてはあきらめるのが円熟のしるしとみなされる。騙されたと騒ぎ立てる者は、「未熟」ということになる。

 

 

 「日本社会を理解する鍵は、日本人がノーを言うように教えられていないことを理解することだ」(サイデンステッカー)

 

 成田闘争は、和の国日本に紛争解決能力がないことを来訪者に見せつけている。

 

 コンセンサスという言葉は、提案や行動のコースをみなが積極的に支持することを暗に意味する。ところが、日本でコンセンサスと間違って呼ばれているものは、問題の当事者が当局が決定したことをひっくり返すことはないとする状況のことである。

 コンセンサスが成立しているとは、関係者の誰一人として自分より力のある人物や集団の計画にあえて抵抗する手間や危険を冒そうとする者はいないという意味だ。

 日本は、権力に対する制度化された抑制力が非常に弱い。

 

 表向きに非政治的な社会の問題は、紛争解決の手段を社会が持っていないことである。このような社会で使われるのはおどしである。