うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Civil Disobedience』Thoreau ――キャプテン・アメリカ?

◆所感

ヘンリー・デイヴィッド・ソローは、マサチューセッツ州人頭税奴隷制米墨戦争に反対し、納税を拒否し投獄された人物である。

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服従の信条と、投獄されたときの体験談からなる。1849年に、講演録として出版された。

自らの良心に従って行動し、ただ人民の政府だからという理由で政府の不正に手を貸すべきではないと訴える。むしろ、その不正に協力することを断固と拒否するだけでなく、それを貫くためには投票だけでなくあらゆる影響力を行使すべきである。

暴力革命を推奨しているわけではないが、不正を拒絶するためには法律を破れと明確に宣言している。

「市民的不服従」は、その後ガンディーの独立運動キング牧師公民権運動、2010年代のティーパーティー運動に影響を与えたという。

アメリカ合衆国の建国者などは、国の成り立ち上、このような「公」の圧政・服従に反対する考えの持ち主が多く、ソローも政治的保守の古典として扱われることがある(ただし、本国でもソローを典型的な保守/リベラル軸で分類することは困難のようである)。

 

 

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政府

政府はときに不適切な形態をとり、人民を都合の良い道具として利用する。国の自由を保持し、西部を開拓し、教育を普及させたのは政府ではなくアメリカ人の精神である。最良の政府は人びとを意のままにさせておくものである。

良い政府とは何だろうか? 多数派が支配を許されるのはかれらが物理的にもっとも強力だからである。しかし彼らが常に正義や良心に立脚しているとは限らない。

 

我々は臣民である前に人間であるべきである。我々の義務は、いつでも自分が正しいと思うことをすることである。法への過度の尊敬の結果は、良心と良識に反した戦地への行進となる。

兵隊達は人間性を奪われた機械として政府に仕え死ぬ。かれら兵隊や警官は藁人形にさせられ、もはや尊厳を持たない。

 

かれらは馬や犬と同程度の価値しか持たない。そしてそのような者たちが通常良い市民だと思われているのである。

 

政府指導者は無意識に神にも悪魔にも使えており、ごく少数の者たちのみが、良心に基づいて政府に仕え、あるいは抵抗するのである。

 

わたしは奴隷の政府を自分自信の政府とは認識できない。

 

人民の政府は無謬ではないし、無条件に従う義務もない。ソローは奴隷制米墨戦争に協力することが明らかな不正義であると考える。

 

投票

不正に反対する者はたくさんいるが、かれらは何もせず、だれかが悪を矯正することを待っているだけである。かれらは安い投票以外になにもしない。

 

投票は何もしないのと同じである。少数派にとってそれはただ自分の願望を表明しているだけに過ぎない。賢者は自分の権利を偶然や多数派の力に委ねたりはしない。

人間には悪から手を洗い、また悪を手助けしない責務がある。

 

秩序と市民政府の名の下に、われわれは自分たちの卑劣さを称え、支援するよう強いられている。

 

抵抗

隣人に金を盗まれたとき、ただ盗まれたと認識するだけで満足するだろうか。もしくは盗まれたと宣言するだけで満足するだろうか。

必ず金を取り戻すための方策をとり二度と盗まれないようにするはずである。

政府の不正義が必要悪として容認され、自分がその手先となることを強いられるなら法律を破り、この機械を止めなければならない。

 

自分自身が非難する過ちに手を貸さないようにせよ。

 

不正な投獄を行う政府のもとでは、正しい人間の居場所もまた牢獄である。

 

これは奴隷制を維持するマサチューセッツ州に対する批判である。奴隷州において、誠実な人間が名誉を保持できるのは牢獄である。

 

投票だけでなく可能な限りすべての影響力を行使せよ。少数派は多数派に順応しているあいだは無力であり、少数派ですらない。

 

物理的な力と良心

平和的な革命について。

財産を持っていれば表立った抵抗は難しくなる。

税金を払わずに投獄された経験を振り返り、政府はただ物理的な力を行使できるだけで、ソローの良心に訴えることはできなかったと話す。かれは社会の機械になることを拒否した。

 

国家は絶対王政から君主制へ、また民主主義へと、個人の尊厳を認める方向へ進んできた。

民主主義も真に個人を尊重することがいつかできるはずである。