◆路上の伝説
『釜ヶ崎の福音』において、フランシスコ会の神父が釜ヶ崎(大阪市西成区)で活動するきっかけを説明した部分が非常におもしろい。
・著者は1942年台湾生まれ奄美大島育ちで、クリスチャンに囲まれて「よい子」に育った。
よい子というのは、実は、裏を返すと、顔色を上手にみる子ということです。そして、まわりからよい子を期待されると意識せずによい子を演じてしまう。
神父といえば、それなりの宗教家のはずです。その宗教家の一人である自分が、なんとまあ、人の思惑ばかり、どんなふうに見てもらえるかといった、そんなことを気にしながら、自然と日の当たるところを選んでいる。そんな神父だったわけです。
人の顔色ばかり見てしまうような、人の期待にあわせることしかしない、本心がどこにあるのか自分でも定かではない、ある意味で多重人格な自分。そして、結果的に自分を偽り、人の目を偽り、神を偽っている自分。そんなわたしが責任者に選ばれたのですから、宗教組織としてこれはもうダメになって当然だと思ったのです。
初めて釜ヶ崎の野宿者たちと対面したとき、著者は恐れを感じた。
よい子症候群のもう1つの特徴は線引きがうまいということです。……釜ヶ崎の人たちは自分とは関係ないと開き直ったのです。
ある晩の夜回り時、恐る恐るホームレスに声をかけて毛布をあげたところ、「おおきに」とお礼を言われた。
わたしはそれまで、当然、信仰をもっているわたしが神様の力を分けてあげるものだと思い込んでいた。教会でもそんなふうなことしか教えていなかった。だけど、ほんとうは、違うんじゃないだろうか。じっさい、わたしには分けてあげる力なんか、なかった。ほんとうは、あの人を通して神様がわたしを解放してくれたのではないのか。そんな思いが湧き上がってきたのです。
信仰を持つ自分が、いろんな知識を蓄えるチャンスを与えてもらっていた自分が、学問をさせてもらっていた自分が、ある意味で社会的にもそこそこ評価されるような立場の自分が、果たしていままで、だれかの解放につながるような、ほんとうの意味での、心の根本の、救いにつながるようなはたらきをすることができていたのだろうか。
著者が原文で聖書を読み直したところ、このような教えはすでに書いてあった。
「あなたの神、主は地面にいるすべての民のなかからあなたを選び、ご自分の宝の民とされた。主が心惹かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱(少数)であった」からである(申命記七章6-7)
「力は、弱っているときにこそ発揮される。……わたしは弱っているときこそ、力が出るからです」(コリントの手紙12章9-10)
神の力、人を生かす力とは、こちらが元気だから、元気を分けてあげられるというようなものではない。人の痛み、苦しみ、さびしさ、くやしさ、怒り、それがわかる人だからこそ、人を励ますことができる。
……強い人が弱い人に恩恵をほどこすのをよしとする風潮になっていきます。……では、何も持っていない人の尊厳はどうなるのか。……キリスト教とは金持ちの宗教なのかという話になってしまう。ならば、病気で、貧しくて、年老いていたら、みんなのお荷物になるだけなのか。みんなの哀れみとほどこしの対象でおわりなのか、ということになる。
◆デトロイトのリアル
米国の有名な神学者ラインホルト・ニーバーも、本田哲郎氏と同じように、信仰とは一見縁遠い1920年代のデトロイトで活動を行っていた。
・宗教活動を数字で計測するのは難しい。われわれは価値を世俗的な基準で判断しがちである。ある牧師の勤続年数を祝う際も、教区信徒の倍増やオルガンの更新、債務の返済が功績として述べられた。
四半期ごとの宗派ミーティングや、上司に対する営業成績統計の提示がないだけでもよしとすべしかもしれない。
・自動車工場の労働は過酷で、労働者たちは奴隷のように疲れ切っている。聖職者と教会は、こうした現実から目をそらすことで自分たちの威厳と平安を保っている。宗教がこうした問題に取り組むには何世代にもわたる努力と多くの殉教者が必要になるだろう。
教会が少しでもこうした現実と向き合えば、恥ずかしくて消えたくなるだろう。
・教会は個人的なふるまいや行為(喫煙や服装)に苦言を述べるだけで、非倫理的な現代生活そのものに対し口を出そうとしない。
・リベラル派……自由主義的な聖職者たちは得てして、社会を変えようとせず教会だけを変えようとする。
株価操縦で巨額の富を得ている実業家は、労働者の賃上げを拒否する一方、大金を教会などに寄付し善良なキリスト教徒を称している。
かれがほんとうに自分を信徒だと信じているのか、それとも自分にまとわりつくうるさい蠅どもを黙らせるために寄付をおこなっているのかは不明である。