無職戦闘員のみた夢の内容
・知恵文学
・労働
・科学サイド
◆猿智慧文学
記事のタイトルは「箴言Proverbs」からです。
文語訳聖書をはじめから読んでおり、現在は箴言まで来ています。1つ前の「詩篇」は金太郎飴のような賛美が続くのでほぼ読み飛ばしましたが、「箴言」は非常に面白いです。
ロレンスの『知恵の七柱』の由来となった箇所を発見しました。
――智慧はその家をたて その七つの柱をきりなし そのけものをほふり……
「エステル記」では、ユダヤ人絶滅をたくらんだ、側近ハマンや各州の敵に対して、ユダヤ人モルデカイとその娘エステル(ペルシア王の妻となっていた)が報復の処刑を行います。
――ユダヤ人すなわちやいばをもてそのすべての敵を撃ち殺して殺し亡ぼしおのれを憎む者をこころのままになしたり ユダヤ人またシュシャンの城においても500人を殺しほろぼせり
――エステルいいけるは王もしこれを善しとしたまわば願わくはシュシャンにあるユダヤ人にゆるして明日も今日の詔のごとくなさしめかつハマンの10人の子を木にかけしめたまえ
――……おのれを憎む者7万5000人をころせりしかれどもそのもちものには手をかけざりき
聖書は人間の過ちが数多く書かれた本であり、人間の不完全さを示している、と解説する方がいます。しかし、過ちの中のだいぶん多くの部分は、エホバの指示のもと行われていたり、エホバに評価されていたり、というような印象を受けます。
教会や聖職者が行ってきた犯罪や不正行為は歴史の中にいくらでもありますが、同時に素晴らしい行為もあります。
ハワイ州のモロカイ島にはハンセン病患者を隔離するための集落があり、断崖絶壁で周囲から孤立しています。島にやってきたベルギー人ダミアン神父は、当該カラウパパKalaupapa診療所で患者のケアを行い、本人も感染しました。
カラウパパ診療所を崖の上の展望台から見下ろしています。
クリミア戦争の本を読んでいるときに印象に残ったナイチンゲールもまた、独自の信仰を持っていたようです。調べた限りでは、当時の国教会の教義には批判的で、あくまで自身の信仰に基づいて看護活動を行ったということです。
自分がキリスト教徒になれるかといわれると、キリストの復活を信じることができないので無理だと思います。30歳過ぎてから、キリストがまさに屍体の状態から復活した、というのを新たに信じるというのは非常に難しいです。
◆労働者の夢
ナイチンゲールの業績を調べていると、人の役に立っているということをうらやましくおもいます。
無職戦闘員としてはまず自宅を守ることだけが任務ですが、世のため人のためになっているかというとそこまで自信がありません。
家で下のような夢を見ました。
迷彩服を着た公務員だったときはどうかというと、在籍した時間のうち95パーセントくらいは、人生のムダと感じていました。
人の役に立っている、まっとうな仕事をしている、と感じたのは職場や外の人から感謝されたときだけでした。しかし、普段しょうもない部分を見ており、自分も多かれ少なかれ加担しているため、周囲をだましているような気分になります。
特に地震後は外部の人から感謝されることが多く、そのたびに気まずくなりました。外部の人に対して、「いや、全然クソですよ。税金をどぶに捨ててますよ」などとは言えないからです。
制服やサバゲー衣裳で外に出なければならないときは、よく声をかけられました。「日本を守ってくれてありがとう」と声をかけられれば、恐縮するしかない。「実はこの器材はガラクタですが、それを言うと会計検査で問題になるから言いません」などとは言えませんでした。
いまは深刻な人手不足だそうですが、若い人の人生をつまらなくする無駄ルールや無意味な業務をどうにかしない限りは改善しないだろうと思います。
最後にやらされたムダ作業は行政文書用キングファイルの大量作成でした。
頭の弱い大臣・政治家たちが例の日記文書――どんな末端兵隊でも、保存していないわけがないとわかるパワポ資料――のある・ないでひとしきり騒いだ後、わたしたち末端の兵隊たち全員が集合させられて、「行政文書の管理が重要だ、国民の厳しい目が向けられている」と指導されました。
「行政文書の管理がずさんだったのではなく、本来存在していたものを、政治的配慮で存在しないと言い張ってそれがばれたから問題になったのでは?」と思った人が多数でしたが、ソ連的しぐさで皆大人しくしていました。
その後やらされたのは、紙と背表紙を印刷してキングファイルを大量生産する作業でした。
あまりに面倒なので、これは言外に「都合の悪い書類は存在自体をなかったことにしろ、メールフォルダ、PC、紙すべて抹消しておけ」ということだと我々は察しました。
※ なお政治家だけでなくサバゲー組織自体も書類の隠蔽は得意分野で過去に問題化しています。
大きい役所では、一定レベル以上の改革は政治の範囲になりますがこの範囲の人びとが輪をかけてひどいです。
昨今では予算の増額も「いいねえ、じゃぶじゃぶお金かけよう」で見過ごされてますが、失敗したときにまた、騙された、と1億2000万人が発狂する流れが見えます。
本当に自分が納得のいく、人のためになることをやって生計を立てるのは難しいと感じます。世の中の役に立ちたいという感情だけが先走っても、問題が出てきます。
昔、大変正義感の強かった知り合いが謎のネットワーク商法にとりこまれているのを見て、判断力も同じくらい重要だと考えるようになりました。
◆科学と魔術が交差云々
キリスト教の中でも聖書を文字通りの事実ととらえる宗派(ファンダメンタリスト等)があり、ドーキンスやカレン・アームストロングの本でも批判されていましたが、アメリカに滞在していると意外に身近なところにいるのでおどろきます。
とある知人はサイバー・セキュリティ関連会社に勤めており、契約業者として米国防総省のサイバー戦に関わっています。
かれは毎週末教会に通っており、「聖書の重要性はその事実性にある」と力説しています。かれの情報処理・セキュリティ知識と聖書の事実性がどう整合をとっているのかわかりませんが、人の心は単純ではないと感じました。
the-cosmological-fort.hatenablog.com
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◆引き続きトクヴィル
トクヴィルのアメリカ合衆国観察は、かれが影響を受けたモンテスキューよりも現代に通じる点がたくさんあります。モンテスキューの主張には、今の感覚だと奇妙な点もたくさんありますが、トクヴィルは読み進めるごとにその通りだと感心しています。
『アメリカのデモクラシー』で描かれているアメリカ合衆国は、既に存在しない世界です。同時にトクヴィルは、民主主義が暴政にいたる致命的な欠点も指摘します。
この本に登場する19世紀の合衆国民は自分の国に愛着を抱いていますが、実際に生活していても同じような方が多数です。外国人に対して「自分の国はクソだ」という人はほとんどいませんし、なかなか言えないとおもうので本音はわかりませんが。
自分の関与できないところで世襲政治家たちが税金を詐取し、公文書を改ざんし、理不尽な受信料をとり、住民の大半が英語を理解しないのをいいことに公共放送ででたらめなプロパガンダを垂れ流し、中世的な尋問や身柄拘束を行う国にどうやって愛着を持つことができるでしょうか。
わたしはこういう輩の養分になるために生きたくはありません。
――権力はあなたが部屋の中で、モニターの前で大人しくしていることを望んでいる。
・地方自治と主権者意識の重要性
――アメリカの政治姿勢を形成しているのはタウンシップである。タウンシップは自治体の自由freedom of municipalityを実現した稀有な例だが、この自由こそが自由主義的国家の精神の源となっている。自治体の自由の精神なしには、いかなる自由主義的政治制度も張りぼてにしかならない。
――分権化したアメリカの町村は非常に活気に満ちており、またよく自治されている。
――ヨーロッパの典型的な住民は、自分たちの外の問題にまったく関心をもたず、しかし危機が迫ると政府に助けを求める。強制には従う一方、従わなくていいときは規則に反抗する。かれらには公民としての徳が欠けており、臣民ではあるがもはや市民ではない。
――わたしが合衆国について最も尊敬するのは……祖国がどこでも関心の中心であることである。……かれらは自国の繁栄を、自分たちの貢献が活かされたものと認識して喜ぶのである。
2種類の愛国心(patriotism)……故郷や自分の君主に向けた原始的な、熱狂的な愛国心と、法や教育、政治参加により得られるより理性的な愛国心が存在する(君主制の愛国心と共和政の愛国心)。国家が腐敗した場合、原始的な・素朴な愛国心はもはや戻ってこない。人びとを自分たちの国に巻き込むには、かれらの政治参加を増やすのが方法の1つである。市民の精神は政治参加の度合いに比例して増大していく。
・言論(出版)の自由
――言論の自由は、少しでも制限されればたちまち全面的な抑圧につながる。国民主権と報道の自由は両者不可分である。それは検閲制度と普通選挙が両立不可であるのと同じである。
・民主主義の幻想
――予想に反して、アメリカでは、優れた人物が公職に就くことは少ない。その理由は国民の知的レベルにある。一定以上の知識を身に着けるには仕事をせずに学習する時間が必要である。しかし、国民全員が知識階級という国は、全員が富裕層という国と同じくらい非現実的である。現実では、口のうまい山師が、真に優秀な人物を押しのけて人びとの人気を獲得する。
――アメリカにおいて多数派が決断した場合、言論や思想の自由は、君主制国家以上に抑圧される。こうした自由は、多数派が許す範囲においてのみ保障される。君主制とは異なり、民主主義下では、異論派は肉体的に弾圧はされないが、社会的に排除される。
――どれだけ有名な著述家であっても、市民を賞賛するという責務からは逃れられない。アメリカの多数市民は終わりなき自画自賛のなかで生きている。外国人や専門家だけがアメリカ人の耳に真実を伝えることができる。
アメリカにおける思想の自由の欠如は、スペインの異端審問を超えている。
ヨーロッパの宮廷では主権者(国王)へのお追従・御機嫌取りが日常となるが、多数派が支配するアメリカではこの宮廷精神(お追従・御機嫌取り)が日常社会にまで浸透する。自国にとって都合の悪いことを口にする人間がアメリカにはほとんどいない。
・陪審制
――陪審制はすべての人に対し、自らの行為の責任から逃れてはいけないことを教える。この態度なしに政治的な美徳は存在しえない。
――……陪審制はすべての人に対し、かれらが社会に対し責務を負っていること、政府の一員であることを学ばせる。
・多数派の暴政
合衆国では多数派の信念が無批判に受け入れられている。多数派の思考が国や国民の精神に及ぼす影響は、宗教に匹敵する。
平等は、一方では各人の自由な思考を促すと同時に、他方では思考を多数派の総意の内に閉じ込めてしまうだろう。後者は、別のかたちの隷従に過ぎない。
――私の考えでは、権力がわたしを抑えつけていると感じるとき、だれがやっているのかは問題ではないし、無数の手がわたしに服従するよう促すからと言ってそのくびきに跪くつもりはない。
・平等の結末の1つ
反射的にナチス・ドイツやソ連を連想しますが、ハンナ・アーレントによれば全体主義への移行は19世紀から既に始まっていたとのことです。
――平等は、各人に自分が皆と同等であるという自信を与えると同時に、かれを脆弱で無価値な存在に追い込む。
――社会条件がより平等になり、個人がお互いに似たり寄ったりとなり、弱く、ちっぽけになるにつれて、市民よりも国家を重視し、個人をかえりみず人種のみを考慮する習慣が生じる。
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