うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Into That Darkness』Gitta Sereny その3 ――普通の市民が絶滅収容所の所長になったとき

 サイモン・ヴィーゼンタールは、戦後、ナチ戦犯の逃亡に手を貸した、「オデッサ」のような組織が存在する、と主張したが、著者は懐疑的である。協力的な人びとはいたが、それははっきりとした秘密結社のような形ではなかったとする。

 シュタングルらも、あくまで個人的な縁故を頼り、自らの意志で逃亡した、と考える。

 

 ナチ戦犯逃亡の主要な協力者は、国際赤十字カトリックである。双方とも、難民を保護し、かれらに便宜を図るという使命を持っている。

 しかし、かれらは自分たちがどういう人物を助けようとしているのかについて、より注意深くなるべきだった。

 カトリックプロテスタント、双方の協力者がローマには存在した。

 

 

  ***

 バチカンナチスとの関係について。

 アロイス・フーダルはナチ戦犯の逃亡に手を貸した司教として悪名高い。しかし、カトリック教会の指揮系統を考えると、ローマ法王がフーダルの行為について知らなかったことは考えられない。

 ナチスに対するカトリックの黙認、許容には、ピウス12世の個人的な特徴が強く影響していると著者は推測する。

 

 ピウス12世の特徴:

・強固な反共主義

 法王の文献や言動からは、大量殺害されたロシア人民間人への言葉が欠落している。ロシア人の被害は、まったく黙殺されているのである。かれはボルシェヴィズムを敵視しており、ドイツを反共の砦とみなしていた。

・ドイツにおけるカトリック弾圧への恐れ

 法王は、ヨーロッパにおける牙城の1つであるドイツから、カトリックが排除されるのを恐れた。ドイツ国民の大半はナチスの経済政策を支持していた。この状態でカトリックが抗議の声をあげれば、教会は取り潰されるだろう。

 カトリックはある意味で民主主義的である。

 安楽死に対する抗議が示したように、ドイツにおいて多数の神父が安楽死反対の声をあげなければ、法王がナチスを批判することはできなかっただろう。

 一方、強制収容所に送られた多数のポーランド人神父には、法王はほとんど言及しなかった。

・ドイツ人への親近感

 かれは若い時代にドイツで勤務し、幸福な時代を過ごした。

・反セム主義

 直接影響を与えたわけではないが、法王の手紙の端々に反セム主義の傾向がうかがえる。

 

 

  ***

 法王とカトリックに対する擁護論:

 「安楽死については、法王は知らなかった」。

 「ロシア人被害についても、法王は知らなかった」。

 「ユダヤ人虐殺についても、法王は知らなかった」。

 これらはすべて疑わしい。世界でも有数の情報機関であるバチカンがこうした事象について報告を受けていないはずはないからである。

 

 アロイス・フーダルはなぜ、ナチ戦犯に協力したのだろうか。

 著者がインタビューしてきた大抵の聖職者は道徳的・倫理的にまともであり、虐殺や戦争犯罪に対して批判的だった。

 著者は次のように推測する。聖職者も、聖職者である前に、国民である。

 大戦中、各国の聖職者たちは自分たちの国のためにレジスタンスに協力した。これは、ドイツにもあてはまる。オーストリア人たるフーダルは、愛国者として同胞ドイツ人を助けたのだろう。

 

 

  ***

 教会は、ナチス安楽死政策を始めた最初の段階で、決然と非難しておくべきだった。なし崩しに非人道行為が行われだしたときには、すでに手遅れになっていた。この過程は、シュタングルがたどったものと驚くほど類似している。

 カトリック安楽死に同意したことが、シュタングルに対し、安楽死を正当化する強力な口実を与えた。

 ヒトラーカトリックの存在を非常に警戒していた。

 もしカトリックが声をあげていれば、ドイツの世論は変わったのではないだろうか。

 

 

 5
 フーダルとバチカン神父に関するインタビュー:

 教会は捜査機関ではないので、支援を求める人々(ナチ党員、戦犯)に対して綿密な調査はしなかった。

 ヴェーバー(Weber)神父は、偽名でやってきたアイヒマンを、それとは知らずに亡命させた、と証言した。

 フーダルは亡命用資金をバチカンから受け取っていただろう。

 ヴェーバー神父は、戦時中、洗礼を受けたユダヤ人を支援した。祈りの文句とアヴェマリアを唱えさせ、うまくできないユダヤ人は送り返した。

 かれいわく、法王はホロコーストについて知る由もなかった。

 

 

  ***
 シュタングルはヨーロッパを脱出後、ブラジルで生活を続けた。

 しかし、ヴィーゼンタールによる追跡によって捕縛された。

 

 シュタングルは、裁判が始まるにつれて、妻と子供が自分を裏切らないかだけが心配となった。

 妻のフラウは、もし自分が、「収容所の仕事をやめないのであれば、子供と一緒に出て行く」といえば、夫はやめただろう、と答えた。

 つまり、もし妻がとめていれば、夫を救うことができたのではないか。

 

 

 シュタングルの最後の言葉:

 

 

 ――わたしはだれも傷つけるつもりはなかった。……しかし、わたしはそこにいた。現実として、わたしも罪を負っている。……罪とは、わたしがまだここにいるということだ。

 ――わたしはあれから20年間も幸福な時を過ごした。しかし信じてほしい、いまわたしは、死ぬべきだったとおもっている。

 (I have never intentionally hurt anyone, myself, But I was there, So yes, in reality I share the guilt,because my guilt, my guilt, ...My guilt, is that I am still here. I should have died. That was my guilt.)

 (I did have another twenty good years. But believe me, now I would have preferred to die rathar than this.)

 

 

 その19時間後、にかれは死んだ。

 かれは最後に自分と向き合い、真実を述べたのだろう。 

 

  ***

 ◆エピローグ

 倫理と道徳は、個人個人の人間性に由来する。

 しかし、その人間性は、外的環境に大きく依存している。あらゆる個人の人間性について、わたしたちは、お互いに依存しており、よってお互いに責任を負っている。

 

 

  ***

 時代が異なればシュタングルは違う人生を送っただろう。

 しかし、「行為」に対する責任を負わなければならないのは、時代や社会ではなく、最後にはシュタングルという個人である。

 かれは家族だけを生きがいとして、逃亡の20年を過ごしてきた。しかし、最後にはそれも否定しなければならなかった。それが、自分の良心が言ったことだったのだろう。

 

 

Into That Darkness: An Examination of Conscience

Into That Darkness: An Examination of Conscience

  • 作者:Sereny, Gitta
  • 発売日: 1983/01/12
  • メディア: ペーパーバック
 

 

 

人間の暗闇―ナチ絶滅収容所長との対話

人間の暗闇―ナチ絶滅収容所長との対話