3 金融、地政学、そして戦争の勝者1660~1815
17世紀からナポレオン戦争までの特徴……ヨーロッパの多極性の完成、超国家的・宗教的理由から「国益」重視へ。
・フランスは台頭するが、周辺国に阻止される。
・イギリス、ロシアの勃興
・傭兵から常備軍へ
・金融と地理的要素の重要性
・金融革命
海外貿易の拡大による紙幣と信用創造、また戦争が、金融システムの発達を促した。
戦争当事国にとって、金融による戦費調達が死活問題となった。オランダとイギリスは公的金融が発達し、フランスはそうではなかった。
・地理
17世紀初期に栄えていたオランダは、次の世紀には、南からフランスに攻められ、また海上では英仏に妨害され覇権を失った。
フランスは防御に優れていたものの、征服戦争では大した成果を収められずにいた。
オーストリアとブランデンブルク・プロイセンもまた、周囲を敵に囲まれていた。
一方、合衆国とロシアは、地理的な強靭性を持っており、有利に働いた。18世紀初頭には、ロシアはヨーロッパの情勢に影響力を持つ国となった。
この時代にもっとも発展したイギリスについて:
英国は、アイルランド統一とスコットランドとの合併以後、成長を阻む要因を持たなかった。また、海上貿易と海上戦力による優位は、陸上のそれよりも強力だった。
海軍力がイギリスの覇権を可能にしたという考えは、マハンなど海軍主義者(Navalist)に代表される。
実際には、英国の産業発展とヨーロッパ貿易の規模の方が影響が大きい。また、イギリスの海上権力はあくまで大陸の陸軍国を抑えるためにあった。
イギリスは、大陸の勢力均衡のため、軍事的または金銭的に介入し、一方で海外貿易による拡大を行った。
・1660~1763
ルイ14世による拡大戦争は、イギリスや周辺国の妨害により成果が上がらなかった。
絶え間ない戦争の結果、イギリスがもっとも利益を得ることになった。
1701~:スペイン継承戦争
1740~:オーストリア継承戦争
1763まで:七年戦争
・1763~1815
ナポレオン戦争時代:
アメリカ独立戦争は、一時的にイギリス経済に打撃を与えた。それ以上に、アメリカと同盟を結び、全面的な海戦を行ったフランスの財政を悪化させた。
フランス革命は、明確な目的を持った国民軍を産み、フランスの覇権につながった。さらに、軍事的な天才ナポレオンと、兵器の革新により、西ヨーロッパはフランスの支配下に入った。
フランスは陸上戦力に優れ、イギリスは海上戦力に優れていた。このため、両者の拮抗が続いた。
イギリスは海外貿易の力と、産業革命の勃興により、成長を続けた。フランスはいくらか後進的であり、ナポレオンは征服によって財産や戦費を略奪しなければ、帝国を維持することができなかった。
ナポレオン戦争は大量の戦死者を出し、徐々に国力は衰退した。
最終的にナポレオンが退場したとき、イギリスが大国の中でもっとも力を持つことになった。
***
◆産業時代の戦略と経済
4 産業化とグローバル・バランスの移行 1815~1885
この時代の特徴として、グローバル経済の発展と、大国間の長期戦争の不在があげられる。例外的な大規模戦争は南北戦争(Civil War)のみである。また、産業革命の影響が、軍事に徐々に影響を及ぼすようになった。
・非ヨーロッパ世界の黄昏
アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国は、すでに貧困と停滞のなかにあったが、さらに西洋列強によって衰弱させられた。
・覇権国家としてのイギリス?
19世紀のイギリスは、その経済力、国力に比べて、軍事費と軍備は非常に小規模だった。その原因は、海上においてほぼ独占的な地位を占めていたこと、植民地において他の列強と競合しなかったことにある。
また、イギリスは世界金融の中心となった。
イギリスの弱点……自由貿易に基づく産業や技術の移転が、後続の他国との差を縮めることになった。また収入を国際貿易に依存したことは、平時にはよいが、他国と対立したときにはどうなるかが危ぶまれた。
・中級国家(The Middle Powers)
ウィーン体制は現状(status quo)の維持を至上命題としたため、極端な勢力の変化は起こらず、比較的安定した状態にあった。
プロイセン(Prussia)……国内における保守派とリベラルの対立、ドイツ統一問題があり、国力において劣る国に過ぎなかった。外交ではロシアとオーストリアの圧力に従屈した。
しかし、大学制度、官僚制、軍隊・参謀本部など、後の躍進につながる要素を整えつつあった。
オーストリア……ハプスブルク家はナポレオン時代から既に衰退傾向にあった。国民国家の時代にあって、多数の異民族を服従させる帝国は時代遅れだった。1815年以後は、君主制の保持を掲げて外交を主導したが、それも時代錯誤となっていった。
フランス……ナポレオン戦争以後、周辺国からの封じ込めを受けたため、復活してからも覇権国家には成り得なかった。
・クリミア戦争とロシアの衰退
クリミア戦争によって、ロシアの国力は疲弊した。人口増加に産業の成長が追い付いていかず、国民の生活レベルは低下した。
将校団は無能であり、装備・兵站は貧弱だった。
ロシアからクリミアへ兵隊を派遣するのに、3か月近くかかった。一方、英仏は3週間で前線に派遣が可能だった。
この戦争は英仏に対しても負担となった。
北部と南部は全く別の経済基盤の上に成り立っていた。連合国(Confederacy)は人口増加の点で合衆国(Union)に劣った。また多くの若者を徴兵したため、南部の農業は打撃を受けた。綿花輸出が封鎖されると、金融システムの貧弱な南部経済は弱体化した。
連合国は、戦争を長引かせて自らの要求を受け入れさせるという目標しかとり得なかった。
・ドイツ統一戦争
1850、60年代は、産業革命に伴って軍事技術が急速発展した時期である。軍事革命においてもっとも成功したのはプロイセンである。
やがてドイツはヨーロッパ外交において中心的な地位を占めるようになった。
・結論
地域的な戦争はあったものの、各国は現状の保持に力を注いだ。しかし、国際貿易の発展と技術革新、軍事革命は、やがて大国の力関係を変えることになった。
5 二極世界・中級国家の危機 その1
米ロの二極世界は、このときにはまだ予想されていなかった。
大国の力関係の変化が、世界規模の危機を引き起こした。
・世界規模戦力の移行
生産力、都市人口、鉄鋼生産等のデータから、国力の推移をたどる。
第2次世界大戦前夜までに、合衆国が最大規模となり、続いてドイツ、ロシアが後を追った。イギリスはトップから脱落し、フランスは低調だった。
・列強の位置づけ1885~1914
イタリア:
北部において工業化が始まったものの、南部は依然として遅れており、また地域ごとの対抗心が強く、大戦略に基づいた軍制が確立しなかった。
イタリア軍の後進性は諸国にも知られており、アドワの戦いではアフリカ人に敗北した唯一のヨーロッパ国として名が知れ渡った。
イタリア海軍は貧弱であり、イギリスの地中海提督は、かれらがイギリスと同盟になるのではなく中立でいてほしいと願っていた。
ドイツ:
ドイツの鉄鋼生産はイギリスに追いつき、フランス、ロシアを越えた。ドイツには、高度な科学技術、教育レベル、軍制があった。
ティルピッツの海軍増強計画はイギリスの脅威となり、またドイツの汎ゲルマン主義、植民地主義は、周辺国を警戒させた。
首相ビューロウ、ベートマン=ホルヴェーク、ドイツ皇帝らは、拡大主義を掲げた。
ドイツは中級国のなかで唯一、現状を変えられる力を持つ力をもつことになり、結果、国際社会における最大の脅威となった。
ドイツは、ナチスに通じる特別な国ではない。反セム主義(反ユダヤ主義)は仏露と同程度であり、植民地政策も他の列強と同じである。
独自の点は、西洋的民主主義と、東洋的専制が混交した政治体制だったということである。
日本:
軍制改革、勤勉な国民性、富国強兵政策により、地域大国となった。海に囲まれており、周辺には弱体化した清朝や辺境ロシアしかおらず、地理的に恵まれた条件にあった。
日露戦争は、英米の財政支援と外交的支援によって得た勝利である。日本は1905年には破産しかけた。
戦争時の軍は優秀であり、海外からも評価された。しかし、まだ列強に並ぶものではなかった。
世紀末から20世紀にかけて成長はしたものの、致命的な弱点をいくつか抱えていた。
産業化はボヘミア、チェコ、ウィーン、ハンガリーの一部でのみ行われ、ガリツィア(Galicia)やブコヴィナ(Bukovina)、ダルマツィア(Dalmatia)は後進的な農業地域だった。さらに、そうした後進地域で人口増加がみられた。
第1次世界大戦時の動員命令は15の言語で書かれた。チェコ人とドイツ人、ハンガリー人の反目は深刻だったが、最大の問題はバルカン半島だった。
民族政策として各民族ごとの官公庁が設置されたため、国家予算は軍備に回す前にそうした機関に吸収された。
オーストリアは周辺を敵に囲まれており、不完全な軍でイタリアとロシア、セルビアすべてに備えなければならなかった。
フランス:
工業化が進んだものの、輸送手段の発展は遅れ、また地方の農業は停滞した。列強の中では下位に位置しており、単独でドイツに対峙する力はなかった。しかし、自信だけはあった。
ロシア:
工業化は進んだものの、ほとんどは外国資本によるものだった。国民の大半を占める農民たちの教育程度は低く、農業は未熟だった。しばしば農民による暴動が発生し、ロシア軍による鎮圧が行われた。
何よりも問題だったのは政治体制の腐敗だった。
イギリス:
ワーテルローの戦い直後がイギリスの覇権のピークであり、以後はゆっくりと衰退に向かった。理由は、軍事技術の他国での発達と、工業生産の相対的な低下にある。
アメリカ:
第1次世界大戦前に、アメリカの生産力はヨーロッパのすべてを凌駕していた。しかし、地理的条件から、大国の国際政治システムには組み込まれず、孤立を保った。
セオドア・ルーズヴェルトは太平洋諸国や中国に積極的に進出したものの、その後の大統領は再び孤立主義に回帰した。
[つづく]
The Rise and Fall of the Great Powers: Economic Change and Military Conflict from 1500 to 2000
- 作者: Paul M. Kennedy
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