うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Crimea: The Great Crimean War, 1854-1856』Trevor Royle その3 ――ボロボロのイギリス軍

 8 ワシントンの混乱、ウィーンの前進

 アメリカと英仏連合国は、アメリカのスペイン領キューバ奪取計画をめぐって対立したが、紛争にはいたらなかった。イギリスはアメリカを信用しておらず、クリミア戦争の調停を拒否した。

 1854年末から翌年にかけて、ウィーンにおいて会談が行われた。オーストリアのブオルは、ロシアに新たな4条件をのませて休戦を提案したが、イギリスはこれを拒否した。

 クラレンドン外相らは、軍事的勝利を得るまで妥協するつもりはなかった。

 

 

 9 「パム」の乱入

 1855年1月末、戦況の悪化とタイムズ紙報道によって、世論と閣内強硬派から支持を失ったアバディーンは辞職し、続いてパーマストンが組閣を命じられた。

 
 ニューカッスルに代わる新陸軍大臣パンミュア男爵Panmureはラグランとその幕僚たちに失敗の責任を転嫁し、首を挿げ替えようと試みた。

 フランスでも失敗を現場に押し付ける風潮があった。カンロベールは優柔不断のため英軍から「Robert Can't」と揶揄されるようになった。

 

 ウィーンでの会議は続いた。しかし、イギリスは軍事的勝利なしに妥協するつもりがなく、徒労に終わった。イギリス特使ラッセル卿は交渉失敗の生贄にされた。

 ニコライ1世は1855年2月、自軍の弱さと失敗で落ち込んだまま肺炎を患って死んだ。

 息子のアレクサンダー2世はロシアの威信を保つため戦争継続を決心した。

 

 10 春の膠着

・ナポレオン3世は直接クリミアに乗り込もうとしたが、これは遠征軍の指揮関係に影響するため、英外務省の尽力により取りやめになった。

・フランスは兵の増強がすむまで攻撃する意図がなく、英軍をいらだたせた。フランス軍が増えるにつれて、英軍は、自分たちが従属的立場になりつつあることを覚った。

・連合軍が要塞手前で停滞している間、ロシア側工兵の専門家、トッドレーベンは驚異的なレベルでセバストポリの防備を強化した。

 

クリミア戦争には、近代戦の要素が多く見られる……塹壕戦、偵察気球の試み、軍事・外交電報、野外電話、鉄道の利用、陸上車両、機雷。

 それでも、戦争の大部分はウェリントン時代の戦術と大差なかった。

 

 11 トッドレーベンの勝利

・攻撃が行われないまま英仏・トルコの連携は崩れ始めた。オマル・パシャは自分たちで別の港町を攻めようと意気込んでいた。

 

・英軍の大半は新兵に入れ替わっていた。フランスと異なり徴兵制は施行されていなかった。兵員不足を解消するため、各国で外人部隊を徴募した……ドイツ人、ポーランド人、スイス人など。

 イギリス外務省はアメリカ合衆国内でこっそりと兵員募集を行ったが、ニューヨーク警察に見つかり追い出され、外交問題になった。

 

・カンロベールは親しい連絡官ローズに心境を吐露した後、疲労と心痛のため司令官を辞任した。後任はより厳格なペリシエPelissierになった。

 

 

 12 春の航行、夏の成功

・海軍の動き……1855年5月中旬、アゾフ海入り口の港町ケルチKertchを連合黒海艦隊が襲撃し陥落させた。英仏軍の無差別砲撃、トルコ兵の虐殺、略奪、強姦が悪評を招き、ロシアや合衆国を激怒させた。

 バルト海では英仏艦隊(ダンダス指揮)がスベアヴォルグを砲撃し損害を与えた。しかし、クロンシュタットを攻撃することは、水際調査の結果、不可能に近いことがわかった。

・違法徴募事件で悪化していた英米関係はさらに激化し、イギリスは北大西洋の交通封鎖のため艦隊を派遣した。

 イギリスは、アメリカがロシア、アイルランド共和派を支援していると非難した。

 

 13 塹壕戦:要塞の虐殺

 1855年6月以降、堅固なセバストポリ要塞を攻める過程で、多大な人命損失が発生した。

・マメロン砦Mamelonの戦い:フランス軍に5400名以上の死者

・大レダンThe Great Redanの戦い(マラコフ砦Malakovの戦いと同時):イギリス軍1500人、フランス軍3500人の死者、意思疎通失敗によりロシアの砲弾の嵐を無防備に突撃

・6月末、疲労と疾病でラグランは死亡した。かれ自身はウェリントン時代の戦術に忠実な、優れた、人望のある司令官だった。しかしイギリス軍の構造的欠陥の責任をすべてかぶせられ、汚名を被って死んだ。

 

 14 セバストポリ陥落

・ラグランの後任シンプソンSimpsonは重責に耐えられず、悩んだ末コドリントンが指名された。当時、最良の指揮官だったコリン・キャンベルは、生まれが上流でないため全く顧慮されなかった。

・英軍は、工作隊として民間技師と鉄道技師Navvyを雇った。しかし高給取りのわりに意欲がなかったので兵隊を怒らせた。

・戦況が硬直し、双方は疲弊していた。世論は、また次の冬を越すのかと失望した。

・9月8日、連合軍の突撃によりセバストポリは陥落し、ゴルチャコフは撤退した。ロシア軍1万3千人、連合軍1万人が死んだ。要塞には死者や重傷者が放置されていた。

 

 15 忘れられた戦い:カルスKarsとエルズルムErzerum

 小アジアでは、北コーカサスにおけるシャミールの反乱やクルド人の反乱が発生し、オスマン帝国は対応に追われた。

 宿敵クルド人との戦争は特に凄惨であり、捕虜は鼻や耳をそぎ落とされ、手を切断され、串刺しや皮はぎの刑に処された。

 

 16 二度目の冬

 セバストポリ陥落後の膠着状態について。

 

・ロシアはシンフェロポリに後退したものの依然としてクリミア半島を保持できていた。アレクサンダー2世は継続を望んでいた。

・ナポレオン3世は、フランス軍ワーテルロー以来の停滞を打破し、再びヨーロッパの大国に復帰することができたと満足した。世論も、勝利に湧いた。そして、これ以上の犠牲と消耗は望んでいなかった。

・イギリスは目立った功績がないため、まだ和平の意志はなかった。前年と違い冬用装備も充実していた。

・遠征軍高官たちは不倫や恋愛に励んだ。


  ***
 3部

 主に講和をめぐる各国の動きを説明する。重要なのだが、若干退屈である。

 

 1 和平交渉者たちPeace Feelers

 外交交渉が停滞している間に、フランス軍は疫病で最大の死者(数万人)を出した。

 

 パリ講和会議の結果、両軍は撤退を開始した。

 兵が完全撤退したのは1956年7月だった。

 

 3 パリの平和

 パリ条約の内容は、イギリスには不満のあるものだったが、これを覆すことはできなかった。

 

オスマン帝国の主権確認

・英仏の歩み寄り

・1875年ボスニア反乱に伴う露土戦争後の、ロシアの黒海権益回復

 

 4 新世界秩序

 クリミア戦争後の欧州諸国の情勢について。

 

ペルシア戦争(合衆国の支援するペルシアがアフガン国境のヘラートHeratに進出し、これをイギリス軍が阻止)

英米対立と、米ロの蜜月……合衆国はロシアからアラスカを買い取った。英米は、違法徴募問題で燻っていた。

・インド反乱……貿易などを通じた間接支配から、直接統治への移行期

・ナポレオン3世の拡張政策

ビスマルクプロイセン勃興……デンマーク戦争、普墺戦争普仏戦争

・ロシアの改革(農奴制廃止など)とその行き詰まり

・合衆国の内戦……大規模電気通信、潜水艦、鉄道の本格利用

・イギリス人顧問ストラトフォード卿はオスマン宮廷における影響力を取り戻し、近代改革を進めるよう促した。しかしスルタンや宰相はあまり聞き入れず、停滞したまま列強から取り残されていった

 

 5 クリミア戦争の教訓

 クリミア戦争は、その後起こったインド反乱や南北戦争普仏戦争などによってかすんでしまった。

 しかし、その存在は各国の文化に残った……テニソンの詩、「軽騎兵の突撃」、トルストイの小説その他。

 多くの従軍者や記者が回想録を出版した。

 イギリス軍は緒戦の失敗を受けて、19世紀後半に軍事改革を実施した。

 

・軍政機関の再編により、参謀本部は純粋に作戦のみを統括するようになった。

・エンフィールド銃への更新、軍服の更新

 クリミア戦争は近代戦と古典的なナポレオン時代の戦争、双方の特徴を備えたヤヌスのようなものである。

 

 6 終章Epilogue

 クリミア戦争と、1914年8月の開戦とが対比される。

 両戦争は、いずれも東方問題が原因で発生した。どちらも、「ヨーロッパの病人」オスマン帝国の没落に伴う政治的空白をめぐって引き起こされた。

 イギリスはかつてコンスタンティノープルの権益を守るために、ロシアと戦ったが、1914年には、これをロシアに引き渡すという約束の下、トルコに宣戦布告したのだった。

 イギリス軍は、クリミア戦争時に比べ、非常に優秀な軍隊として戦った。

 

 なお、20世紀最初の大戦争バルカン半島から始まり、その世紀末にバルカン半島自身の崩壊(ユーゴスラヴィア紛争)で終わったのは皮肉である。

 EUの誕生は、19世紀の外交官や君主たちには信じがたいものだろうと著者はコメントする。

 しかし、本書刊行時の予想とは違って、欧州統合の基盤は決して盤石ではないことが判明した。

 

Crimea: The Great Crimean War, 1854-1856 (English Edition)

Crimea: The Great Crimean War, 1854-1856 (English Edition)