◆ヴィックスバーグ国立公園
ジャクソン市内のモーテルから1時間弱運転して、ヴィックスバーグ国立公園Vicksburg National Parkに到着した。
ヴィックスバーグは古くから栄えたミシシッピ川沿いの町で、1863年5月から7月にかけて、合衆国のグラント将軍率いるテネシー軍と連合国の守備隊が戦闘し、最終的に南軍が降伏した。
ヴィックスバーグ包囲戦の死者は北軍800弱、南軍3200強である。
この降伏は1863年7月3日に行われ、翌日の東部戦線でのゲティスバーグにおける北軍の勝利と合わせて、北軍の優勢を決定づけたと言われている。
ヴィックスバーグとその高台は、当時南軍が輸送経路に用いていたミシシッピ川を睥睨する位置にあり、ここを制圧することで北軍は敵の兵站・戦略に大きな打撃を与えることができた。
グラント将軍が包囲したヴィックスバーグ市街地は、現在も街並みが残されており、観光用の博物館や遊覧船も運営されている。
ヴィックスバーグ国立公園は、ミシシッピ川を見下ろす高台一体を保護しており、ビジター・センターを訪問した後、実際の戦場後を自動車で見物することができる。
公園は大変広いため、車でなければとても回り切れないと思われる。ジョギングしている住民をたまに見かけた。
◆USSカイロ博物館
公園をさらに奥に進んだところに、USSカイロ(Cairo)博物館があったのでこちらも訪問した。南北戦争時、合衆国(北軍)海軍が運用した砲艦で、1862年にヤズー川で機雷により沈没した。
ヤズー川はミシシッピにある河川で、付近に住むヤズー族(Yazoo Tribe)から名付けられたというが、「ヤズー」の由来は不明である(長らく「死」を意味すると考えられてきた)。
USSカイロは、19世紀の沈没以来、川底に埋もれていたが、1965年に歴史学者や有志らによって引き上げられ、その後ヴィックスバーグの一角に国立博物館として保存されることになった。
館内では、引き上げについての映像を観ることができる。巨大な砲艦引き揚げは難しい作業で、死者も出たようである。
◆ヴィックスバーグ市内のコカ・コーラ博物館へ
公園を出て、車ですぐの市内に向かった。市内の一角は旧市街として保全され、ちょっとした観光地になっていた。
古戦場、ヴィックスバーグの旧市街と、見かける観光客は皆リタイアした雰囲気の高齢者たちで、30代の人間はわたしたち以外見かけなかった。アメリカでも日本でも、田舎を平日にのんびり旅行するのは大多数がリタイアした人のようである。
逆に、次の日に散策したニューオーリンズの繁華街は、国内外の若者でごった返しており、日暮れ近くになると「酔って騒いでやるぞ」と顔に書いてあるような人びとが多数出現した。
ビーデンハーン・コカ・コーラ博物館(Biedenharn Coca-Cola Museum)は、初めてコーラを瓶詰した小売店を改装した施設である。本家コカ・コーラ社はジョージア州アトランタにあり、「ワールド・オブ・コカ・コーラ」という巨大博物館が存在する。
こちらは創設時の内装や設備、コーラ瓶詰装置等を展示している。受付でコカ・コーラを購入することもできる。この日は暑かったので、ダイエット・コーラを飲んだ。
◆キャンプ・シェルビーの軍事博物館
ヴィックスバーグか州間高速道路を南下し、ニューオーリンズに向かう途中、グーグルマップで軍事博物館を発見したので訪問した。
キャンプ・シェルビー(Camp Shelby)という陸軍基地の中にあり、戦車、ヘリコプターの他、館内で様々な装備品や歴史的物品を展示していた。
ミシシッピ州軍が運営しているが、予備役や、連邦陸軍の訓練施設として運用されており、非常に大規模な訓練基地である。
米軍の構成は複雑だが、近年では現役(連邦軍)、予備役、そして州兵の統合運用が推進されており、部隊レベルでの一体運用が行われている。具体的には、ある部隊の中で現役兵と州兵が一緒に勤務し、またある州軍の飛行隊に現役空軍のパイロットも所属しているというような具合である。
キャンプ・シェルビーには新兵教育部隊が所在しており、車でゲートを通るなり、あまり格好良くない体育着の新兵たちがジョギングや球技に取り組んでいた。
かつて迷彩服公務員として働いていたので、当時を思い出して懐かしい気分になった。実のところ、このとんでもない田舎に送り込まれた兵隊は、さぞ退屈するだろうなという感想を持った。
わたしの場合は、入隊初日に階級章を縫い付けているときにこれは就職活動を失敗したと思った。その後新兵教育を終えて部隊に行くと、あそこはまだ皆やる気があったなと懐古するようになった。やめた組織の「人」をけなすつもりはないが、目が死んでいる人が多かったのを覚えている。
軍事博物館にありがちだが、敷地内にはゴミ扱いされていたような歴代の機械が多数置かれていた。とはいえここでは、しっかりと看板が設置され歴史や運用を解説してくれた。
館内では1913年に設立されたシェルビーの成り立ちや、現在にいたるまでの戦地派遣とそれに関連する文物が展示されている。
第2次世界大戦コーナーには、日本軍から手に入れた装備等の紹介コーナーがあった。
第2次世界大戦中、多くの歩兵部隊はこの基地で教育を受け戦域に送られた。
というわけで、ハワイ・カリフォルニアの日系人から構成された部隊もここで教育を受けたことが紹介されている。
日系人部隊は他の軍事博物館でも頻繁に紹介されているが、それはかれらがイタリア・南仏・ドイツ戦線で授与された勲章の多さによる。
偶然、キャンプ・シェルビーを訪問したが、そういえば以前日系人部隊の本を読んでいるときに、ミシシッピ州に言及されていたような記憶があった。
第442連隊はアメリカの歴史上最も多く勲章を受けた部隊であり、大戦争がない限りこの記録は今後も続くと思われる。
Unlikely World War II Soldiers Awarded Nation’s Highest Honor - HISTORY
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これを受けて「よっしゃ、日本人すごい、日本人として誇らしいわ」と気安く乗じることができるだろうか? わたしの感覚では不可能である。ましてや、同じ迷彩服系職員であると称することも絶対にできない。
かれらは日本からはまったく支援を受けなかった。アメリカでは差別され、その上でアメリカ市民として犠牲を払い戦闘に従事し、戦後も差別解消のために尽力したのである。わたしにとってはあまりに恐れ多い人たちである。
残念なことに、わたしが継承しなければならないのは誇り高い日系人部隊ではなく、自軍の大半を餓死させ、また各地で戦争犯罪を起こした失敗軍である。
※ 実際に対面で話すアメリカ軍人はよく「日本だけでない、我々も捕虜をとらないなど戦争犯罪を行っていた(これは事実)」と気を遣うが、わたしは擁護しきれるものではないと考える。
ところで、ベトナム戦争やイラク戦争などをアメリカの軍事博物館はどのように描いているのだろうか? わたしの見た範囲では戦争の意義に関しては一般的な説明を行い、現場の過酷さ(ジャングル、ゲリラ戦、IEDや市街戦)に焦点を当てている。
次のアメリカの戦争はどのような扱いになるのだろうか。
数年前に訪れた東京電力博物館では福一の存在が完全抹消され未来志向のスローガンで総括されていたが、アメリカの博物館も都合の悪い部分を隠す点では変わらない。
博物館を出るときに、軍人家族に写真撮影を頼まれ手伝った。
その後キャンプ・シェルビーを出てルイジアナ州に入り、ニューオリンズの中心に近いモーテルに泊まった。
ケイジャン料理の本拠地ということで、ニューオリンズに滞在した2日間は、ほぼ毎食ザリガニ(Craw Fish)を食べた。近場で取れるため非常に新鮮だった。ケイジャン料理のザリガニボイルはわたしがアメリカにきてから発見した好物の1つで、ほぼ毎週ザリガニを食べている。
[つづく]