うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

南から北 その1 アトランタ(ジョージア州)~ジャクソン(ミシシッピ州)

 ◆アトランタからニューヨークにかけての旅行

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大まかな経路

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チャタヌーガ(テネシー州) ロックシティの展望台 複数の州境が見渡せる

 アメリカ本土に行ったことがなかったので、今回、東部旅行に行った。

 大部分はレンタカーを借りて移動したため、長時間運転し疲れた。グーグルマップで確認したところ、合計2300マイル以上運転していた。

 運転時間が長く、あまり体を動かさなかったが、脂ぎった食事でだいぶ脂肪が増えてしまった。

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レンタカー DODGE RAM とても燃費が悪かった気がする

 

 行先:

 ジョージア州

 アラバマ州

 ミシシッピ州

 ルイジアナ州

 テネシー州

 ヴァージニア州

 ワシントンDC

 ペンシルベニア州

 ニューヨーク州

 

 主な観光場所

南北戦争の史跡・戦場

・軍事博物館

・その他の博物館・美術館

独立戦争関連施設、建国の父関連施設

 

 ◆道路状況

 道はほぼすべて州間高速道路を使った。荒地のなかの、ぽつぽつと廃屋が並ぶ汚い道路という先入観とは違い、どの道もきれいに整備されており、中央分離帯が広く確保されていた。

 どこでも15~30分走ると、サービスエリア(ファストフード店)やモーテルがあった。

 また、ほぼ毎日、交通事故と事故渋滞に遭遇したが、グーグルマップが優秀なので迂回できることが多かった。

 

 ◆アトランタ市内

 Hartsfield-Jackson Atlanta International Airport空港を下りた後、レンタカーを借りてウォルマートに向かった。

 

 空港からウォルマートにかけて、店員や通行人、客も含めて99パーセントが黒人だったのが印象に残った。ふだん自宅警備しているハワイ州は、黒人がそこまで多くないからである。実際に本土に行ってみて比率の違いに最初はぎょっとしたがすぐに慣れた。

 

 ※ アトランタ市とハワイの住民構成(ウィキペディア情報)

 アトランタ市:

  黒人 約60%

 ハワイ:

  先住ハワイおよびポリネシア 6%

  アジア人 38.6%

  ヒスパニック 8.9%

  黒人 1.6%

  白人 24.7%

  上述人種の混合 23.6%

 

 人種といえば、ホノルル市内のバーで現地人と話したとき、その多くは日本、韓国、中国、またフィリピンなど複数の由来を持っていた。日本の名字を持っていても、片親や親戚が中国系や韓国系だったりするので、日本の感覚で「中国人・韓国人は~」等と気軽に悪口を言うと怒りを買うに違いない。

 ハワイの入門書に、ハワイはハワイ人という融合したアイデンティティを持つようになったという趣旨の内容が書かれていたが実際に接してみて納得した。

 

 日系人は第一にアメリカ人であり、必ずしも全員が日本人という起源を意識しているわけではない。わたしが勝手に同胞意識を感じて、当初はよそよそしいと感じることもあった。日本人を特にひいきすることがなく、日本語で話しかけてくることもないからである。ハワイ州兵には日系人がたくさんいるが、「へー、日本から来たの、あ、そう」という薄い反応が通常である。

 ハワイでは、日系人向けに日本企業で研修させる制度も存在したらしく、とある人物は日本の製造会社に派遣されたものの、日本語が下手で外人扱いされ、窓際に追いやられたと話した。これを聞いて、かれらはかれらで寂しい思いをしたのかもしれないと感じた。

 わたしの知る限りでは、日系人で日本語を話せるのは10人に1人程度である。親が熱心に日本語を学習させるか、本人も意識的に学ばなければバイリンガルになるのは困難なようである。アメリカ市民であれば日本語を話す必要性もあまりないので、徐々に話せる人は減っていくのではないか。

 なお、ハワイには明治時代に設立された日本海軍墓地の保存に努め、日本語や日本文化を保持するために活動している日系の方たちもいる。

ハワイの歴史と文化―悲劇と誇りのモザイクの中で (中公新書)

ハワイの歴史と文化―悲劇と誇りのモザイクの中で (中公新書)

 
ゴー・フォー・ブローク!―日系二世兵士たちの戦場 (光人社NF文庫)
 

 

 アメリカに引っ越してから約1年半経ったが、表立った人種差別的な行為は受けなかった。陰口や遠回しな差別はあったのかもしれないが、わたしの英語能力では理解できなかったのだろう。

 ネオナチ集団や白人至上主義者が殴りかかってくるというような、直接的な攻撃も受けたことがない。今回の旅行中も、そういった差別はまったく経験しなかった。

 しかし、自分は運が良かっただけで、人種差別はもっとも深刻な問題の1つであると考える。

 

 

 ◆ミシシッピ州オックスフォードへ

 ウォルマートで激安ドーナツを買った後、I-20とI-22を通ってミシシッピ州オックスフォード(Oxford)に向かった。

 運転には6時間程度かかり、途中でアラバマ州を通過した。

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アラバマ州の入り口

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ハイウェイの脇にあったミシシッピ州ビジターセンター

 

 オックスフォードはミシシッピ州立大学の所在地で、町の名前はイギリスの大学からとられたそうである。

 大学近辺は庁舎や宿舎が立ち並んでいるが、それ以外は森と緑地(すべて私有地)だった。州道沿いの家はどれも広大な庭や山、森をもっていて、道路脇に郵便ポストはあるが住宅が見えなかった。

 

 この町における目的地は小説家ウィリアム・フォークナーの自宅「ローアン・オーク(Rowan Oak)」だった。

 フォークナーの小説は高校生の時に翻訳を読んで、その後は短編だけ原文で読んだ。非常に読みにくいが、わたしにとって南部のイメージとはフォークナーと「ミシシッピー・バーニング」だった。

・没落し腐敗した白人地主

・リンチにかけられる黒人

・KKKがたいまつを掲げて夜な夜な襲撃をおこなう

 これはとても偏った世界観である。

 

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ローワン・オーク

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屋敷は撮影禁止だった

 フォークナーは昔、日本でも全集が出され、大江健三郎中上健次などが影響を受けている。邸宅の展示コーナーでは「Big in Japan」というコーナーがあった。

 

 庭の奥に進むと厩舎や召使小屋があった。さらに進もうとしたところ、足元の草むらからへびが出てきたので走って逃げた。

 

 ◆州都ジャクソン

 さらに車で2時間程度南下し、ミシシッピ州都ジャクソンに到着した。最大都市だが人口は17万程度でのどかな雰囲気だった。

 

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州庁舎

 州庁舎を見物するため駐車場を歩いていると、清掃員にアロハと声をかけられた。わたしたちが珍しくアジア人で、カウアイビールのTシャツをきていたのでハワイ人だと勘違いして声をかけたとおもわれる。なのでマハロと返事しシャカサインをした。

 

 州庁舎は1903年建設の古いもので、議会や知事室、地下などは良い雰囲気だった。

 日本からの見学者もたまにいるらしく、日本語訳パンフレットをもらった。

 

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上院か下院どちらか

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州庁舎内部

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州の紋章とは図柄が違う紋章

 この日はハイウェイ沿いのモーテルに宿泊した。

 受付の若者、何の用でミシシッピに来たのかと聞かれて、ただ楽しむためにきた(Just for Fun)と返事したが、「ここに何か楽しみでもあるのか」と笑われた。

 モーテルの周囲には大抵ファストフード店があり、ハンバーガー、フライドチキン、ワッフル(ワッフルケーキ+肉・ポテト)など、様々な肥満養成料理を選ぶことができる。

 

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南部のソウルフード? ワッフルハウス


 [つづく]