うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『チェチェン やめられない戦争』アンナ・ポリトコフスカヤ その2 ――無法者と劣悪軍隊の違い

 2 ロシアの現実

・イングーシ共和国のアウシェフ大統領は、チェチェン難民の受け入れを表明した唯一の隣国だが、連邦政府からにらまれ、強制的に辞任させられた。

 後任者は、FSB(連邦保安庁KGBの後継機関)将官ジャジコフだった。イングーシはただちに難民の強制送還と国境封鎖を実施した。

連邦軍の兵たちは、自分たちの憎しみから、チェチェン人に対し略奪、暴行、殺害を行った。チェチェンに派遣された兵は凶暴化しており、またチェチェン人をひどく恐れていた。

 

 ――我が国の文化人たちはおとなしい。静かで穏やかだ。ヒムキのこのポグロムに対して我が国の演劇協会はあまりにあきらめきった反応しかせず、まるでモスクワに住んでいる影響力のある、自由主義を標榜している大勢の役者や、演出家など存在しないかのようだ。

 

・ロシア軍内での強盗、暴行殺害はすべて隠蔽される。徴兵された兵士は帰れず、母親が訴えると部隊長は兵隊たちの戦地手当を半分よこせと脅す。

 

 ――チェチェンという名を付けた特別事業によって国全体が堕落させられてしまい、ますます感覚を鈍麻させつつ社会は残虐なものになってきている。ロシアでは人間の命の値段がそれでなくても極度に低かったのに、今ではそのまた何万分の一にも落ちてしまった。

 

チェチェンスーフィー主義のイスラームが普及した地である。また人びとはヴィルドと呼ばれるクランによって団結している。カディロフのようなムッラーよりも、各地域の長老や指導者が力を持つ。

・カディロフは以前からメッカ巡礼資金を横領するなどの前科があり、ロシア側についたことで国民からは完全に見放されていた。

チェチェン人に温情を見せた大尉は解雇された。空爆中のグロズヌイにおいて、老人ホームから老人を救出した内務省軍の大佐は勲章をもらえなかった。なぜならこの大佐はイングーシ人であり、また人を救助することは英雄の行為ではない。

 

 ――国益優先で、慈悲心という言葉が制度からだんだん締め出されている現実をすでに私たちは目にしているではないか。権力は自国民に対して残虐さに基づいた行動原理を与えようとしている。抹殺したことを称える。殺人の理屈――権力にとって理解でき、そして権力が宣伝している論理だ。英雄になるには殺さなければならない、というわけだ。

 

 ――戦争の七年目の終わり、そして第二次戦争の2年目にしてチェチェンはまさにうまい汁を吸うことができるドル箱となっていた。ここでは軍人が異例の早さで昇進し、長い長い褒章受章者のリストが作られ、特別の称号や階位がふんだんいふるまわれていた。大事なのは誰でもいいからチェチェン人をタイミングよく殺し、その遺体を必要な時に必要な場所に提示することだ。

 

 チェチェンにおける勲章受章者の数と「ロシア英雄」の数は「公務用」として公開されなかった。

 

 

  ***

 3 この戦争は誰にとって必要なのか

 コソヴァン大将率いる特別建設総局(GUSS)は、軍事関係の建設業務を担う部署である。他に住宅使用総局(KEU)がある。

 チェチェン関係の資金はすべてかれが経営する建設産業総局(GUSP)に回るため、土木建設事業によって利益を得ることができる。

 軍人でありビジネスマンでもある将軍と新興財閥は、終わらない戦争によって利益を追求する。

 チェチェンの石油は、連邦軍の利益となり、そこに連邦軍の協力者である石油泥棒たちが群がった。かれらはパイプに穴をあけ、オイルを溜め、その後ガソリン輸送車で輸出する。

 

 共和国の石油を管理するはずの部署は現在無力化されている。石油の利益は共和国に一銭たりとも還元されていない。

 

 ――チェチェンからは毎晩、数千トンの石油と石油製品が違法に運び出されている。ところが我々は文房具さえ買えないでいる。

 

 ――モスクワがチェチェンに求めているのはただ1つ、無秩序を維持すること。混乱は儲けにとっては好都合だ、管理された混乱ほどより多くの配当をもたらすものはない。

 

・カディロフや役人は縁故による登用を行い、架空の孤児院を設置し家具や寝具をせしめている。

・野戦司令官たち……東洋派のバサーエフやハッターブはサウジアラビア式のイスラームを普及させようとする。マスハドフやゲラーエフは、西欧式の近代主義を採用しようとする。このためかれらは互いに反目している。

・第三勢力は連邦軍への憎悪からゲリラ戦を続けるだろう。連邦軍は、戦争継続の為に、国民から見放されたアラブ派……バサーエフやハッターブを見逃し続けていた。2人が殺害された後も、ゲリラ戦が継続した。

 

・アナン事務総長はチェチェンからの訴え(ヒューマンライツウォッチを通じた)を黙殺した。なぜならかれの頭にあるのは事務総長の椅子だけであり、常任理事国であるロシアの機嫌を損ねることなど考えられないからだ。

 

 ――コフィ・アナンがその椅子と引き換えにしてしまったチェチェンはどうなったのか? 相も変わらず、恐怖と、欺瞞、テロの波にのまれている。

 

・イングーシ共和国におけるアウシェフ大統領すげ替え作戦時の取材の様子が書かれている。

 連邦は自分たちに都合の良いFSB将官を大統領選で勝たせようとしていた。

 

 ――「あなた方が何をやろうと、ジャジコフ(連邦政府の差し金)が大統領になるんです。モスクワが決めたんだ。ほかの選択肢はない。選挙でえらばれなければ、任命するだけだ」

 

 ――「あなた方の候補(ジャジコフ)の長所を話してください」

   「大事なことは、ほかの人たちと比べて透き通らんばかりに汚れのない人だということです」

   「どうして、そうお考えなんですか?」

   「なぜかというと、あの方は透き通らんばかりに汚れのない部門(FSBのこと)から来た方ですから」

   なるほど、だが程度と限度というものがあるのでは……。

 

・軍や治安機関のなかには良心を持った人物もいる。しかし、組織全体の腐敗には到底太刀打ちできない。かれらもまた、悪党たちと同じように戦争によって殺害される。

 

  ***

 エピローグ

 チェチェン独立派穏健派指導者アフメド・ザカエフとの対話。

 かれはまだ生きているという。

  ***

 

チェチェン やめられない戦争

チェチェン やめられない戦争

 

 

『チェチェン やめられない戦争』アンナ・ポリトコフスカヤ その1 ――無法者と劣悪軍隊の違い

 ◆メモ

 1999年から始まった第2次チェチェン紛争により市民は無政府状態の下に晒された。

 本書では「対テロ作戦」、「掃討作戦」によって日々迫害される人びとに注目する。戦争を概説するのではなく、末端の市民と末端の悪党たちの様子を細かく伝えようと努めている。

 規律のない軍隊は犯罪集団と化し、またチェチェン人側も内紛や犯罪者、隣人同士の裏切りによって腐敗していく。国内にこのような混乱地帯を作ることで、軍や役人は利益を手に入れ、プーチンは支持率を維持することができる。

 著者によれば、バサーエフ、ハッターブらチェチェン過激派はロシア政府の自作自演というわけではなく、かれらが活動を続けていることが、ロシアにとっても都合がよいので、2002年の時点では、あえて生かしていたのだという。

 

 ポリトコフスカヤや、本書に登場する善意のジャーナリスト、軍人、運動家が、危険な仕事をあえて続けられるのは驚異的である。そしてかれらは実際にひどい拷問を受け、殺害される。

 このような社会で生きるとは、平穏のために異常な体制に順応して生きていくのか、それとも死と拷問の危険を覚悟して信念を貫くかの選択を、常に迫られるということである。

 

  ***

 プロローグ

 

 ――私は書かなければならないと確信している。理由はただひとつ――私たちが生きている今、この戦争が行われている。そして結局私たちがその責任を負うのだから。その時にこれまでのようなソ連式の答えで逃れることはできない。そこにいなかったから、メンバーじゃなかったから、参加していなかったから……などと。

 

・掃討作戦……チェチェン国内の連邦軍による特別作戦。無法者、テロリストの取り締まりを意味するが、実質的には殺人、誘拐、略奪を意味するようになった。

 

 

  ***

 1 戦時下のチェチェン

・恒常的な空爆により住居と生活は破壊され、大量の難民が発生した。

・難民キャンプの人びとは、配給されるわずかばかりの食糧のために、隣人を売り、密告するようになった。

 

 ――何のために「吊るしてやって」「ちょん切ってやる」のだろうか? それは、ただ、少し前にいる者がほんの半時間ほど早く、缶詰のコンビーフを食べられるからというそれだけだ。人間的な感覚が失われている。心が壊れてしまった。古来のチェチェン精神がここではまったく打ち砕かれていることに気づかざるを得ない。

 

・難民キャンプを抱えるチリ・ユルトの住民は難民を厄介者扱いしている。

・ヴェデノ地区では掃討作戦による略奪、誘拐、殺人が行われた。男子はテロリストとして誘拐され、引き取るには数百ルーブルを払わなければならない。それが間に合わなければ、かれらは屍体引き取りのためにさらに高額を支払うことになる。

・ジャーナリストの取材を受けたもの、軍や治安機関に対する不満を訴えたものは、隣人の密告により次々と変死した。

チェチェンにおける軍の不正行為を報告しようとしたポズドニャコフ中将のヘリは撃墜された。そのとき、軍は不可解な特別戒厳令を敷いていたはずなのに。

・コムソモーリスコエ村は2000年2月にゲラーエフ野戦司令官がやってきて、その後連邦軍と戦闘になった。村は徹底的に破壊された。

 

 ――人生でもっとも大事なことは? 「カラシニコフ」銃を持った人物から、すばやく身を隠すこと。人間の命の価値? まさに彼らの時代にはそれはゼロに等しくなった。

 

コーカサス合同軍、内務省軍、FSBの部隊、警察特殊部隊(OMON)、あらゆる部隊の将校、兵、コントラクトニキ(傭兵)たちが、民家の略奪、誘拐ビジネス、単純な嫌がらせや拷問に精を出した。

 ある一家はビールをせびりにきた兵に射殺された。

 

・選別収容所(Filtration Camp)は、証拠を残さないように廃屋や仮設バラックが利用される。そこで監禁、拷問、殺害が行われる。

 

 ――第二次チェチェン戦争の三年目に入ると、廃墟を夜な夜な略奪して回っているのは「犯罪者クラブ」のようなものになっていた。それはチェチェンの刑事犯と、連邦軍の任務を遂行中と称してやはり犯罪を行う軍人の混成部隊だった……今はやりの国際テロリズムの兆候こそないが、まさに民族を超えた真の犯罪インターナショナルは参謀本部や戦略、戦術より強く、だれもその流血行為を止められなかった。

 

チェチェン人はならず者民族扱いされた。連邦軍は略奪の際によくモスクに入って糞便を捨てていき、コーランを燃やした。

 

 ――「家の納屋には干し草が二百束あった」と老女の隣人が言う。「軍人たちは村のはずれから連れてきた若者を家の納屋に引きずってきて、干し草の束の間にいれてそのまま燃やしてしまったよ」

 

・連邦から承認を受けたチェチェン共和国初代大統領であるアフマド・カディロフは一連の不正行為を黙認していた。

 

・スタールィエ・アタギーの村がゲリラ掃討作戦の対象となり、若者は殴打と電気拷問により死ぬか、運が良ければ障害者になった。

 

 ――隊長だと思われる男の最初の要求はこうだった。「金と貴金属を出せ!」

 

 モルテンスコイ将軍の指揮する掃討作戦で住民が犠牲になっている間、本物の強盗たち、ワッハーブ派たちは、「いつものとおり、……それぞれの家にじっとしていた」。

 

・誘拐のほかに、レイプしない代わりに金を払えという事例があった。またある老婆は床下の倉庫に閉じ込められ、出してほしければ金を払えと軍人に指示された。

 

 ――この戦争の手法が効力を発揮することがあるとすれば、それはテロを増殖し、新たなレジスタンスの闘士を生み、憎悪をかきたて、血と制裁に立ち上がらせるということだ。

 

・グロズヌイには取り残された弱者や老人、病人が多く生活していた。国外脱出は危険かつ命がけであり、かれらは家族からも見放されたのだった。

・野戦司令官ハッターブ、バサーエフが死んでも、戦争は終わらない。人びとは「テロから祖国を守っている」軍に金を払い、身内の身柄や屍体を買い戻している。

チェチェン人の女性を強姦殺害したブダーノフ大佐は、たまたまアメリカなど国際社会の注目を浴びたため、異例の訴追を受けることになった。

 

 

  ***

[つづく]

 

チェチェン やめられない戦争

チェチェン やめられない戦争

 

 

 

国家・政治・行政の腐敗とどう戦うか

 ◆はじめに

 どうすれば腐敗と戦うことができるのかをGoogleで調べた。

 

 わたしの読んできた歴史の本は、ほとんどが外国政府や権威主義体制・独裁体制に対するテロ活動で、腐敗との戦いにおいて直接参考にはならなかったからである。

The Revolt: Story of the Irgun

The Revolt: Story of the Irgun

 
Long Walk to Freedom: The Autobiography of Nelson Mandela (English Edition)

Long Walk to Freedom: The Autobiography of Nelson Mandela (English Edition)

 

 

 ベギン首相やマンデラ大統領、国防軍反乱者のように、重要施設を爆破すればいいのか? 単なる異常犯罪者扱いされて、警察権限強化の言い訳にされて終わりだろう。

 

 

 ◆思い出 

 無職戦闘員の、防〇省時代の見聞は、腐敗にあたるのだろうか。

 少なくとも、防衛に役立つ振る舞いではなさそうだ。

天下りOB大佐の鶴の一声で不自然に入札が決まった。

・NECや富士通からあらかじめ価格と仕様を受け取り、それを参考に年度の予算要求をしつつ、仕様書・予定価格を作成して一般競争入札を行った。

 

 今話題になっているスキャンダルでは、〇〇隊員ごときでは絶対通用しないような苦しい言い訳がまかり通っている。保身しか頭にない幹部でももう少しましな嘘をつく。さすが偉い人たちは違うと実感した。会計検査院も怖くないのだろう。


 

 ◆IT技術を活用し腐敗と戦う ――ブルッキングス研究所職員の提言

 所感:

 ナイジェリアでの経験に基づき、腐敗と戦う具体的な手段を提案している。

 カギとなるのは、IT技術を通じて、政府の重要なデータ(予算、会計、契約プロセス等)を可視化することである。

 各自治体や政府、各省庁、政党等の会計や調達情報等がアプリで簡単に参照できるようになればわたしもぜひ使いたいものである。作り方によって、不自然な金の動きや業者選定が自動で検知されるようになると興味深い。

 

 1 腐敗を理解する

(1)国家的腐敗(Grand Corruption)

 公金や公的資産の私的流用

(2)政治的腐敗(Political Corruption)

 公的資産の政治的派閥への横流し

(3)行政的腐敗(Administrative Corruption)

 公的資産の誤った使用

 

 2 対策――制度の構築

 最も困難なのは透明性を確保するシステム・制度を構築することである。政府の会計や給与、契約や交渉といった活動を可視化するためには、IT技術が核となる。

 

 3 対策――独立機関

・強力な、独立した監査・司法機関

・政府を監視する市民団体

 

 4 政府・各自治体の会計を監視

 筆者はナイジェリア人研究員であり、母国で各行政府の会計を分析・公開する機関を設置し、モバイルアプリを通じて国民に公開したところ、効果が見られたという。

 

 腐敗との戦いは長期戦である。戦いには、制度の構築、司法インフラ、政治的意志が不可欠である。

 

 政府は重要なデータ・統計を公開し、市民はこうした情報を知ることができなければならない。

 

www.brookings.edu

 

 

 ◆腐敗に関する普及教育 ――国連反腐敗デー

 12月9日は「反腐敗の日」らしく、当該サイトは国連の支部によって運営されている。

 いわく、腐敗はあらゆる国において発生しており、貧困層に害を与え、また国家を不安定にする原因となっている。

 所感:

 こちらはより一般論に近い。しかし、この一般論がいきわたっていない場合、そもそも物事の善悪も判断できないのではないか? 大多数の有権者汚職を悪いことと思わなければだれもこれを取り締まらないだろう。

 

 何をすべきか?

・国連反腐敗憲章の批准

・憲章が政府と公務員に要求している内容を理解する

・政府の責任に関する普及教育

・厚生や教育といった重要サービスにおける腐敗がもたらす害について、国民、メディア、政府に注意喚起を行う

・若者に対し、倫理的行為とはなにか、腐敗とはなにか、教育を受ける権利について普及教育を行う

・腐敗事案の通報を通じ、「法の支配」を確立させる

・違法・不透明な活動への参加を拒否

・腐敗を許容しない制度が経済的安定性を生む

www.anticorruptionday.org

 

 

 ◆中2でもできる汚職発見

 所感:

 トランスペアレンシー・インターナショナル自体が巨大な組織であり、様々な不透明事案(アメリカ合衆国への忖度、シーメンスからの献金内部告発)を抱えている。

 また、当該団体はエドワード・スノーデンへの支持案を却下し、またモスクワでのスノーデンとの面会(スノーデンが要望)を拒否した。

 こうした事項を考慮して、以下の提言を検討すべきである。

 若者向けの提案ということで、漫画や劇など、子供や学生ならではの手段もある。

 

 若者が腐敗と戦う15の方法

 1 政府の金の動きを追え

 2 政府が学校に支給する備品を数えろ(不自然な量、数の不一致)

 3 アンケートの収集

 公的サービスや政府についてのまとまった数のアンケートを提示することで、政府やメディアはこれに反応せざるを得なくなる。

 4 IT技術を使い税金の使われ方をチェックせよ

 5 漫画とアニメを活用し議論を喚起せよ

 6 映画・演劇で表現せよ

 7 ボードゲーム

 8 スポーツを通じて呼びかけを行え(アメリカでは傷痍軍人サポート、捕虜・行方不明者支援等でもよくやっている)

 9 青年団体を通じて、腐敗と戦う方法について公開議論を行え

 10 キャンプを通じて腐敗と戦う仲間を増やせ

 11 ゼロ・賄賂通貨――賄賂を要求されたら、偽のお金を渡し、いつどこで誰に賄賂を要求されたかを記録せよ(インドでの実践例)

 12 抗議・行進・デモ活動を行え

 13 署名活動を行え

 14 選挙公約 ――選挙活動中の政治家に対し、票を買ったり有権者を金で釣ったりしないことを誓約させよ。こうした行為は最もよく見られる腐敗行為である。

 15 インターネットやモバイル技術を活用し、リアルタイムで選挙を監視し、各自治体で起こる違法行為に目を光らせろ

www.transparency.org

 

 

 ◆腐敗と戦う大戦略

 所感:

 世界銀行の提案。若干抽象的である。

 

 1 腐敗は賄賂だけではない。資源がムダに使われることで、国民、特に貧困層が被害を受ける。

 2 人々の力が市民に政治参加を促す道を作る。

 3 役所手続きを打破すること。政府の公式プロセスと、非政府団体との双方を活用すること。

 4 技術を駆使し、政府・市民・産業界・市民団体、メディア、学界との情報交換システムを構築すること。

 5 制度と政策に投資すること。別のモデルをそのまま取り入れるのではなく、役所のシステムやサービスを継続的に改善していくおと。

 6 反腐敗政策を、市場、社会的動機と結びつけること。 

 7 罰則の運用は腐敗撲滅に不可欠の要素である。

 8 市民が、地方・国家・国際・地球規模の各レベルで腐敗と戦うようにすること。

 9 問題を抱える国家ほど、腐敗と戦うための資源に不足している。国際的な支援を受け、健全な統治を維持するための方策を考えること。

 10 実践と教訓収集、評価が重要である。 

 

blogs.worldbank.org

 

 

 ◆まとめ

 

 特に行政府・政党・選挙の透明性監視分析アプリに興味が湧いた。人海戦術による大量の情報公開請求や質問等でソースを取得し、これをいかに整理し、提示するかが重要になると思料する。

 既に存在するかもしれないので自分で調べてみたい。

 

 私は日本人の99%が問題ないと言おうと、絶対に役所や政治家の不正行為を容認しない。

 無職になるときに、辞めても日本のためになることをやれと当時の上司に言われ、その通りだと思ったからである。

暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン

暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン

 

 

  

 

 

『By Trust Betrayed』Gallagher その3 ――ナチス・ドイツの安楽死作戦

 8 T4作戦と弁護士(The Lawyers)

 ドイツ人には、社会が安定していた、治安がよかったとしてナチス時代をなつかしむ者もいる。

 合衆国の法には権利章典(Bill of Rights)があるが、ドイツの法に個人の自由という概念はなかった。

 

 ナチ政権の代表的な非人道的政策……夜と霧(Nacht und Nebel)や、ユダヤ人絶滅政策、安楽死プログラムは、すべて法体系と隔絶した総統指令によって実行された。

 

 法曹の一部や法務省は、総統内閣官房(Chancellery)のラマーズや、内務省に、安楽死作戦について抗議した。通常の法手続きを無視した殺人や収容が横行したためである。

 党員やナチ政権にとって、民族に利する事、ヒトラーの意志のみが合法だった。

 人民法廷(反ナチ活動を取り締まる法廷)が通常の法廷と並立しており、法制度の混乱を助長した。

 法曹や関係者たちのなかには、安楽死プログラムの法制化、成文化を目指した者もいた。しかし、ヒトラーには法制化するつもりはなかった。法相ギュルトナーはヒトラーの意志に従った。

 

 ナチ政権において法律は無力化されており、障害者たちが法に助けを求めることはできなかった。

 

 ※ 法相フランツ・ギュルトナー Franz Gurtner

   内相ヴィルヘルム・フリック Wilhelm Frick

   人民法廷長官ローラント・フライスラー Roland Freisler

   官房長官ハンス・ハインリヒ・ラマース Hans Heinrich Lammers

 

 ※ ナチス・ドイツの行政を調べると、従来の行政機構を解体することなく、その上にナチ党が統制する独自の機関や省庁が上書きされていることがわかる(例:ヴァイマル憲法、州政府等)

 

 

 9 T4作戦と教会

 カトリック教会は、ユダヤ人迫害や占領地での暴力を黙認する一方で、安楽死には組織的に反対運動を行った。

 その理由は複雑である。

 

 ドイツの東部・北部はプロテスタントルター派カルヴァン派)が、西部と南部ではカトリックが主流だった。

 ルターやカルヴァンが、世俗権力への服従を解き、権力と一体化したのに対し、カトリックビスマルク時代の文化闘争において迫害を受けた経験があった。

 ビスマルクは、カトリックを「ウルトラモンタニズム(Ultramontanism)」……教皇至上主義(教皇の差し金である)として非難した。

 ワイマール時代にはドイツ人の信仰心が薄れたため、ヒトラーの台頭は教会にとって歓迎すべきことだった。元来、教会は国家主義的かつ保守的だったからである。

 

 プロテスタント教会は、1933年の祭典「ポツダムの日」において、ヒトラー政権との協調を演出した。また同年には、ヴァチカンのピウス12世とナチ政権とが、コンコルダート(協約)を締結した。これは、お互いの不可侵を確認するものである。

 ドイツでは、ケアホームや障害者施設のほとんどが教会によって運営されていた。T4作戦が始まると、プロテスタント安楽死プログラムを黙認した。

 

 ドイツ国内の牧師(pastor)や司教(bishop)の通報を受けて、ローマ教皇庁は政策を批判した。

 様々な聖職者が、キリスト教の教えと倫理に反するとして、安楽死を批判した。

 

 代表的な反対者……

・フリードリヒ・フォン・ボデルシュヴィンク Von Bodelschwingh……新教牧師

パウル・ゲアハート・ブラウン Paul Gerhard Braune……新教牧師

・グラーフ・フォン・プライジンク Von Preysing……ベルリン司教

・クレメンス・アウグスト・グラーフ・フォン・ガーレン Clemens August Graf von Galen……

 

 フォン・ガーレンはヴェストファーレン地方の都市ミュンスター(Munster)司教であり、もっとも大々的に安楽死政策を批判した(説教(sermon)を通じて)。

 かれは愛国者かつ軍国主義者であり、ドイツ軍、ドイツ、ヒトラーを賛美し、また共産主義の根絶を主張した。しかし、安楽死政策は信仰に反するとして頑なに否定した。

 ゲシュタポも、ガーレンの威容を恐れ逮捕できなかった。

 フォン・ガーレンの説教はすぐに複写され、聖職者や軍高官や国外に広まった。ヒトラーは、司教にいずれ報復してやると言ったと伝えられている。しかし司教は生き延びた。

 

 ドイツの聖職者たちは、自分たちが直接被害を受ける政策……安楽死政策に対しては抵抗したが、それ以外の政策……ユダヤ人や異端者に対する迫害、占領地での犯罪には無関心だった。

 それは、平均的なドイツ人の反応でもあった。

 

 

 10 T4作戦の後遺症(sequelae)

 連合国がドイツを占領した後、ある精神病院において、医者たちはいまだに殺人を続けていた。米軍将校レオ・アレクサンダーの調査によって、T4作戦に係る裁判がニュルンベルクにおいて行われた。

 訴追された人物はほぼ全員が医者だった。首謀者であるブラントは、つらい業務だったがヒトラーの意志として実行した、と弁明した。

 

 戦後しばらく、ドイツは、ナチ時代の犯罪行為から目を背け、歴史のなかに埋めようとした。1960年代の学生運動は、親たちのこのような忘却行為を不誠実であるとして批判した。

 障害者らに対する安楽死作戦が本格的に研究され始めたのは1980年代以降である。クレー(Klee)は、初めて包括的なT4作戦の研究を発表した。

 

 安楽死プログラムの原因となった優生学思想は、ナチスに限定されるものではない。ビンディンクとホッフェの著作は1920年代に出版されたものであり、また優生学的思想は他国、他の時代においても出現する。

 

  ***

 

 著者は、障害者に対する迫害の思想を次の要素に分けて考える。

 

・拡大解釈(Spread)……体の一部が不自由なので、何もできないだろう、すなわち役立たずだろうという考え。

・価値の切り下げ(Devaluation)……役に立たないということは、かれは無価値であり「生きるに値しない命」である。

・他者性(Otherness)……障害者に対する共感の欠如。健常者は障害者より優れており、医者は患者より優れている。優れている者は、劣っている者の価値を決めることができる。

 

 医者は、自分たちは患者よりも価値があると考えがちである。一部の医者は、障害者になるなら死んだほうがいいと考えちえる。

 

 安楽死の問題は、まだ検証されつくしていない。たとえ重度障害者であっても、自分から死を望むことはまれである。

 一方、家族が患者の安楽死を望む例は多い。

 

 障害者の命の問題はなくならないだろう。

 ユダヤ人と同じく、障害者は、ナチ時代の歴史的犯罪を思い起こさせる存在として、いまなお忌み嫌う者もいる。

 

 ――社会は、障害者になったからという理由で人間を切り捨てることはできない。なぜなら、だれもが人生において障害を持つ可能性があるからである。

 

  ***
 ◆その後と付録

 障害者を異物とみなす考えは、古来から人間社会についてまわった。部族社会では、障害者を否定的な異物とみなす傾向が強い。

 学者によれば、動物の社会には、障害者を処分する、殺すような習性はないという。

 ユダヤ人社会や西洋社会では、遺伝的・先天的な障害を天罰と考える風潮があった。

 障害者に対する感情……調査の結果、障害者を純粋に嫌うものは少なく、同僚としても抵抗はない。しかし、結婚相手に選ぶものはほとんどいない。

 障害者は憐みの対象、この世の悲劇や苦しみの具現化として扱われがちである。障害者たちは、家族や周囲の負の感情に影響を受け、自分で自分を無用のものと考えるようになる。

 障害は、病や苦痛ではなく、個性や特徴の1つである。

 

 通過、通用(passing)……高い社会的地位や資産を持っている場合、障害者は健常者とみなされる、つまり「通用する(passing)」可能性が高くなる。

 その代表例がF・D・ルーズヴェルト大統領である。かれは成人してからポリオを患い常に車椅子で行動したが、自分が障害者であることを決して公にはしなかった。

 

 障害者やその家族が社会的に高い位置にあるとき、医者による治療の見込みも高く見積もられるという。

 

By Trust Betrayed: Patients, Physicians, and the License to Kill in the Third Reich

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【新装版】ナチスドイツと障害者「安楽死」計画

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