うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ラテン語のはなし』逸身喜一郎

ラテン語を語ることは、おのずとヨーロッパを語ることになる」。

 

 ラテン語古代ローマの言語であり、ヨーロッパ文化に多大な貢献をなした。いわく、ラテン語最大の遺産は、「こみいった複雑な内容を、論理構成のしっかりした、あいまいさの少ない文章で書き表す、という姿勢そのものであり、かつそれを表現しうる言語体系」である。つまり、ラテン語の最大の長所は文法である。

 ――文体のないところに文化はなく、ヨーロッパ文化のエッセンスは、ラテン語の文体に凝縮されている。

  ***

 イタリア、フランス、スペインではラテン語が使われていたが徐々に方言差が広がり、それぞれの言語となった。こうした言語を「ロマンス諸語」という。しかし、ラテン語が消滅したわけではなく、「常に帰るべき手本」であり続けた。

 英語、ドイツ語の祖であるゲルマン語は、ラテン語とは兄弟の関係にある。ゲルマン語とラテン語サンスクリット語などとも共通の祖先をもつ。よってこれらは「印欧語族」としてくくられる。

 ラテン語では名詞の格がすべて明示されるので文中の機能がはっきりとわかる。よってラテン語の語順は自由である。

 名詞の変化形は6つあり、主格、対格、属格、与格、奪格、呼格でそれぞれ異なる。動詞は格、性別、時制、複数単数でさらに変化する。

 

 キリスト教徒にとって地上の没落は天上の栄華に続く。

 一方、「古代ローマ人の栄誉の保証は、自分の名が永遠に、子々孫々に語り継がれることであった。この考え方の出所をさかのぼれば、ギリシアの英雄叙事詩にある。叙事詩の使命は、英雄の勲しを、損なうことなく後代に伝えることである」。

 語源を探すことは危険である、と著者は何度も主張する。語源を頼りに言語を解読しようとしてはならない。

「語源は歴史的事実を必ずしも明らかにはしない、と肝に銘じておいたほうがよい」。

 1週間と曜日の概念は旧約聖書に由来する。

 carpe diem.とは、ホラティウスの詩の引用で、「今日という日を摘め」という意味である。

 ――酒を濾せ。そして短い時間で長い期待を切り刻むのだ。私たちがおしゃべりしている間にも、嫉妬深い時は逃げ去ってしまう。今日という日を摘め。翌日にできうる限り信をおくことなしに。

 オウィディウス『変身物語』にはギリシア神話のエピソードが集約されている。

 古代世界では、人間が時とともに悪くなっていくとする「堕落史観」が優勢だった。

 ラテン語には受動態のかたちをとる動詞が多く、「デポネント動詞」と呼ばれる。

  ***

 暦について……太陽暦夏至冬至といった四季に基づいて規定するが、今日が何日かを知るのがむずかしい。太陰暦は月の満ち欠けを指標にするため、だれでも日にちがわかる。

 カエサルは、1年365日、4年に1度閏日を入れる、というユリウス暦を確立した。1582年、400年に1度は閏日を挿入しない、というグレゴリオ暦に改定された。

 ラテン語ではついたちをkalendaeと呼ぶ。月の名前が2つずれているのは、昔、年間10か月しかなかったときの名残である。

  ***

 ad hoc 今回限りの

 ad lib 思いつくままに

 post scriptum 追伸

 terminus post quem (年代想定の)上限

 circa ~年頃

 in memoriam ~の思い出のために、~を悼んで

 per cent

 per capita ひとりあたり

 a principio 初めから

 de facto 事実上の

 ex officio 役職上、職務上

 de profundis 深淵から、どん底から

 in absentia 不在のまま

 in loco parentis 親の代わりに

 lux fiat 光あれ

 cf. 比較せよ

 et ego in Arcadia 我もまた、かつてアルカディアにいた(死者が現世を懐かしんで)

 Et in Arcadia ego 我もまたアルカディアにいる(平和の地にも死は存在する)

  ***

 ――ラテン語は一貫して、学問・芸術・教会・法律のことばであった。そしてこれらを文化的営みと総称するならば、文化的営みを志す教育の根底にはラテン語教育があった……ラテン語は近代のある時期まで、中産階級と労働者階級とを分別する指標であった。

  ***

 言語をほんとうに習得するなら活用と語彙を徹底的に覚えるしかないと著者は書いている。 

ラテン語のはなし―通読できるラテン語文法

ラテン語のはなし―通読できるラテン語文法