1941年から1944年まで、ユンガーはパリ占領軍司令部において勤務した。日記はその間書かれたもので、演習時や、コーカサス展開時をのぞいて、ほぼ毎日書き続けられた。
日記の話題……パリの、育ちのよさそうな人びととの交流、ドイツ将校との話、爆撃のようす、昆虫、植物、本と絵についての話等。
ヒトラーについては、クニエボロという呼び名でたびたび言及される。ユンガーは収容所について知っていたらしく、ところどころ、「皮剥ぎ職人」、「屠殺小屋」についてメモしている。
終戦直前から、かれは「平和」を、若い人間にむけて書いている。
セリーヌと会ったときは次のように感想を記録している。
――……ニヒリズムの途方もない強さが輝き出ていたからである。こうした人間はただ一つのメロディーしか聞く耳をもたない。しかしそのメロディーは異常なまでに迫力のあるものである。かれらは鋼鉄の機械であって、解体されないかぎり自らの道を辿る。
◆以下、メモ
――書物。物語が人口の小道のように読者の知らない広大な森へ導いていくと予感させるような考えや文章がそこに見出されるときは、素晴らしい。
社会が暴力と拷問によってコントロールされていく様子について。様々な自由が保障されなくなったときには、抗議やデモは無意味である。
――かれらは議論の時代がとっくに過ぎ去っていることをまだ知らないのである。それにかれらは、敵にユーモアの感覚があることを前提にしている。その意味でかれらは、鮫の泳いでいる海に旗を振りながらなら泳ぎにいけるとおもっている子供と一緒である。かれらはそうした自分たちを見分けやすくしているだけである。
見た夢の話が、こまめに書いてある。
――夢も記述できない種類のものがある。旧約の背後に退いて、人類の荒々しい元素を解体する。そこで見たものは黙っているしかない。
レオン・ブロワは、ユンガーが高く評価する作家の1人である。ブロワは敬虔なカトリックとして中世を理想とし、現代をこき下ろした。
――かれはこう書いていた、死はわれわれにとって、美しい家具から埃を払い落すほどの変化でしかない、と。
――建築の夢を見て、古いゴシックの建物がでてきた。それらは人里離れたさびしい庭に建っていて、だれもそんなさびしいところに建っているのかわからない。……それらには植物や動物にも特有なものであるような特徴がはっきり認められた――つまりより高度の自然である。それらは神のためにこれを造ったのだとの考えが浮かんだ。
――傭兵の真のタイプは、あたかも事柄がきちんと整頓されているかのように続いていく腐った理想主義と向き合って立っている。――かれらは昔も今も将来も、あらゆる場所、あらゆる時代にも変わらず、あの生ける屍とは何の関係もないとの感じを与える。危険がますます大きくなっているのに、かれはますます元気で、ますます必要な人間になっていくと感じている。
コンラッドの「進歩の前哨基地」を大変評価している。
――……物語の才能は元々レトリックの天分の一つとみなされ、……それはあまりにも早く進んでいく。……しかし詩人の力と小説家の力が最高レベルで均衡を保つと、ホメロスの場合のように、比類なきものが作り出される。
***
人間の道徳や訓練について。
――それはそうと、このカストールのような連中は、トリュフをかぎまわってさがす豚のタイプに属する。革命のときにはどこででも出くわすタイプである。かれらの荒っぽい同志は、選り抜きの敵を確認することができないので、より高い階級の堕落したインテリたちを使って、敵を嗅ぎ出させ……
――職業の選択。わたしは星を探索する飛行士になりたい。
――自己教育について。弱い身体で生まれても、かなりの程度の健康体にまでなることができる。同じように学問についても……それよりもはるかに難しいのは、まったく腐敗しきった状態の中でほんのわずかでもモラルにおいて進歩することである。ここでは物事が根底に触れる。
――呼びかけの言葉にとりかかる。……何よりも重要なのは、私の言うことがまったく単純で理解されやすいこと、しかし、決まり文句ではないこと。
***
花や植物、散歩の記録に混ざって、銃殺刑、戦闘、爆撃、収容所の陰惨な風景が出現する。
――……二十人もの屍体が炭化して、グリルの上のように橋の欄干に折り重なっているのを見たという。そこでは逃げていく者たちが黄燐を降りそそがれて、川に飛び込もうとするのだが、その前に焼けただれてしまった。また両うでに子供の焼けただれた屍体を抱えている夫人の姿もあったという。
――ハンブルクへの空爆はなかんずくヨーロッパにおいては初めての人口統計を踏みはずすような出来事である。戸籍役場はどれだけの人間が死んだか報告することができない。犠牲者は魚やバッタのように死んだ。歴史の外、戸籍簿などない自然の地域で。
――われわれの世紀のさいしょの五十年、進歩、機械世界、科学、技術、英雄的時代の前後の、巨人の世界の要素としての戦争。すべてが何と燃えるようであることか、すべてが何と根源的に危険であることか。この隔たりをたとえば小説で書くためには……これを不明瞭ではあっても、あふれんばかりの感情の横溢でもって肯定する人物で始めるべきであろう。こうした魔力をもつ人物には別の人物が配されねばなるまい。高度な秩序志向をもつ、単に保守的ではなく、強力に働きかけをする、バビロンの塔の偉大な巨匠が。
***
――相変わらず、理由もなくこの奴隷船にいる。この次にこの世に生まれてくるときは、トビウオの群になっているのであろう。
――われわれはわれわれを実現するために生きている。この実現によって初めて、死が意味のないものになる――人口は自分の……それゆえ死が正しき者にとっては見かけのものでしかないというソロモンの言葉、「神は正しきものを炉の中の純金のように試し、完全な犠牲のように受け入れる」。
――犠牲者は焼かれる前に裸で大きな鉄の板の上に連れていかれ、そこに強電流が流される。……そこでヨーロッパから「移住」のためとして送り込まれた大量のユダヤ人がすがたを消す。これはクニエボロの性格がおそらくもっとも明瞭に表れている風景、ドストエフスキーでさえ予見しなかった風景である。
軍隊のなかで聞いた話についても書きのこしている。それらの多くは、低劣でみにくい話である。陰惨なことに対しても超然としていることが重要である。
- 作者: エルンストユンガー,Ernst J¨unger,山本尤
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