うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『リトビネンコ暗殺』ゴールドファーブ その2 ――「こんな男を支持して大統領にするなんてとんでもない」

 大統領の誕生

 リトビネンコは、チェチェン和平に反対するイスラム過激派をKGB工作員だと断定している。

 

 ――「かれらはみなロシア語を話すアラブ人で、中東出身の元KGB幹部要員だった。そしてかれらの資金源はサウジアラビアではなく、モスクワだったのだ」

 

 ベレゾフスキーとプーチンは、新首相プリマコフを排除するために意気投合した。

 しかし、大統領候補になってからも、プーチンは本性をのぞかせていた。かれの思考回路は工作員、犯罪組織のものだった。

 

 ――まさにあれだよ、KGBの思考回路だ。……はっきりわかった。こんな男を支持して大統領にするなんてとんでもないとね。

 

 プーチンは徐々にロシア国民の支持を集めていった。

 

 ――……プーチンの好戦的なイメージは、1999年にかれの選挙運動員が積極的に宣伝したものだ。それは大半のロシア人のムードと共鳴した。冷戦で傷ついた国家のプライド、調和と安定をもたらす強引な手腕へのあこがれ、ひとにぎりの大富豪と、貧困にあえぐ大半の国民との格差に対する怒り。それらすべてが、禁欲的、内省的で冷徹なその小柄な男、あらゆる困難を乗り切って勝っていくしぶとい戦士を応援する理由になった。国民にとって、プーチンは鬱憤を晴らしてくれる、待ちに待った人物だった。

 

 1999年、アパート爆破事件が立て続けに起こり、プーチンチェチェンへの全面戦争を唱えた。一方で一連の爆破テロがFSBの工作ではないかという疑惑が各所で持ち上がった。

 

 2000年3月、プーチンは大統領選に勝利した。

 

 ボリスの現在のプーチン評……

 

 ――忠誠心があり、誠実ではあるが、どんな政治理念も持たない。……ものごとの本質より、「われわれ」という考え方が重視される。「われわれ」対「かれら」の図式なのだ。

 

 ――プーチンの人生に新たな目的が生まれた――その昔、柔道を通して学んだように、力と無慈悲、制御でもって国家の敵を抑え込むのだ。彼に対して陰謀をたくらむ者は、国家の敵になった。自分が国家のためだけに働いている以上、反抗する者は国家に何かをたくらんでいることになる。そういう人間は亡ぼさなければならない。

 

 リトビネンコはより露骨に、かれはKGBから政府に送り込まれた工作員だと断じている。

 

 大統領就任と同時にベレゾフスキーはプーチンの豹変を目の当たりにした。

 

 大統領の知事任命権をめぐりベレゾフスキーはプーチンと議論した。新しい法律により、大統領が知事を直接任命できるようになった。

 

 

「この提案は国家院の投票にかけられる」

「ワロージャ(ウラジーミル)、国家院がどういうところか、私も知っている――1票5000ドルだろう……」

「ボリス、何を言いたいのかわからない。われわれは正当な権力(ブラスチ)であり、あなたもそこに含まれているはずだ。なのにわれわれと敵対するとしたら、あなたはいったい誰を代表している? あなた自身か?」

 

 

 続いて、プーチンは政敵グシンスキーを逮捕した。ベレゾフスキーは再びプーチンに抗議した。

 

 「ボリス、なんと、あなたからそんなことばを聞こうとは! かれはあなたの仇敵じゃなかったのか? かれはわれわれが拘置所に入れられると脅してきたんだぞ! 忘れたのか?」


 亡命後、ベレゾフスキーはプーチンの政治をピノチェト政権……「政治的自由の欠如した自由経済」になぞらえた。

 1999年8月、原潜クルスクが沈没したとき、プーチンは休暇から戻らず、テレビ局の批判にさらされた。

 

 ――ORTとNTVは冷たい海の景色や岸で嘆き悲しむ家族の映像と、プーチンがソチの別荘で水上スキーやバーベキューを楽しむ映像を交互に流した。

 

 その後、プーチンはベレゾフスキーに対し、テレビ局が敵対的な報道をしているとして経営権を手放すよう要求した。

 

 

「教えてくれ、ボリス。私にはわからない。どうしてこんなことをする? どうして私を攻撃する? 私があなたを傷つけるようなことをしたか? 信じてもらいたいんだが、私はあなたの脱線をずいぶん大目に見てきたんだぞ」

「世界中のテレビ局なんてどうでもいい。どうしてあなたがこんなことをする? 私の友人のはずだろう? 大統領になれと私を説得したのもあなただった。ところがいま、私を裏切ろうとした。何をしたせいでこんな目に遭わなければならない?」

 


  ***

 KGBの復活

 リトビネンコはKGBの裏切り者として、ベレゾフスキーはプーチンの裏切り者として、ともにロシアから追われる身になった。

 かれらはイギリスに亡命した。

 2人はアパート爆破事件のFSB工作説を宣伝し、FSB長官パトルシェフから抗議を受けた。

 

 ――ロシア人は心の底に葛藤を抱えている。権威(ブラスチ)に対するかれらの態度には、中世的な自虐傾向があるのだ。ロシア人は権威を神聖な畏怖すべきものと受け止める。

 

 かれらはアメリカに対してもロビイ活動を行うが、ブッシュ政権テロとの戦いプーチンと共闘しており、問題が取り上げられる望みは薄かった。

 プーチンチェチェン紛争に政治生命をかけており、穏健派マスハドフとの和解は屈辱でしかなかった。その後チェチェンの穏健派は亡命したザカーエフを除き、すべて殺害された。

 

 リトビネンコはFSBの監視を受けていた。

 

 ――「……相手の立場に立って他人の行動を予測するのはまちがいだ。あなたにとってばかげていることでも、かれにとってはしごく合理的かもしれない。かれはKGBだが、あなたはちがう。だからこそ、われわれはここにいる」

 

 

 2006年11月、リトビネンコは元FSBのアンドレイ・ルゴボイとGRUのドミートリ・コフツン、そしてもう一人の暗殺者にポロニウム210を盛られ殺害された。

 ポロニウムは通常の放射線ではないアルファー線を出す物質で、ロシア政府の施設のような場所でしか作れない。また所有者や運搬者の通り道に必ず放射性物質を残すため、すぐに足取りがわかった。

 リトビネンコは遺書においてプーチンを名指しで犯人と断定した。

 

 遺体は28年間経過しなければ火葬できない状態だった。

 

 

  ***

 ――ポロニウムはおそらく地球上でもっとも有毒な物質だ。ごく微量で人の致死量となり、一グラムあればゆうに50万人を殺せる。それでいて、吸い込むか呑み込むかしないかぎり、扱うものには害を及ぼさない。

 

 ロシア側は、リトビネンコ暗殺はベレゾフスキーの陰謀と西側のプロパガンダに過ぎないと反論している。

 

 ――イギリスで何かが発覚すると、ロシアではかならずそれを打ち消すことがらが見つかる。イギリスで発せられた言葉に対して、ロシアではそれを打ち消す発言がある。……いまロシアが駆使している昔ながらの情報操作戦略は、殺人そのものと同様、かつてのKGBのやり方を思い出させる。

 

 ロシア人の多くはおそらくプーチンがやったと信じているが、それゆえにかれを支持している。

 

 ――かれらにしてみれば、リトビネンコは裏切り者で、大統領が裏切り者に制裁を加えたということだ。ポロニウムを使って。当然の報いだ。それが権力(ブラスチ)のあるべき姿――畏れ敬うべき権力の在り方だ。