うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Beasts, Men and Gods』Ferdinand Ossendowski ――ロシア辺境、モンゴルをさまよう自然科学者

 ◆メモ

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 著者Ossendowski(オッセンドウスキ、オッセンドフスキー)ポーランド出身の自然科学者であり、ロシア革命期に白軍に加わり、中央アジアからモンゴルにかけて遠征した。

 本書は革命軍の逮捕を逃れた著者の旅行記である。ロシアの辺境や国境地帯、モンゴルをさまよう話であり、非常に面白い。

 展開はめまぐるしく、物語を読んでいる気分になる。

 

 ウルガ滞在中のウンゲルン将軍の様子について詳しく書かれている。

 オッセンドウスキの旅は北京に到着したところで終結し、残りはボグド・ハーンの概要と、かれが見聞きした地下世界「アガルタ」の伝説や伝承が紹介される。

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  ***

 1 森のなかへ

 1920年、クラスノヤルスクに住んでいた著者は、ある日自宅をボリシェヴィキに包囲されていると聞き、狩猟服や銃を手に入れて森の中に逃げた。

 しかし、狩猟小屋にボリシェヴィキたちが踏み込んできたため、かれは猟師になりきってボリシェヴィキたちにお茶をふるまった。

 

 2 同行者の秘密

 2人のボリシェヴィキを殺した探鉱者(prospector)とともに、オッセンドウスキは安全な場所に向かった。

 夜はモミとマツの枝で作った簡易テント("Naida"と呼ばれる)で暖を取った。

 イヴァンと名乗るその探鉱者は、かつて自分を裏切った仲間を襲撃し、眼をえぐる、指を折る、火で焼くなどの拷問を加えたが隠した金のありかを言わなかった。

 著者とイヴァンは、そうした拷問殺人のあった空き家に泊まった。

 その後イヴァンは去り、著者は二度とかれを見なかった。

 

 3 生への闘争

 著者はエニセイ川のほとりで、小動物や鹿などを狩りつつ生活した。

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 4 釣り人

 

 5 危険な隣人

 野営をしていた著者の前にアリクイが現れたので仕留めた話。かれは50マイルほど進みSifkovaと呼ばれる集落にたどりついた。

 

 6 川

 雪解けのエニセイ川において、ボリシェヴィキに大量殺害された反革命分子たちの屍体を何度も目撃した。氷が融けた後の泥貯まりには無数の屍体があった。

 金山のふもとに滞在中、農学者(かれは公共事業の監督をしていた)と知り合い、2人で相談してモンゴルに向かい、極東・太平洋に脱出することを決めた。

 コルチャーク提督政府がまだ存在していたとき、かれはモンゴル北部Urianhaiの地理調査を指示されており、当該地域についての知識があった。

 

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 7 ソヴィエト・シベリアをとおって

 著者らは集落を避けたが、このあたりの住民は皆反ボリシェヴィキだった。

 ふたたびエニセイ川のほとりに無数の屍体を発見した。

 白軍将校たちは顔と体を切り裂かれ、木に吊るされていた。別の場所ではコルチャーク軍将校の屍体と、凌辱され殺された女の屍体があった。

 

 8 崖っぷち

 ボリシェヴィキの支配する村では、ウクライナからの移民たちが笑顔で著者らを迎えた。著者のオッセンドウスキと農学者は、村の本部にいるチェーカー(秘密警察)たちに対し、モンゴル地方開発の魅力を語った。チェーカーはこれに納得し成功を祈った。

 ソヴィエトの本部はミヌシンスクMinusinskにあった。

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 9 Sayansと安全を求めて

 かれらはロシアを出てサヤンSayan山脈地域に入った。

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 そこにはSoyots(現在のトゥバ人)という民族、モンゴル人、中国人が住んでいた。再びかれらは、住民の家で赤軍兵士たちと鉢合わせした。兵士たちはコサックを追撃しているとのことだった。著者を歓迎してくれたSoyotsたちはボリシェヴィキの略奪に怒っていた。Sotyotsの長は著者らを道案内することになった。

 兵士たちは、険しい沼地にてこずっているときに、Soyotsの仲間であるタタール人に射殺された。

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 10 Seybiの戦い

 集落において、追撃してきた赤軍と、現地住民との間に戦闘が発生した。かれらは、実は姿を変えて潜伏していた白軍将校だった。

 著者は冷たいエニセイ川を渡り、モンゴル領に向かうことになった。

 

 11 赤軍パルチザンの障壁

 内戦が始まって以来、農民や少数民族たちはロシア領を出ようと絶えず移動していた。

 著者の進路であるモンゴル国境の山に、赤軍パルチザンたちが歩哨所を設置していることがわかった。

 著者と農学者、Soyotsたちは、2つの小さなポストを襲撃し、パルチザンを射殺した。

 その後一行は二手に分かれたが、白軍大佐Jukoff率いるグループは行先で赤軍部隊と遭遇し壊滅した。

 

 

 12 悠久の平和の地で

 かれらはSoldjak地方の王子を訪問した。著者は、結膜炎にかかっていた王妃の治療を行い、信頼を得た。その後、モンゴル方面に出発した。

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 13 謎、奇跡と新しい戦い

・Soyotsたちの迷信

赤軍兵士との銃撃戦

・モンゴル側にも赤軍が勢力を伸ばしているのだろうか。

 

 

 14 悪魔の川

 オヴォー(Obo, Ovoo)は、モンゴル民族の間で伝わる積石の風習である。

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 ウルガ(現ウランバートル)の近郊では、モンゴル独立を目指す白軍将軍ウンゲルン・シュテルンベルクとカザグランディ大佐が、中国軍と抗争状態にあるということだった。

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 ウルガはこのとき、中国軍の勢力下にあった。

 

 15 亡霊の行進

 進路をチベット方面へ変更した一行は、途中でラマ寺院に寄った。勤行では、「Om Mani Padme Hung」という文句が繰り返し唱えられていた。

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 著者は馬上でうたたねしたため、転げ落ちて頭を負傷した。

 

 16 謎のチベット

 一行はHungHuTze(「赤髭」、中ロ国境に生息する中国人の武装強盗)の襲撃を受け、仲間の数人が殺された。かれは盗賊の首領を治療し(盗賊たちは、一行を襲撃しておきながら治療を頼んできた)、ふたたび寺院に戻った。

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 第2部 悪魔の地

 17 謎のモンゴル

 チベットを経由してインド洋に出る計画は中止となり、再びモンゴルに向かうことになった。

 中国は、ロシア革命に乗じてモンゴルを再占領し、君主ボグド・ハンを幽閉して以来、ボリシェヴィキと協力してモンゴルを統治しようとしており、これに対しモンゴル人と、ウンゲルン率いる白軍が反抗していた。

 1921年には、ウンゲルンの軍がウルガを占領した。

 

 著者と友人の農学者、そして白軍将校たちは、中国側の手に落ちていない都市を目指した。

 道の途中でユルタの寝床を提供してくれた羊飼いたちによれば、KobdoとUlankomには、赤軍こそいないが、中国軍が駐屯しモンゴル人を弾圧しているということだった。

 

 

 18 不思議なラマの復讐者

 中国軍に対する反乱を指導するラマについて。

 著者はこのラマに幻術をかけられ、幻を見た。またラマは、伝説の地であるアガルタ(Agarti)に行ったことがあると証言した。かれはダライ・ラマとも親交があった。

 

 19 野蛮なチャハル

 中国軍の下で働くチャハル人指揮官について。

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 20 ジャギスタイJagisstaiの幽霊

 オヴォーにまつわる話と、野営のエピソード。羊とアンテロープの群れを追い、獲物をしとめた。夜、テントのすぐ近くまで狼がやってきて、駱駝を狙ったので、著者はモーゼル銃で殴った。

 

 狼と鷲は霊的存在の使いである。

 

 21 死の巣

 天然痘癩病にかかったモンゴル人が寺院の近くに集まり、野営していた。かれらはラマの神通力によって病気を治療師てもらおうとやってきた一族たちだった。

 モンゴルでは信仰や迷信が大きな影響力をもっており、著者自身も幻術にかかった体験を記録している。

 

 22 殺人者たちのあいだで

 かれらが宿泊した電信所の主Kanineともう1人の客はチェーカーだった。隣人から、かれらが前年に50人ほどの拘束されたコルチャーク軍将校を射殺した話を聞かされた。

 

 23 溶岩の上で

 コソゴル湖の生態系について。鮭に似た魚が生息しているが、寄生虫に汚染視されているため、犬や猫でさえ食べないという

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 湖のほとりにあるKhathylの町では、カザグランディ大佐の白軍が崩壊しており、赤軍がやってくるということでパニック状態となっていた。

 一行は町を出て、Muren Kureに向かった。Muren Kureは中国軍の勢力下にあり、すべてのロシア難民を地域から排除しようとしていた。

 

 24 血まみれの懲罰chastisement

 電信所の近くで一行をもてなした一家は、チェーカーたちによって殺害されていた。白軍がチェーカーを捕え、連行した。

 

 25 苦痛の日々

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 ウリヤスタイUliassutaiはモンゴル中西部の都市で、中国軍が多数の中国人苦力や浮浪者、ギャングをけしかけて、モンゴル人・ロシア人に対する虐殺を行おうとしていた。

 これはコブドで起こった虐殺の再来と思われた。

 ところが、首都ウルガをウンゲルン男爵が奪回したという知らせが入ると、中国人はとたんに姿を消した。

 その後、ウリヤスタイと、ナラバンチ(Narabanchi、白軍大佐の制圧下)、ウルガ(ウンゲルンの制圧下)との間で、著者は中国軍との協定に関する調整を担当した。

 

 26 白いHungHuTzeの集団

 27 小さな寺の謎

 28 死の息

 各都市を占拠した白軍司令官は互いに意思疎通がとれておらず、また掠奪を行いモンゴル人から反感を買うものもいた。

 

 3部 アジアの中心をさまよう

 29 征服者の道

 チンギス・ハーンは伝承によれば、西方には火と破壊を、東方には繁栄をもたらすといったという。歴代の征服者たちは皆モンゴルの地を聖なるものと考えた。ロシア内戦時代にも、モンゴルはラマ伝承、仏寺、超能力といった信仰で満ちていた。

 

 30 逮捕

 ウンゲルン配下の将校による逮捕と、釈放について。

 将校は誤認逮捕を謝罪し、おわびにモーゼル銃を著者にプレゼントした。

 

 31 ウルガ(なげなわ)の旅

 馬に蹴られた右足が痛み、眠れない夜を過ごし、高熱を出した。

 

 32 予言者の老人

 滞在していた馬宿に予言者の老人がおり、かれから不吉なことばを聞かされた。

 間もなく著者らはカザグランディ大佐の司令部に到着したが、そこにレズーキン将軍という冷酷な男がいた。

 将軍は、著者の知人であるゲイ博士とその一家をスパイ容疑で刺し殺していた。間もなく将軍の上官であるウンゲルンもまた司令部にやってきた。

 

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 著者はウンゲルン将軍に謁見した。将軍は猜疑心が強く、躁状態に近い人物であり、部下は皆おびえていた。自分たちの境遇を説明した結果、将軍の取り計らいでウルガまで護衛をつけてくれることになった。

 その後、車で移動するウンゲルンは度々著者に声をかけるようになった。

 

 34 戦争の恐怖

 ウルガに行く道の途中には無数の屍体が転がっていた。これはウンゲルン軍団の捕虜になった中国人4000人が脱走を試み、チベット兵やモンゴル兵に殺害されたのだという。

 

 35 生きる神の町、三万人の仏と六万人の僧侶

 ウルガの司令官パイロフ大佐Col Sepailoffは狂人のサディストだった。かれはボリシェヴィキに拷問を受け、牢獄を出た後はボリシェヴィキに家族を殺害された。

 町のバザールは活気があり、無数のラマ僧たちがスパイ活動を行っていた。ラマ僧スパイのネットワークは、内モンゴルからきた裕福な中国人を見定めて、予言によって金をせしめようとしていた。

 

 36 聖戦士Crusaderと私掠船privateer(政府から許可を得て敵国の船を略奪する船)の子

 ウンゲルン将軍は著者をドライブに連れていき、その間談話を行った。

 かれは十字軍と私掠船海賊の子孫であり、その一家は戦争のために生きるかたわら、神秘や哲学について研究してきた。

 ウンゲルンの目標は、崩壊したロシアにかわって新しいアジアをおこすことだった。その手立てのひとつがモンゴルの解放である。

 ボリシェヴィキは殺人者集団なので、犯罪者と同じように死をもって報いなければならない。

 

 かれは仏僧騎士団の設立を目指している。現在はまだ少数精鋭だが、かれらはあらゆる欲望から離れ、ただアヘンの摂取だけは許容される

 

 将軍はモンゴル人のために、泥棒を働いたコサックたちを店先に吊るし、また悪徳金貸しのロシア人を絞首刑にした。また、著者の目の前でボリシェヴィキの斥候を処分したが、徴発された農民は自軍に引き入れ、コミッサールは棒で撲殺させた。

 ウンゲルンはイルクーツクや北京、ハルピンなど各地に、ユダヤ人のスパイがおり電報で報告を受けていた。

 

 37 殉教者のキャンプ

 著者と農学者はセパイロフ大佐に命を狙われたが、ウンゲルンに通報し一難をとりとめた。

 

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 ウンゲルンの案内を受けて活仏ボグド・ハーンの宮殿を訪問した。著者オッセンドウスキは、来日経験があり、東京帝国博物館の仏像を思い出したと記載している。

 ボグド・ハーンへの謁見後、ウンゲルンと著者はブリヤート人武将のユルタに向かった。ウンゲルンは占い師に自分の運命を占わせた。その結果、130日後に死ぬと再び宣告された。

 

 40 鞍のような頭の男

 セパイロフ大佐につきまとわれる。

 著者らはウルガを出発し、セパイロフの追跡をかわし、北京に到着した。

 

 4部 活仏

 以降は、ボグド・ハーンを訪問した時のことや、かれの活動、生活、過去等について語られる。

 40 千喜の庭園で

 ボグド・ハーンの宮殿を訪問したときの、貢納品倉庫の様子や、ラマ僧の3階級について。

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 チベット仏教化身ラマの概念について。

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 44

 ボグド・ハーンの生い立ちと、モンゴル独立運動、中国軍による刺客、また軟禁について。

 

 

 5部 世界の王――謎のなかの謎

 旅の途中、モンゴル人たちがふと馬をとめて祈祷を始めたことがあった。かれらによれば、地下世界に世界の王が住んでおり地上の生き物が皆これを恐れるのだという。

 この世界はアガルタAghartiと呼ばれ、かつてジンギス・ハンの命令から逃れた一部の部族たちがそこに逃げ込んだ。

 地下世界の洞窟には光があり、その下で野菜が育ち、人びとは病気から免れる。また舌がふたつある人間がいて、かれらは違う言語を同時にしゃべることができる。

 16フィートの単眼のカメが発見された。アガルタの都はポタラ宮殿に似ており、そこには高僧と科学者たちが住んでいる。

 ゴーロー(Goro)という高僧が住んでいる。

 

 世界の王は、地上の王たちを観察し、ふさわしいものを支援する。

 世界の王はこれまでにインドやチベット、モンゴルの寺院など、地上に現れたことがあり、白い象のひく車に乗っていた。またアガルタに行ったことのある者はたくさんいるがかれらはその秘密を口にしなかった。

 ウンゲルン将軍は、若い王子を派遣しアガルタを探させたが、二度目の派遣のあと王子は帰ってこなかった。