うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Reinhold Niebuhr: Major Works on Religion and Politics』その4 ――人間の限界を知るということ

4部 アメリカ史の皮肉(The Irony of American History

皮肉である」とは、当事者たちがそれとは気づかずに悪徳に足を踏み入れているような状態をいう。もしくは、徳や理想そのものに欠点があり、無意識に悪をなしている状態をいう。

 

1 アメリカ合衆国における皮肉の要素

冷戦時代のアメリカは、共産主義の圧政から自由を守るという理念を掲げていたが、この理念が核兵器によって維持されていたという点は悲劇である。しかし、この時代に、アメリカの抱く多くの夢が否定されてきた点は皮肉である。

共産主義が歴史の現実に直面して圧政に陥っているのと状況は変わらない。

ブルジョワが生んだ自由主義も、共産主義も、人間の歴史やキリスト教が示す人間の悪徳を否定し、悪を管理しやすい要素(無知や社会環境等)に帰してしまう。

 

アメリカは、「自分たちの」自由な世界を守るために、しばしば非道徳的な方法で力を行使しなければならない状態にある。

自由主義共産主義との対立の中心は、権力と道徳・正義との関係にある。

共産主義は、善なる目的があらゆる手段を正当化すると明言している。自由主義では、この関係はしばしば不確定である。

アメリカは個人の自由と尊厳を理想に掲げているが、実態はそこまで個人の自由を尊重しているわけではない。また、生存や繁栄するためには、個人の自由をおそらく尊重することができなくなるだろう。

 

現代文明の様子をよく表しているのが、ドン・キホーテである。

ブルジョワが作った自由主義と同様、もしくはそれ以上に、共産主義は幻想に満ちており、ドン・キホーテを彷彿とさせる。

ニーバーの考えでは、アメリカの敵は、アメリカと同じような幻想にはまり悪を行っている。この仕組みを理解することで、アメリカはより万全の態勢で世界を救うことができるのだ。

 

 

2 無垢な世界における無垢な国

あらゆる近代思想は、キリスト教の原罪を否定する。

自由主義では、人間は利己的ではあるが教育によって矯正可能な存在である。共産主義では、所有物さえなくなれば人間は理想の世界を実現できると考える。ソ連の指導者が、共産主義圏に戦争はなく、争いもないと常に信じこんでいるのは、かれらが一種の信徒であることを示す。

アメリカは、ロシアに次いで自分たちを無垢の国だと考えているが、実態は自分たちが考えるほど無垢ではなかった。建国の父たちは、アメリカが神に選ばれた土地と考えた。

 

アメリカこそ、腐敗したヨーロッパから脱却した理想の国、無垢の、自由の国だ」という愛国主義は、トクヴィルも非常にやっかいなものとして報告している。

独立農家からなる社会を前提にしたジェファーソン民主主義は、政府の権限を限りなく制限することを理想としていた。やがて時代が下り、下層階級や労働者階級が出現すると、中央政府による規制、公平性の担保を求めるようになった。

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アメリカ合衆国はその黎明期でさえ、自分たちが考えるほど無垢ではない。

西部諸州はまぎれもない帝国主義的な拡大によって獲得された。また第1次世界大戦参戦の名目は、民主主義国にとってより安全な世界を作るというものだったが、実態は権益の保持だった。

あらゆる国家と同様アメリカ合衆国も、集団的な利己主義を隠す、偽善的な傾向を有する。

 

戦間期、リアリストたちがアメリカ・ファーストの名の下、孤立主義を強めたのに対し、平和主義者や理想主義者は積極的な力の行使と、世界平和に向けての海外進出を要望した。かれらは、権力の行使が決して利己主義を超えることがない、という事実を見落としていた。

第2次世界大戦によって、アメリカは最も道徳的にうたがわしい核兵器にその生存をゆだねることになった。

 

3 幸福、繁栄そして美徳

アメリカにおける神国思想をたどる。

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ジェファーソン主義者やカルヴァン派が新大陸での生活を成功させたことで、この世の幸福がかつてよりも実現性の高いものとなった。アメリカは、もう1つのイスラエル、約束された土地だと考える者が多数現れた。カルヴァンは現世利益もまた神の思し召しと解釈する。

どちらの思想・信仰も、キリスト教的美徳と現世の繁栄とを不可分のものとみなした。

しかし理想と現実は常にかけ離れている。諸外国はアメリカの繁栄を、不正と悪の結果とみなしており、ヨーロッパはアメリカの現世的価値観に反発する。

個人の幸福追求が至上命題であるなら、なぜ今日、アメリカの若者は朝鮮に送られ死んでいるのか。

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4 運命の支配者

共産主義の最終目標は、個人の自由ではなく人類そのものの自由である。そしてこの自由は、党が労働者階級を導くことにより達成される。エリートが、救済のためのリーダーシップを独占する点で共産主義自由主義とは異なる。

一方、19世紀の自由主義者は、進歩的国家である英仏が理想の社会を先導すると考えていた。そして今、この希望はアメリカに託されている。

ただし、手段にこだわらない共産主義とは異なり、自由主義は、目標達成のためにどのように権力を行使すべきかについてははっきりと規定してこなかった。

 

建国当初から合衆国は、自身を新たなイスラエルの民、選ばれた民、人類の代表と解釈してきた。歴代の大統領や上院議員は、合衆国が、野蛮のなかで秩序を確立できる選ばれた国と民であると発言している。

こうした選民思想はどの国も持つものだが、アメリカは特に、権力や統治者の知性を見誤り、歴史の運命を支配できると考えてしまった。

ニーバーは、アメリカは意図せずして地球規模の権力と責任を手に入れてしまったこと、また、大陸に引きこもっているときよりも、自身の運命をコントロールできなくなっていることを指摘する。

 

かつてアメリカの対極にあった専制政治のヨーロッパは、アメリカと同等かそれ以上に優れた民主主義を採用している。歴史の運命とは不確定なものである。

 

人類の歴史が示す3つの傾向……

共産主義は、救世主信仰(Messianism)と権力欲からなる。救世主信仰は危機における究極の救済を求める。権力欲は生存本能と人間の心が生むものである。共産主義自由主義も、こうした2つの傾向を解決することができない。

 

5 教義に対する経験の勝利

英米は、ドグマに固執することなく自由主義を実践することに成功してきた。

初期のブルジョワ資本主義は、「レッセフェール」を信奉したが、かえって搾取と貧困は拡大した。そこにマルクス主義が勃興した。マルクス主義の誤謬は、自由主義より深刻だが、自由主義もその幻想や誤りを正さなければ正義の実現は不可能である。

アメリカも当初はジェファーソン流の小さな政府主義が主流だったが、現実に直面し様々な規制や社会保障政策が取られるようになった。

アメリカは表向きの自由主義の裏で、強力な労働組合や法規制を有している。また、階級を残したイギリスと異なり、社会的な流動性が高いためマルクス主義の土壌が生じなかった。

アメリカは国内政治において、極端な自由主義と極端なマルクス主義の双方を退け、実際的な方策をとってきた。この「常識の勝利」は、民主主義によって成し遂げられた。

 

 

6 国際階級闘争

ニーバーは冷戦を次のように分析する。マルクス主義はあらゆる不平等を敵による搾取と規定するため、自由世界を担うアメリカの行為は、第三世界の貧困国から常に敵対行為とみなされてしまう。

政府を特権階級の傀儡とみなすマルクス主義が、封建制を残すヨーロッパや政治腐敗の著しい第三世界で受容されてきたのは理由あることである。

工業国への憎悪は、帝国主義植民地主義に由来する。ニーバーは、このような列強諸国は植民地に技術や教育をもたらしたが、精神的な屈辱を残したと解釈する。アジアや中東の部族主義的な文化と腐敗した縁故政治が、政治を本来的に搾取とみなすマルクス主義の土壌となった。

原因は政治だけではない。農業社会から工業社会への移行そのものが、大規模な社会の解体、分裂をもたらすことを認識しなければならない。

よってニーバーは、東側からのアメリカの悪評は不当なものだと考えている。アメリカは自由世界を担っているが、同時に過去・現在の不正の象徴に仕立て上げられているという。

なぜ民主主義は根付かないのか。民主主義が実現するためには、高い識字率、個人の尊重という概念、家族を超えた共同体への貢献といった意識が国民に定着していなければならない。

あらゆる道徳の無視と人種主義に依存していたナチズムと異なり、共産主義は正義とユートピアを掲げる。このため、はるかに求心力がある。しかしこの思想は例外なく残虐と圧政をもたらすものである。

 

7 アメリカの未来

アメリカは自覚なく超大国の地位を手に入れてしまった。力はそれ自体が、無力な人びとを怒らせ、恐れさせる。

またアメリカ人は圧政を打倒し平和を実現する手段を知らない。

 

 

8 皮肉の重要性

キリスト教の世界観は、人間の限界を明確に示している。人間は自然を支配する創造者であると同時に、被造物でもある。

キリスト教の世界観は、ギリシア悲劇にみられるような、人間がいくつかある価値のなかのいずれかを犠牲にしなければならない(核の平和か、核のない戦争か等)、という悲劇的世界観とは異なる。

キリスト教は人間の存在をそのようには見ない。なぜなら破壊は、人間に定められた条件ではないからである。聖書の神は、人間が自然を克服することには怒らない。しかし、人間が自分たちの自由に科せられた限界を拒絶することに怒るのである。

人間における究極の悪は、自分たちの限界を見誤った思い上がりから発生する。それは、神の規制を破り追放されたアダムとイブや、バベルの塔などの挿話にも示されている。

特に賢いもの、強いものたちによる限界突破は強く非難される。自分たちこそ至高の善であると考える者たちが悪徳をなし、イエス・キリストを処刑した。

共産主義も、民主主義も、ともに神の目的と同一のものではない。

アメリカが滅亡するとすればそれはソ連の力によってではなく、憎悪とかりそめの勝利によって盲目になった、アメリカ人自身によってだろう。