失敗のパターン ――アフガニスタン、アメリカ植民地、インド
ベストアンドブライテスト
今読んでいる『Return of a King』は、1840年前後に発生したイギリスVSアフガニスタンの戦争に関する本である。
イギリスは、ロシアの南下政策に対抗するために、アフガニスタンにおける傀儡政権の樹立を試みた。
しかし、傀儡君主となったシャー・シュジャーは全く支持されず、またアフガニスタン駐留の責任者たちも現地人を逆なでするような政策を行ったため、全土で蜂起がおこった。
イギリスは現地の反乱軍に敗退し撤退した。
イギリスは18世紀にも、アメリカ植民地に対して無謀な政策を行い、独立を招いている。
the-cosmological-fort.hatenablog.com
また、第1次アフガニスタン戦争から程なくして、インドでも叛乱の憂き目に遭っている。
the-cosmological-fort.hatenablog.com
植民地政策や帝国主義政策の上で多数の愚行が行われているが、その度に被害を受けているのは現地の社会である。
ロシアのウクライナ侵攻も、明らかに非合理的な決断であり、後世からみればプーチンの乱心という評価になるだろうが、侵攻される方はたまったものではない。
アラビアのロレンスになれなかった人
英国のアフガニスタン進出に大きな役割を果たしたのが、英軍政治将校のアレクサンダー・バーンズである。
かれは現地語や現地事情に精通しており、当時アフガンを統治していたドースト・ムハンマドに取り入ったものの、前述のアフガン戦争時には首都カーブル市民の恨みを買いリンチ・殺害され、遺体はバラバラにされ路上に投げ捨てられた。
バーンズは、英本国からは中央アジア探検家・英雄として取り扱われたが、現地側の資料では、カーブルの現地女性や奴隷身分の女性を次々と家に連れて行ったため、風紀を乱す存在として忌み嫌われていたという。
ただし、バーンズの風評はアフガン側、英国側で異なっており、事実は少し調べたところ判然としない。