人間の脳の働きを解明する認知科学者による本。人間の知性の性質、その集団性や、無知と思い上がりについて検討する。
思考は、有効な行動をとる能力の延長として進化した。
人間の思考は、現象を取捨選択して最適な行動を選択するという情報処理に特化している。
また人間個人が扱える情報量は限られているため、社会を形成することで知識を共有する能力を持つ。ただし、どこからどこまでが本当に自分の知識なのかを判別するのが非常に困難である。
私たちの知性は必然的に、自らの脳に入っている情報と、外部環境に存在する情報とを連続体として扱うような設計になっている。……だから自分が知らないことを知らない、ということが往々にしてある。
所感
人間の脳の起源を説明し、人間の認知能力がどのような傾向を持つか、なぜ間違った考えを抱きやすいのかを説明する。
知恵や知能は、単独の個人にのみ宿っているのではなく、その個人の身体や、個人が属するコミュニティが保有している。人間の最大の能力は、多数が同じ志向性をもって動き、また知能や知識を共有できる点にある。
個人としての知識や判断力が限られていることを自覚し、信頼できる情報を判断し、得た知識をもとに行動することが大切であることを教える。
1 知っている、のうそ
人間は、自分が知っている以上に物事を知っていると錯覚する。
人間の知識量を測定したところ、1GB前後だった。
人間の脳の働きは、コンピュータとは異なる。思考プロセスの大半は、コンピュータ的な推論ではなく、意識下の直観で占められる。
人間を取り巻く世界はあまりに複雑であり、個人の脳ではとても理解できない。何が理解できないかを理解することさえ非常に難しい。
知るべきことのほんの一端しか理解していないのに、まっとうな生活を送り、わかったような口をきき、自らを信じることができるのか。
それは私たちが「嘘」を生きているからだ。
2 なぜ思考するのか
植物には脳がない。環境に合わせて複雑に行動するために、情報処理ネットワークであるニューロン(神経系)が形成され、脳がつくられたのが動物である。
知的であるというのは要するに、五感から入ってくる膨大なデータから本質的で抽象的な情報を抽出する能力があるということだ。
すなわち脳は、有効な行動をとる能力を支えるために進化した。思考する動物は、短期的にも長期的にも自らを利するような行動をとる可能性が高く、ライバルよりも生き延びる可能性が高い。
3 どう思考するのか
人間は物事の因果を考える能力が発達している。
わたしたちの脳は、命題的論理(特定の見解が正しいかを論理的に判断)ではなく因果的論理(特定の事象がどのようにおこるかという因果関係の論理)で考える。
原因から結果を推論するより、結果から原因を推論するほうが難しい。
因果を理解するために人間は自然と物語をつくる。妄想やSFなどの反事実的思考は、行動シナリオを検討するために行われる。
物語は因果情報と教訓、経験を共有するために、コミュニティと密接に結びつく。
4 なぜ間違った考えを抱くのか
物理法則や、世界情勢予測などのように、複雑な事象を理解するのは困難である。
よって知識は、自らの経験範囲に限られることになる。
思考には、直観と熟慮の2種類がある。直観は個人の思考プロセスの産物だが、熟慮は、自分自身や他者、共同体と話し合うことである。
説明深度の錯覚の原因は、私たちの中にある直観システムが、自らの熟慮能力を過大評価しているためと考えることもできる。
5 体と世界
認知科学とほぼ並行して、ロボット、コンピュータ技術も発展してきた。はじめはソフトウェアとハードウェアが分離した形式だったが、徐々に体(器官)と連携した人工知能の開発が進むようになった。
知能を具現化するロボット設計方法を包摂アーキテクチャという。現在の最先端ロボットは、環境に対し反応し、膨大な計算をする仕組みを持つ。
人間は視覚などの感覚器官をもっているため、すべてを記憶する必要がない。
つまり世界があなたの記憶の役割を果たしているのだ。
人間は常に物理法則から推論して行動するわけではない。
こうした研究からわかるのは、人間そして昆虫は、伝統的な認知科学の想定とは異なり、モデルを構築し、膨大な計算をしてから行動するわけではないということだ。
認知は、考えている対象や考えている道具と結びついている。
人間の知性は、ただ脳による情報処理のみから成り立つのではない。
脳と身体、そして外部環境は協調しながら記憶し、推論し、意思決定を下すのだ。知識は脳内だけでなく、このシステム全体に分散している。
だから個人としては無知であっても、外部環境を使って賢くなることができるのである。
6 他者
人類が史上最も複雑で、強力な種であるのは、個人の脳の力量のためだけでなく、多数の脳が協力し合うためだ。
人間の脳の肥大化は、本来コストパフォーマンスが悪く、進化論から見ると不可解だった。
……このように知識が共有されると、「志向性」を共有することができる。つまり、ともに共通の目標を追求することができるようになる。他者と意図を共有し、ともに物事を達成するのは、人間の基本的能力である。
知性は社会的存在である。人間の能力は向上を続けているが、それは人間の共同作業が累積し複雑化しているからである。
わたしたちは驚くほど人づての情報だけを頼りに生きている。
そして重大な弊害は、自分が実際よりはるかに多くを理解していると思い込んで生きていることである。
7 テクノロジー
人間は、道具やテクノロジーを、自分たちの器官の一部であるかのように使うことができる。
このようなテクノロジーの最大の特徴は、人間のように志向性を共有することがない点にある。
クラウドソーシングによって知識の共有や共同作業が進み、情報や知識はより公平に分配されるようになっている。
問題は、テクノロジーが複雑化し、人間の依存度が高まるにつれて、問題が生じたときに対処できなくなることである。
本来、人間の最大の能力は、事態に応じて柔軟に思考することである。
8 科学
反科学主義は、単純に科学知識の欠如から生じているのではない。反科学主義は、信念や文化、コミュニティと密接に結びついている。
人間はある科学技術に対して、誤った因果的推論をあてはめがちである。
食物に対する食品照射が、放射・放射能を連想させるために拒否されたため、低温殺菌と名称を変えたところ抵抗なく普及した。
9 政治
一般的に私たちは、自分がどれほどモノを知らないかをわかっていない。ほんのちっぽけな知識のかけらを持っているだけで、専門家のような気になっている。
知識のない人たちが互いに議論すると、一段と極端化していく。
人はほんのわずかな知識、特に言葉にできるような知識はわずかしかないのに、物事に対して強い意見を表明することが少なくない。しかしそれを妨げないわけではない。われわれの研究では、詳細な因果的説明を求めることで、知識の錯覚を打ち砕けば、立場が穏やかになることが示されている。
極端な意見を持つのを防ぎ、知的謙虚さを高めるには、政策がどのように作用するかを説明させるのが有効である。
しかし、道徳や政治に関する判断は、因果的推論ではなく価値観に基づいていることが多い。このため人びとは、科学的・合理的根拠がなくとも、近親相姦や堕胎、安楽死に反対するのである。
特定の政治的立場を推進する人びとが、たいていの人が結果に基づいて判断する問題を、価値観の問題であるかのように見せようとすることがよくある。そうすることで自分たちの無知を隠したり、人びとが中庸な立場をとることや妥協点を見出すことを妨げようとする。
政治家は、話をぼかしたり、票を集めるために、政策を因果関係で考えるのではなく、価値観の問題にすり替える。イランは核開発をペルシアの歴史に基づく必然と宣伝し、国民の支持を集めることに成功した。
イスラエルとパレスチナの問題は、すでに合理的な政策を考えることが不可能な状態になった。
マスメディアは皮相な価値判断ではなく分析を提示すべきである。
専門家と市民との権力関係には均衡が必要である。
アメリカでは20世紀初頭、州政府が一部の企業に牛耳られたため、直接投票による統治形式が用いられるようになった。しかし、こうした民主主義にも弊害がある。
悪名高い例の1つが、2015年の住民発案「カリフォルニア州男色禁止法案」だ。そこには同性の相手と性的関係を持った人物は「頭部への銃弾によって抹殺する」という規定もあった。幸い、この法案自体が裁判所によって抹殺された。しかしこうした例は、直接民主主義もほかの統治形態と同じように恣意的な意見操作の対象となりうることを示している。
10 賢さの定義
キング牧師やガンジー、大統領やジェームズ・ボンドなど、運動や業績は、象徴的な一人の人物に結び付けられる傾向がある。
科学的な発見は先人の研究や協力に基づいている。特に現在、ノーベル賞を受賞するような研究は、数千人、数千億円規模のプロジェクトであることがほとんどである。
大きな成功は、個人の知能以上の何かによって達成されている。
知能そのものを定義すること自体が、非常に困難である。知能テストは一般的な知能を示すg因子を重視するが、それがすべての知能を補足するわけではない。
たいていの作業では、さまざまな人が異なる貢献をする必要がある。
つまり本当に必要なのは、個人の知能ではなく、集団のパフォーマンスを測る方法である。
集団のパフォーマンスを測定する基準としてc因子が利用されている。
私たちはキング牧師を人間の偉大さの象徴として扱うだけではなく、アメリカが偉大な国となりうることを示すうえで牧師の果たした役割を評価する必要がある。
11 賢い人
学校教育は、知的な独立性を高めるためにあるのではない。
そこには他者と協力する方法を学ぶこと、そして自分に提供できる知識、他者から埋めてもらわなければならない知識は何かを知ることも含まれている。
科学者は科学者の共同体の中での信頼や信用に基づき、過去研究を活用し新しい事実を発見していく。
ある主張が信頼できそうか、知識を持っているのはだれか、その人物は真実を語る可能性が高いかを判断するすべを身につけさせるのも、教育の重要な機能の1つだ。
ジョン・デューイは教育を次のように考える。
……「独立した個体」に教育を施すのではなく、世界や他者の力を借りながら学習し、互いに知識を交換しながら物事を解明し、情報を保管する、ヒトという生き物を教育する必要があることを意味する。
分業体制で1つのテーマを集団研究し、結果に基づいて予測や推測をさせる授業は、非常に高い効果を上げた。
12 賢い判断
まずたいていの人は説明嫌いであるという事実、意思決定に必要な詳細な情報を理解する気も能力もないことが多いという事実を認める必要がある。しかし理解していなくてもなるべく優れた判断ができるように、環境を整えることはできる。
- かみ砕いて説明する
- 意思決定のための単純なルールを作る
- 時機に合わせた教育を行う
- 自分の理解度を確認する
おわり
自分の無知を知ることは重要である。同時に、自分を実際以上に過信し挑戦することも、人間にとっては必要である。
知能を共有するコミュニティは、無知の個人よりよい結果をもたらす可能性が高い。
ただし、コミュニティ自体が間違っていることもあるので自己判断が必要である。
異常なコミュニティを妄信し過ちをおかした場合――絶滅収容所の警備員やカルト宗教のテロリスト――には、行為の責任はその個人に及ぶ。