◆『図書案内』修正中
重すぎて閲覧困難になっていた「図書案内」を改修している。
現在、「戦争と軍」、「日本の歴史」について、リンク形式を変えることで読み込み可能な形に変更している。
『日本残酷物語5』を読んでいる。
主題は、明治以降の近代化によって出現した労働者の過酷な環境である。
日本残酷物語には多くの場合元ネタや種本がある。
『女工哀史』など他の文献を今後読んでいきたい。人を人として扱わない労働環境は今も健在である。
・明治20年代頃から盛んになった紡績工場は、地方に募集人を派遣し、良い環境で働けるとだまして人さらいのように女工を調達した。女工らは2交代、徹夜、最長36時間の過酷な労働に従事させられ、寄宿舎に軟禁された。
・とある工場では、脱走を試みた女工は裸で縛られて殴られ、食事を抜かれた。年に2、3人が死に、屍体は樽に詰めて庭に埋めた。
・コレラが蔓延したときは、感染した女工に無理やり毒薬を飲ませ殺した。まだ絶命していない者もまとめて焼却炉に持っていき焼き殺した。
工場監督官が巡視にくると、違法の幼年工を隠した。
――よくボイラー室にとじこめておき、そのまま忘れて多数の幼年工を焼き殺してしまったということが、昭和のはじめごろにもあったという。
北海道の社会インフラを建設したのは、以下のような奴隷労働だった。
・明治20年代後半以降、人手不足に苦しんでいた北海道の土木工事において、労働者の監視や軟禁・逃走防止が図られるようになった。これがタコ部屋の起源である。
・北海道の道路、鉄道、築港、治水、灌漑工事、鉱山開発やその他の社会インフラは、タコ部屋、監獄部屋と呼ばれる強制労働によってつくられた。募集屋が都会で人をだまし、刃物を持った監視人によって北海道まで護送され、地元警察とつながった監獄部屋のボスの下で監禁され、土木作業に従事させられた。
こうした環境を改善したのは、当時の経営者や政府の慈悲や慈愛ではない。労働者や活動家たちが抵抗運動を行った結果である。