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『バガヴァッド・ギーターの世界』上村勝彦 その1

 『バガヴァッド・ギーター』の内容に沿って、思想や当時の物の見方を説明していく。ヒンドゥー教の世界観は、日本仏教の中にも根付いている。

 

 ◆メモ

 『ギーター』の核心は、カーラ(時間)に翻弄される存在のむなしさ、義務を果たし、結果に執着せず行為することで梵我一如の認識を得ること、真実の自己アートマンの知性を確立すること等である。

 ダルマに忠実であるとは、ヴァルナ(四姓)の与える身分を守ることである。『ギーター』は、ヒンドゥー教社会の枠組みを保持することを説く。

 なぜ、自己アートマンと世界の最高原理・最高神ブラフマンが同一であることを知るのが、重要なのだろうか。

 どういった理由で梵我一如の思想が生まれたのだろうか。

 

  ***

 序章

 ヒンドゥーの神々は日本にも伝播した。

 紀元前1100年ごろ、「ヴェーダ」と呼ばれる聖典群が成立し、バラモン教となった。

 バラモン教における神は「デーヴァ」(天)、悪魔は「アスラ」(阿修羅)である。

・最大の神はインドラ(帝釈天

 ヴァジュラ(金剛)という武器をもって悪竜ヴリトラを退治した。

・ヴァルナ(水天)はアスラの代表

・アグニ(火天)……護摩(ホーマ)をたく儀式

・ヤマ(閻魔)

・サラスヴァティ(弁才天

ヒンドゥー教における三大神……ブラフマー梵天)、ヴィシュヌ神シヴァ神

毘沙門天多聞天)は梵天の孫

ヴィシュヌ神天世界を維持する。甘露(アムリタ)を得て、吉祥天(シュリー・ラクシュミー)を妻にし、ガルダという巨鳥に乗る

迦楼羅ガルダ

シヴァ神大自在天

 韋駄天(スカンダ)と聖天(ガネーシャ)はシヴァ神の息子

・ダーキニー(荼吉尼)、マリーチ(摩利支天)、ハーリーティー鬼子母神

・『バガヴァッド・ギーター』はヒンドゥー教の代表的な聖典であり、大乗仏教にも影響を与えた。

 

 ――それは、絶対者すなわち最高神がすべてに遍満し、個々のもののうちにも入りこんでいるという考え方です。言いかえれば、我々個々人のうちに神の性質があるということです。

 

 ヒンドゥー教の要素は如来蔵思想、天台宗の本覚思想につながり、日本人の宗教観に深く影響した。

 

 1

聖典について……

 『リグ・ヴェーダ

 『マハーバーラタ』:ヴィヤーサ作、バラタ族間の戦争

 『ラーマーヤナ』:ヴァールミーキ作、ラーマの冒険

 「プラーナ」:古い伝承

 『マヌ法典』:「法」ダルマ、教徒の守るべき宗教的・社会的な義務を説いた書

 『アルタ・シャーストラ』:アルタ(政治経済などの実利)を説く

 『カーマ・スートラ』:カーマ(性愛を代表とする享楽)を説く

・『マハーバーラタ』中の『バガヴァッド・ギーター』は、代表的な聖典である。

 

 叙事詩は、カーラ(時間)に支配される人間存在のむなしさを説く。

 

 ――この世に生まれたからには、自分に定められた行為に専心すること、これこそ『ギーター』の強調するところでもあります。

 

 2

 勇士アルジュナは戦争に際し怖気づき、親友クリシュナ――実は最高神の化身に相談する。

・個人の中心主体(個我)は永遠に存在している。

・あらゆる生死、苦楽は平等である。それを悟る賢者は、生死を解脱することができる。

・悟った者は輪廻転生から解放される。

・仏教では輪廻の中心主体としての我を否定し「無我」を説いたが、やがて大乗経典の時代には「我」を認めるようになった。

・自己の義務(ダルマ)を放棄すべきではない。よって、クシャトリヤたるアルジュナは戦うべきである。

 

 『ギーター』は人殺しをすすめていると解釈される危険もあるが、著者によれば、無差別な殺人を肯定しているわけではないという。

 日常的な道徳観に基づき、クシャトリアや戦いを、シュードラは隷従を義務として果たすべきだという。

 

・あらゆる行為は、悪い結果をもたらす。これを「業」(ごう)という。初期仏教は、一切の世間における行為を捨てよと説いた。

 クリシュナは、この世のすべてを平等とみれば、戦いにおいて殺しても罪悪を得ることはないという。

 

 3

・結果を顧みずに行為することが重要である。

 

 ――あなたの職務は行為そのものになる。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ。

 

・『ギーター』における「ヨーガ」とは、「平等の境地」を意味する。

・知性(ブッディ)のヨーガの確立が重要である。ブッディ・ヨーガとは、行為の結果を動機としない知性である。

・確立した人物は自らアートマン(自己)において満足する。

・対象に執着すると欲望が、さらに怒りが、さらに迷妄が生ずる。仏教でいう貪瞋痴、三毒である。

ウパニシャッドの中心思想……宇宙の最高原理ブラフマンと、個人の中心主体である真実の自己アートマンは同一である。すなわち「梵我一如」である。

・ブラフマ・ニルヴァーナとは……自己とブラフマンが一体化した境地においおて、我執なく行動し寂静に達していること。

 

 4

・行為は無為よりも優れている。

 

 ――人は行為を企てずして、行為の超越に達することはなく、また単なる行為の放棄によって行為の超越に達することはない。

 

六派哲学のうちのサーンキヤ学派……純粋に精神的な原理プルシャと物質的な原理プラクリティ(根本原質)

 プラクリティは3つのグナ(要素)からなる……純質(サットヴァ)、激質(ラジャス)、暗質(タマス)

・行為をやめても思考器官(マナス)は働いている……身口意

・祭祀のための行為……行為をブラフマンに捧げることが重要である。

 

 ――すべての行為を私(最高神クリシュナ)のうちに放擲し、自己(アートマン)に関することを考察して、願望なく、「私のもの」という思いなく、苦熱を離れて戦え。

 

・『ギーター』の主題……すべての行為をクリシュナに捧げよ

・クリシュナは、無条件の、全面的な信頼と服従を要求する。

・人間は欲望(カーマ)に応じて悪をおこなう。

 

 5

・クリシュナは過去の生すべてを知っている。クリシュナは永遠に存在し、プラクリティから自己のマーヤー(幻力)により出現する。

・クリシュナは『法華経』における「久遠の本仏」である。

・しかし、だれもが永遠の存在なのである(真如観)。

・行為のヨーガを得るためには、知識のヨーガが必要である。この2つはお互いに不可欠である。

・3つの知識……一般的な知識、最高神に関する知識、「真理そのものである、完成にいたった知識」。真実の知識とは、梵我一如を覚ったことをいう。

 

 6

・行為の放擲(サンニヤーサ)は、行為を捧げること。

 

 ――一般に、ヨーロッパの考え方では、個性があったほうがよいとされますが、ヒンドゥー教や仏教の考え方では、個性がなくなったほうがよいとされます。個性があるうちは、生まれ変わる。輪廻を続ける。古代インドでは、輪廻は苦しみと考えられていました。……その輪廻から脱すること、抜け出ることが解脱です。

 [つづく]

 

バガヴァッド・ギーターの世界―ヒンドゥー教の救済 (ちくま学芸文庫)

バガヴァッド・ギーターの世界―ヒンドゥー教の救済 (ちくま学芸文庫)