8 良民の義務
アイヒマンはカントの定言命法を引用し、自らの規律にのっとって行動した、と弁明した。しかし、最終的解決の決定以降はカントに限界を感じ、命令者ヒトラーの原則を自分の原則と考え行動した。
ハンガリーはドイツの干渉を嫌うため、ユダヤ人問題に関しても消極的だった。ここにSS高官とアイヒマンが送り込まれ、ユダヤ人の絶滅を促進させるよう命じられた。
ヒムラーは敗戦が濃厚となると、虐殺を停止するよう命じた。しかしアイヒマンはそうした軟弱な方策に反対し、ユダヤ人の厳格な殺害を続けた。
9 追放
ドイツ国内のユダヤ人の取扱いについて。
アイヒマンは、戦争後期になると例外なくすべてのユダヤ人を追放しようとして奮闘した。
かれの目標はドイツ、オーストリア、保護国すべてをjudenreinユダヤ人の排除された土地にすることだった。
ドイツから亜人種呼ばわりされている東欧諸国が追放に熱心な一方、同胞の北欧諸国は最終的解決に対し消極的だった。
10 西欧からの追放
フランスにおいては、ペタン、ラバルら占領政府がユダヤ人政策に協力的だった。被支配国が積極的なところでは犠牲者が増え、消極的なところ、ユダヤ人が組織化されていないところは比較的助かった者が多かった。
占領地域においては、まず無国籍のユダヤ人が、続いて外国籍のユダヤ人が追放、すなわち虐殺の対象となった。
オランダはヒムラーとSS高官が直接追放に乗り出したため、大きな被害を出した。
デンマークは、政府が公然とユダヤ人追放に反対し、さらにデンマーク駐在のSS、アインザッツグルッペン指導者も反対したため、ユダヤ人の犠牲者が抑えられた。これはドイツ内部が明確に命令に背いたほぼ唯一の例である。
イタリアにはもともと反ユダヤ主義が根付いておらず、ムッソリーニはほぼすべてのユダヤ人を元ファシスト党員関係者として追放対象から除外した。さらに、地中海からのユダヤ人追放部署をイタリアが設立したが、移住先はイタリア国内だった。
フィンランドは、ヒトラーのフィン族への尊敬から、内政干渉が抑えられたために被害が少なかった。
11 バルカンからの追放
ブルガリアは反セム主義が根付いていないためにブルガリア人と現地のSSのサボタージュに会い、ほとんど追放が行われなかった。ギリシアは人びとの無関心から大規模なユダヤ人移送が行われた。
アントネスク率いるルーマニアは元々、ヨーロッパでもっとも反セム主義の強い国であり、率先してユダヤ人の殺戮を行った。しかし、政府の腐敗度も高く、多数のユダヤ人が賄賂により亡命した。
12 中欧からの追放
ハンガリーの追放政策は不十分であるため、1944年、アイヒマンとその部下たち(アイヒマン特別任務部隊)が乗り込み、移送を行った。
13 東方の殺人センター
アイヒマンがどの程度、アインザッツグルッペン及び殺人収容所の運営に関与していたか、またはどの時点で移送先が殺戮場だということを知っていたかについて。
14 証拠と証言
裁判の進め方について。裁判は公平だったかどうか。
15 判決、控訴、処刑
アイヒマンの刑務所からの逃走、元SSによる互助組織オデッサとの接触、イタリアのフランシスコ会を通じてのアルゼンチンへの脱出、イスラエル諜報員に捕まるまで。
裁判の正当性について。アイヒマンは人道に対する罪で起訴された。アイヒマン裁判の形式は、ニュルンベルクを踏襲している。
虐殺genocideは海賊行為と比較される。すなわち人類共通の敵であり、根絶されなければならない。しかし、アルゼンチンでの逮捕は明らかに違法である。
著者の主張は以下のとおり。
ジェノサイドは人類、人間一般に対する犯罪であり、国際裁判所のような組織によって裁かれるべきだった。ユダヤ人のみから構成される法廷で扱うことにより、この犯罪は矮小化されてしまう。
ベングリオンはこうした反論を退け、ユダヤ人が他人の庇護を求めたり公正を訴えたりすることなく、自らで正義を実現する場を定めた。
アイヒマンは、自分の立場であればドイツ国民すべて同じように行動しただろう、と弁解する。これに対し、判事は以下のように反論する。
ドイツ国民なら誰でもやっただろうということは言い訳にならない。われわれが判断するのは潜在的にやったかどうかではなく、実際に被告がやった行為についでである。
アイヒマンの内心、良心、動機ではなく、アイヒマンが加担した行為が問題である。
――政治は子供の遊びではない。すなわち、政治においては服従することは支持することと同じである。
後記
アイヒマンは勤勉だった。また、最大の問題は、彼が自分のしている行為を自覚していなかったこと、思考停止にある。
裁判の正当性について。国内法における良心的拒否の扱いについて。
法的に整備された虐殺制度が存在するとき、人間は善と悪を区別することができるのだろうか。良心または信仰だけが善悪を見分けられるのではないか。
あらゆる世代の人間は父と先祖の恩恵と負債を引き継がなければならない。それは、個人による犯罪への加担とは別次元の話である。
アイヒマンの裁判は、よって政治的責任を問う場ではなく、刑事裁判である。
***
単語集
SD:SicherheitsDienst(security service),親衛隊情報部、1931年ヒムラーにより設置
ゲシュタポ:元プロイセン州の秘密警察としてゲーリングが設立、1936年に保安警察として統合、さらに1939年にRSHAに吸収される。
保安警察:ハイドリヒにより、ゲシュタポと刑事警察、秩序警察を統合したもの。
RSHA:Reichssicherheitshauptamt(Reich Security Main Office)、国家保安本部。1939年ハイドリヒにより設立、親衛隊にゲシュタポ、保安警察、SDを統合したもの。
国防軍情報部:アプヴェーア
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