チャールズ・ゴードン将軍はイギリスの軍人であり、太平天国の乱のとき、中国人傭兵からなる「常勝軍」を率いて活躍した。その後、1885年、マフディー叛乱鎮圧の際包囲されて死亡した。
ゴードンに関する本は、日本語では本書くらいしか出ていないようだ。
目的……イギリス外務省によってスーダンのハルツームに派遣され戦死したゴードン将軍についての本。政府の手先と非難されたゴードンの不名誉を回復し、同時に外務省や国際金融業の不正を指摘する。
著者は保守主義者であり、イングランド王国時代をよしとする。大英帝国及びイギリス帝国主義に対しては、愛国心の対象をへんぴな植民地に移すものとして否定的である。
――海外では専制的権威を振り回しておいて、国内では自由の尊厳を重んじるなどということはできない相談である。
スーダン政策全体が著者の批判の対象である。
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1882年当時、エジプトは英国の統制下にあり、英国内では保護国化すべきとの主張もあったが、グラッドストン首相は経済的な不利益を考え、この主張を退けた。
この時期まで、イギリスは自由主義の国であり、イスラム教の擁護者だと考えられていた。
ゴードンは、不正な政府に対する抵抗運動としてマフディ運動を理解していた。
クローマー卿、本名イヴリン・ベアリングは駐エジプト総領事であり、エジプト行政の腐敗と従属化を進めた点で本書の主な批判対象である。
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ゴードンは信心深く、清廉潔白だったが、売名行為が多く、それが欠点だった。かれは物欲がなく、慈善活動に励んだ。太平天国の乱鎮圧に貢献し、やがてスーダンに派遣された。
クローマー卿及び外務省は、次の目的を遂行するために、『タイムズ』等の新聞社に働きかけた。
1 エジプトの直接統治
2 エジプト統治下にあるスーダンの英人将校による鎮圧と新政府樹立
当時スーダンではエジプトからの独立を掲げるマフディ運動が広がりつつあった。グラッドストン首相はエジプトから手を引こうとしていたが、外務省は世論と新聞を操作することで首相の考えを変えようと工作した。
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トルコおよびロシアの情勢。
著者はトルコを訪問し、要人やパシャたちと交流する。トルコのスルタンは狂人で、やがてカリフの地位はアラビアに返るだろう。イギリスにおいては、トルコを保護領にすべきという論調が生まれつつある。
ロシアは膨張政策を続けており、トルコを狙っている。
イギリスは、トルコとの対立、及び、エジプトへの政治介入によって、イスラム勢力から反感を買うことになった。
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――この上院議員は、我が国のエジプトでの失敗の原因を、彼独特の流儀で説明してみせた……「諸悪の根源は、イギリスの役人があそこでは日曜も仕事をすることにある。十戒の掟にひとつそむけば、あとはなしくずしだからね」。
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ゴードンの戦死及びハルツームの陥落は、著者の日記上で軽く触れられただけだった。イギリス政府はスーダンから撤退する。
著者の優雅な外交生活、競馬観戦と馬の育成、トルコ訪問等、身辺雑記が大半を占めている。イギリスの植民地政策に強く反対し、アラブ人によって全滅した英軍に罵倒を浴びせている。
このため、かれは後年社交界から孤立したという。