うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『レトリックと人生』レイコフ、ジョンソン その4

 23 メタファー、真実、行動

 24 メタファーと真実

 「権力のある方の人間が自分たちのメタファーを押し付けるようになる」。

 哲学者にとっての真実(Truth)とは、客観的、絶対的真実である。彼らによればメタファーは真実をあらわすことはできない。この絶対的真実の存在というのが、西洋文化の長年のテーマである。

 この真実というのは、著者が述べるには、メタファーの上につくられたものである。そして真実が力を持つというのは、支配的なメタファーを一般人に押し付ける、ということである。これが、客観主義の神話というものだ。

 陳述によってあらわされる真実とは、すべて相対的なものである。与えられた状況や、カテゴリーによって際立たせられる属性によって変化する。常套的なメタファーと、非常套的メタファー……Life's ...a tale told by an idiot, full of sound and fury, signifying nothing.

「われわれは自分の人生をなんらかの一貫した人生物語に合致させることができるものと期待しつつ絶えず活動を行っている」が、リア王のような人生においてこれは白痴の語る物語だというのがふさわしい。

 経験主義者による真実論の本質……われわれがある陳述をある状況のもとで真実であると理解するのは、その陳述されたことについての理解と、状況についての理解が、われわれの目的に十分かなうように合致する場合である。

 

 状況や述べられたことは自分の概念体系に基づいて理解されるので、真実とは概念体系との相関関係によって決まる。

 このレイコフらの説は、現象学、およびウィトゲンシュタインの哲学と通じるところがあるのだという。

「意味は常に誰かにとっての意味なのである」。

 

 25 客観主義神話と主観主義神話

 26 西洋哲学と言語学における客観主義神話

 神話は、「経験を理解する手掛かりを与えてくれ、われわれの生活に秩序をもたらしている」。

 だが、客観主義の神話は、自らが神話であることを否定し、また神話とメタファーを軽蔑する。著者は、客観主義神話と主観主義神話のあいだに、経験主義という第三の可能性を提示する。

 ――客観主義は科学的真理、合理性、正確さ、公平さ、偏見のなさを自分の同盟者と考えている。主観主義は感情、直観的洞察力、想像力、人間らしさ、芸術、「より高尚な」真実を同盟者と考えている。

 古代ギリシアから真実と芸術は対立してきた。産業革命への反抗としてロマン主義が生まれたが、その結果芸術や想像力は社会の本流から遠のけられた。いまでは主観主義は、客観主義のなかの辺境であり、詩や想像力の逃避場所となっている。

 客観主義的な哲学は、導管メタファー(意味はまさにその語の中にある)という前提に基づいている。

 

 27 メタファーと客観主義神話の限界

 28 主観主義神話の不適切さ

 客観主義的モデルは理性的人間の心に訴えかける。著者曰く、いま普及している主観主義神話は「井戸端現象学」というのが相応しい。

 29 経験主義者の見解

 客観主義と主観主義のよいところをとって、経験主義というあらたな神話をつくること。

 客観主義からなにを保持するか……「知識に関する問題にしろ価値観に関する問題にしろ、客観性はやはり個人の偏見を超越していなければならない」。この客観性は概念体系との相互関係によって決まる。

 経験主義に従えば、科学研究には責任が生じることになる。

「というのも、科学理論は事実を明らかに際立たせると同時に隠すこともあるのだということが広く自覚されるようになるからである」。

 主観主義からなにを保持するか……意味とはつねに個人にとっての意味である。また、メタファーを通して想像力がいかに利用されているか。

「経験主義が主観主義と異なっている点は、想像力による理解は他からまったく制約を受けないとするロマン派的考えを否定している点である」。

 言語の問題はやはりわれわれの世界認識の問題にまで行き着く。

 

 30 メタファーと理解

 経験主義者からみた人間生活のさまざま。コミュニケーションについて……「対話をしている人間の間に共通の文化、知識、価値観、前提がない場合には、相互理解はとりわけ難しい」。

 相手にとって未知の世界観や概念を伝える場合に、必要とされるのがまさにメタファーを駆使する能力である。これは主に自分の世界観や経験のカテゴライズの方法を調整することに用いられる。

 ――社会が大規模に「導管」メタファーによって動かされるようなことになれば、誤解や迫害、あるいはもっと忌まわしいことが生じかねないであろう。

「自己理解とは、自分の人生に意味を与える適切な個人的メタファーを探し求めることであると言えるかもしれない」。

「自己理解のプロセスとはすなわち、自分のための新しい人生物語を絶え間なく展開していくことにほかならない」。

 「経験をする際の柔軟性」が必要である。

 儀式とはそれが経験のゲシュタルトである。――われわれの日常の営みを成り立たせているメタファーのあるものは、文化上のメタファーであれ個人的なメタファーであれ、儀式の中に保持されている。

 メタファーとは想像力に基づいた理性活動(imaginative rationality)だ。

 ――多くのイデオロギーは、個人にとっての有意義さ、あるいは文化上の有意義さは二義的な問題であって、後回しにされるべきであると指摘している。相反したイデオロギーはどれも人間性を喪失させるイデオロギーである。

 「労働は資源である」というとき、その労働が労働者にとってどのような意味をつか、まったく意味を持たないのかという側面は隠される。なに主義であろうが工業大国はみなこのメタファーを用いる。

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 いま強制されているメタファー、気づかずにはまりこんでいるメタファーからなる概念とはいったい何か。またわたしの用いるメタファーの改善の余地はなにか。

 

レトリックと人生

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