うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『レトリックと人生』レイコフ、ジョンソン その3

 

 15 経験に一貫した構造を与える

 ある経験がメタファーによって構造を与えられ、一貫したものになるとは、どういうことか。

 談話conversationに、戦争というメタファーが与えられることで議論が生まれる。この談話にはいくつかの相dimensionsがある……参加者、部分(話す行為)、段階(挨拶から別れの挨拶まで)、線的連続性(話し手は交互にしゃべる)、因果関係(一人の話が終われば、もう一人の話がはじまる)、目的(礼儀正しい社交を行うこと)。

 これが議論に変化すると、相もまた変化する。たとえば目的は勝利(相手の論破)に変わる。談話の多相的構造に、戦争の多相的構造を重ねることで、「構造を与えられた統一体へとまとめられる」。

「こうした相をもったゲシュタルトに基づいて経験をカテゴリーに分けることができる時、われわれはさまざまな経験の中に一貫性(coherence)をみとめるのである」。

 経験そのものと、それに「談話」や「議論」などの多相的ゲシュタルトを与えること。ゲシュタルトを与えることで、われわれは重要な部分を識別し、経験をカテゴリーに分類し、理解、記憶することができる。

 概念によっては、ほとんど全体がメタファーによって構造を与えられているものもある……恋愛がそうだ。感情は明確な輪郭をもたないので、主としてメタファーによって間接的に理解するしかない。

 

 16 メタファーによる一貫性

 理想的な議論とは、相手に勝ちさらに理解に役立つようでなければならないという。一方の側だけによる議論、は議論の特殊な形である。ここで取り上げられるのはAn argument is a journeyというメタファーで、これは議論の到達点goalと関係がある。これは、議論は旅である、と、旅は道を定める、がつながって、議論は道を定める、となる。議論のメタファーにおいて、旅と内容物でることは、表面が増す(cover the ground,)点で一貫性がある。

 

 17 メタファー間の複雑な一貫性

 あることがらに複数のメタファーが与えられていても、そこには一貫性がある。議論において、旅のメタファーは内容、進展、直截性、明白性を、容器のメタファーは内容、進展、基礎性、堅牢さ、明快さを、建築物のメタファーは内容、進展、基礎性、堅牢さ、構造をそれぞれ強調する。この三つのメタファーはどれも、内容を規定する表面をもっている。よって次のような表現が可能になる。

 So far We constructed the core of our argument. so farは旅のメタファーであり、constructedは建築物のメタファーであり、coreは容器のメタファーである。このように異なるメタファーがオーバーラップしても、そこには一貫性があるのだ。

 議論の目的は理解なので、Understanding is seeing、理解とは見ること、ともオーバーラップする。見えてくる、などの表現。さらにmore is betterというメタファーも加わり、内容の濃い、などの表現でわかるように、量に基づいて質を評価する。これらも、前述の旅などのメタファーと一貫性を持っている。

 この一貫性によって、「われわれは議論の概念のように高度に抽象的でかつ精緻な概念を作り上げることができるのである」。

 

 18 他の概念構造理論が導く結論

 これまでのまとめ、概念体系の大半はメタファーによって構造を与えられている。他の言語学者などは、この概念を、メタファーに言及せずに処理しているが、その方法は「抽象化abstraction」と「同音異義homonymy」である。抽象化では、たとえばbuttressはbuttressという抽象的で広範な概念であって、それは建築を補強し、議論を補強する概念の中間にある。同音異義の場合は、議論を補強するbuttressと建物を補強するbuttressは同音ではあるがまったく別個のものであるという。

 ここは他説への反論なので飛ばす。

 

 19 メタファーによる定義と理解

 われわれの経験のなかで明確な輪郭をとらないもの、感情、考え、時間など。たとえば、loveを辞書で引いてもlove is journey, love is madなどとは書いてない。辞書は概念の定義を書くことを目的としているが、この本の著者らは、「人間が自分たちの経験をいかにして理解しているか」、「どのようにして概念をとらえる手がかりを得ているのか」、「どのようにして概念を理解し、どのようにして概念に基づいて活動しているのか」を明かすことを目的としている。その点では、foodはideaという概念を理解するてがかりを与えてくれる。

 では、「定義」という概念はどのように理解されているか、また何を定義しているのかということも一考に値する。

 メタファーにしろ概念にしろそのすべての元となっている「基本的領域の経験」を構成するものはなにか。経験のゲシュタルトを構成するものはなにか。

 これはわれわれにはnatural kinds of experienceにおもわれる。自然であるとはつまり、肉体の経験、物理的環境とわれわれの間の相互作用の経験、文化内に住む人との経験である。

 メタファーによって構造を与えられる概念(love, time, idea, labor, happiness, health, control, status)も、メタファーに用いられる概念(physical orientations物理的方向性, objects, substance)も、どちらも自然な種類の経験である。

 自然な経験のあるものはそれ自体すでにメタファーであることがある。議論をするためには「議論は戦争である」という概念を踏まえていなくてはならない。

 Gunについて、Black GunはGunであることを否定しないが、Fake GunはGunであることを否定している。Fakeというものが銃の機能の属性と由来(人を撃つ、本物の銃としてつくられた)を否定しているからだ。このようにGunのような物も、「多相的なゲシュタルトとして特徴付けることが」できる。

 このカテゴリー化の部分はよく理解できなかった。


 20 メタファーと形態の意味

 われわれは時間の流れに沿って話す。時間は空間のメタファーによって概念化されている。だからわれわれの言語も、空間のメタファーが用いられる。文章を順々に書き留めていくので、空間に存在する物体として概念化される。

 文頭first position, 文がlongだ、shortだと、これらは空間による概念化の例である。文の形態と内容は、「概念体系のなかの全体に通用するgeneralメタファーに基づいて、直截に結びつく」。

「文の意味の一部はその文の形態によってまさしく決定される」。

 言語表現が容器であるとすれば、容器の「内容」が表現の意味である。容器が大きいほど内容も大きい、というメタファーがある……「形態が増せば内容も増す」。例えば、He ran and ran and ran and ran. これはHe ranよりも多くのことを表している。こうした音節や語そのものの反復を、「重複形reduplication」というが、世界の言語でこの重複形はすべて、「形態・内容の増加」を表す。

 その例――名詞を重複させて、単数を複数に、もしくは集合的な名詞に変える。動詞を重複させて、継続または完了をあらわす。形容詞を重複させて、強調や増大をあらわす。小さなものをあらわす語を重複させて、縮小をあらわす。

 つぎに、近接は影響力の強さをあらわすことについて。たとえば「ホメイニに近い人物close to kHomeini」とは、ホメイニに強い影響力をもつ人物という意味である。また、これは形態の面でも適用される……John will not leave toという文におけるnotは、もっとも近いleaveを修飾する。not happyよりもnotの融合したunhappyのほうが、否定の意味は強まる。

 語が遠くなればなるほど、影響力は間接的になる。Harry killed samはHarry brought it about that Sam diedになることで、因果関係が弱まる。

 このふたつはどちらも「形態上の差異が意味上の微妙な差異をあらわしている」例である。

 自己中心の方向付け……英語圏の人間は、自分をup, front, active, good,であるとみなす傾向がある。hereここに、now今存在する、ととらえる。これが「自己中心の方向付けMe-first orientation」である。その基準である自分に近い言葉が最初に来るので、down and upではなくup and downというのが普通である。

 Nearest is firstというメタファーが、形態にも意味にも適用される例。The first person on Bill's left is Samは、The person who is on Bill's left and nearest to him is Sam. と同じ意味である。近いものが、いちばん最初である。ビルの左側の最初、とは、ビルの左側の一番近い人間、ということである。

 メタファーによる文法上の一貫性……英語には道具を友達とみなすメタファーがあるが、これと連動して、withにも人を付随させるとともに道具を用いてという意味がある。道具が友達であるというのは、ほぼ全人類に普遍的な経験だから、この文法の一貫性は多くの言語に見られる。

 同じように、時間が空間のメタファーによって概念化されているから、in, atは空間だけでなく時間を表現するときにも使われるのだ。

「言語の形態と意味の対応関係が恣意的なものではなく、「論理的」なものであることを示している」。

 ――言い替え(パラフレーズ)というのは可能であろうか。二つの異なった文が正確に同じことをあらわすことがあり得るだろうか。

 

 21 メタファーが創る新しい意味

 22 メタファーが創る新たな類似性

 常套的メタファーはたとえばIdea is foodのようにふだん使われるものだが、新しいメタファーはその概念にあらたな側面を付け加える。そしてある面を軽視し、ある面は隠す。

 例えば、われわれは問題をパズルのように考える。これは解くことができるという思考にわれわれを導く。だが、と彼が例にあげる、Problem is solution問題は溶解である、とすると、問題の捉え方はまったく違うものになる。問題は、試験管のなかにある沈殿物であり、これを溶解させることで一時的には液体になる。だが、時間がたつと、ふたたび凝固して固体になってしまうのだ。こうしてわれわれは、問題は必ずしも永久解決できるものではないと考え、一時的な解決(つまり溶解)をつづけていくことが、正しいことなのだと感じるようになるのだ。

 「メタファーに基づいてわれわれが経験を理解しはじめる時、メタファーは新たな現実を創り出す」。

 ――文化上の多くの変化は、メタファーから成る新しい概念を導入し、古いそれを捨て去ることによってもたらされるのである。たとえば、世界の諸文化が西欧化したのは、ひとつには、「時は金なり」というメタファーを自国の文化の中に取り入れたことによって生じたのである。

 概念体系が変わればわれわれの現実は変わるのである。そして新しい認識に基づいて行動や思考も変化するのだ。それぞれの文化にはそれぞれの概念体系があり、それは地理的条件などが影響している。われわれの現実とは、社会的現実とそこから生まれた概念体系によってつくられる。

 われわれはメタファーを用いることによって、時間と労働のあいだに類似性を見出すことができた。経験によって得たメタファーが、類似性を生み出す。われわれは物事を経験することで理解するから、この類似性は(たとえばIdeaとFoodの)経験的なものであって(experiential)、客観的なもの(objective)ではない。

 メタファーと概念は相互関係で成り立っていて、more is upのように経験が同時に起こるものと、life is gambling gameのように、類似的経験が起こるものとがある。

 

レトリックと人生

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