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現代中国は社会主義、途上国、伝統中国という三つの側面から成り立つ。伝統中国とは皇帝と巨大な官僚機構からなる体制をさす。この三つが混合した複雑な国家を分析するために、本書ではとくに共産国比較研究、近代化研究、歴史研究のアプローチを用いる。さらに将来の展望のために民主化論、体制移行研究を援用する。
現代中国は大別して毛沢東時代と鄧小平時代に分けられる。より細かく分類すると、四九~五三までの新民主主義期、続いて反右派闘争期、文化大革命期、改革開放期などに分けられる。
四九年から五三年までは資本家や諸党派も並存する権力の分散期がつづく。五四年の第一回全人代で毛沢東が社会主義への移行を強硬に主張し、集団農業化、資本家の追放がはじまる。このとき新民主主義を継続すべきと主張した劉少奇はのちに文化大革命で非難される。
全国人民代表大会は国家の最高機関であり、任期四年、選挙によって選ばれるが、実質は党の決定を追認するだけである。全人代の休会中は常務委員会が代行する。国家主席は国家元首にあたる。劉少奇追放時にしばらく空席が続き、八二年に復活したが軍の統帥権が削られるなど権限は大幅に減った。国務院は行政機関にあたる。周恩来は死ぬまで国務院総理を務めていた。
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五六年党大会で主席=毛沢東、副主席=劉少奇・周恩来・朱徳・陳雲、総書記=鄧小平(以上が中央政治局常務委員)という指導部が決定された。「上からの自由化」(百花斉放・百家争鳴)で自由な批判を許す指示が出たが、五七年の反右派闘争により突如終わる。党への批判に気分を害した毛沢東は彼らを右派として追放する。この際失職し、農村へ労働改造に送られたものは53万人を超えた。のち50万人は冤罪であるとして名誉回復を受けた。つづいて大躍進運動がはじまり、経済の失策、極度の中央集権化が進む。六六年から、毛沢東の指揮で文化大革命がおこり、国は内乱状態に陥る。この過程で解放軍が権力を握る。紅衛兵を見捨てた毛が最終的に頼ったのが軍だったからである。
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一九七〇年代半ばは、「四人組」と周恩来・鄧小平とのあいだで熾烈な闘争がおこなわれた。七六年、毛の死によって四人組は滅亡し、毛の忠実な部下華国鋒がリーダーとなる。毛への盲従に反対したのが鄧小平と彼のブレインである胡耀邦、阮銘である。
天安門事件は大衆運動に対する過剰反応であり、武力鎮圧せねばならないほど中央の権力が衰退していたことを示している。この事件後も鄧小平は改革開放を推進した。彼は最終的にみなが豊かになるなら市場経済も計画経済もどちらもありだとコメントした(南巡談話)。
九二年、江沢民・朱ヨウ基による第三世代体制が確立した。江沢民時代に中国経済は大成長を遂げた。また共産党が階級政党でなく国民政党となり、私営企業主の入党も認められるようになった。枠内での異論もある程度認められるようにはなったが、中国民主党や法輪功は弾圧された。中央を悩ませたのは三農問題(農民・農村・農業)であり、相次ぐ農民騒動や税不足をどうするかが今後を左右する。
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中国の政治アクターは国家・党・軍隊である。
中国では三権分立論ではなく議行合一を採用している。これはレーニンが三権分立をブルジョワ向けと非難し、人民の議会がそのまま行政をおこなえばいいと考えたためである。選挙制度は形式的である。中国の現状から民主国家のような普通選挙は不適切との意見が多数だったが、近年では批判もある。他の共産国と異なり、中国は、名目だけとはいえ(有職無権)、非共産党勢力とも協商路線・統一戦線をつくってきた。
中国の国家意識は伝統中国の大一統をひきずっており、大きな統一をよしとする。民族紛争はたびたびおこっているが、主な要因には独立運動、漢民族との対立、資源ナショナリズム、経済格差からの不満、民族同士の慣習不和などがある。改革開放以来民族紛争の原因は複雑化している。
中国は実質はゆるい集権制度である。これは清の時代からそうだという坂野正高の説もある。鄧小平は既に、台湾が中国に統合された場合、台湾の政治経済制度、軍隊、自治には干渉しないと言及していた。この方針は香港返還の際にも用いられた。
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党が相対的な地位をもつと決定されたのは八二年憲法においてであり、それまで、とくに文革期は党が国家の中枢だった。かつて農民党だった共産党は近年高学歴の割合を高めており、エリートはほとんど加入するという状態になっている。
現在「党は、先進的生産力の発展、先進文化の前進、もっとも広範な人民大衆の根本的利益の三つを代表する」とされている(三つの代表論)。これは2002年の党大会で江沢民報告からきている。
党グループは党のなかの小組であり、これが間接的に国家機関を管理する。党の対口部は直接的に国家機関に関与する。「現代中国では党と国家、行政、司法の関係はまったくといっていいほど機能分化していない」。
また党は一定以上の国家機関幹部の名簿をもち、人事権を用いて彼らを管理する。これはソ連のノーメンクラトゥーラ制度に基づいたものである。
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――中国の武装力は、人民解放軍、公安部隊および警察であり、「人民に所属する力」として出発し、独立と領土主権の保守、革命の成果と人民の合法的権益の保守がその任務であった。
解放軍の任務は「戦闘、防衛に限られず、生産活動、政治活動も本来の任務にしてきた」。解放軍は党の軍隊であり、「党が鉄砲を管理する」が中国流文民統制である。
文革期には林彪の台頭などで政治の軍事化、経済の軍事化が進み、軍事独裁が起こるかと危ぶまれたが、林彪失脚などでこれは防がれた。
党の中央軍事委員会が、軍に関する決定権をもつ。解放軍が「武装した党」であることが、ソ連との大きな違いである。
「旧ソ連では、軍が党と分離してひとつの職能集団を形成し、党とではなく、経済官僚制と結びつくことによって「軍産複合体」を作りだし、頑強な現状維持勢力としてペレストロイカに抵抗したことは記憶に新しい」。
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中国においてトップリーダーの影響が大きいことには理由がある。第一に中国は制度、組織、法が欠如しており、集団指導体制が存在しない。第二に、リーダー集団、大衆それぞれに個人独裁を受け入れる素地がある(人治思想)。また、社会主義そのものの一元的支配体制もトップリーダーの基盤となっている。
著者はトップリーダーの型を、毛沢東型リーダーシップと鄧小平型リーダーシップとに分類する。毛沢東はもともと党の非主流派だったが、内戦によって指導者に登りつめた。彼は自身のカリスマ性をもとに「すべて」を掌握しようとし、皇帝となった。
鄧小平は毛とは異なる。鄧小平の正統性は、革命第一世代であること、三度失脚しながら返り咲いたキャリア、現実主義・実利主義の三つである。彼の勢力基盤はバランサーとしての党内の位置、テクノクラート、安定と豊かさを求める国民である。
比較政治学の観点から見ると、毛時代は全体主義体制の特徴を完全に備えており、鄧小平時代はイデオロギーのあいまいな権威主義体制といえる。
江沢民時代は前二者とはまた異なる。鄧小平時代の八老のようなリーダー集団は存在せず、政策形成は官僚主導である。著者いわく、ポスト鄧小平時代を端的に言うと脱イデオロギーの通常の開発体制(東南アジアに特有の)である。
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共産党の政策は、要所要所でソ連・東欧の動向の影響を受けている。
読んだ当時(2006)から改訂されているようです。