本書の目的:1982年から2004年にかけての、ペレストロイカ、ソ連崩壊、プーチン政権誕生までを説明し、情報機関KGB=FSBが国家権力を掌握していった過程を明らかにする。
◆所見
フランスから見たプーチン・ロシアのイメージの1つ。
KGBが単なる情報機関ではなく、国家の隅々にまで根を張った特殊組織であり、財閥、マフィアと一体化している事態を明らかにする本。
本書で描かれるKGBは、親衛隊のような巨大な組織であり、またロシアは民主主義、人権、自由の概念が存在しない土地である。
言及されているジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤや、亡命者リトビネンコは実際に殺害されている。さらに他の本も読んで、ロシアがどのような国家であるかを調べる必要がある。
最終章では、フランス社会に入りこむKGBロシア工作員について警告を発している。その様子が、「工作員に囲まれている」という被害妄想そっくりなので笑ってしまう。しかし、いくつかの工作員事例は実際に明らかになっているのが恐ろしい。
なぜプーチンは日本でも人気があるのか。
・強いリーダー像
・過激な発言……暴言、放言の多い指導者はいつでも人気
・KGBやスパイ映画・小説へのあこがれ
・国営メディアの報じるプーチン武勇伝(飛行機操縦、柔道、熊退治)を素直に受け入れる
1
1950年代以降、ソ連の汚職と腐敗が進んだ。ノメンクラトゥーラ(共産主義エリート、共産貴族)とマフィアが一体化し、計画経済の裏で闇の経済を動かし、国民の富を略奪した。
KGB出身のアンドロポフは、ソ連の内部崩壊を把握していたため、汚職追及により共産党を浄化しようと試みた。かれは、あくまで厳格な管理によって現状を修正していこうと考えていた。
ゴルバチョフはアンドロポフらKGBの指令を受けて国家元首となった。
ペレストロイカは、腐敗組織となった共産党を排除し、KGBによる管理を強化しようとする試みだった。ペレストロイカは、ゴルバチョフが書記となる3年前に、KGBによって定められていた方針である。
ソ連のプロパガンダとは異なり、ゴルバチョフは実際にはマルクス・レーニン主義者であり、ソ連体制を保守しようとしていた。
1991年のクーデタは、ゴルバチョフ、エリツィン、保守派による芝居であった可能性が高い。
ゴルバチョフの評価はロシアでは限りなく低い。
何の作戦もないまま政治の自由化を始めたため、国家そのものがKGBとマフィアに牛耳られたからである。
2
エリツィン大統領とガイダル首相による急激な自由化政策は次のように形容される。
――普通の市民がどうにかして超インフレの中を生き延びようとしている中、旧来の指導階級は「民主主義者」に急変して、「人民の財産」を山分けし始めた。臆面のない彼らのほとんどは、自分たちの意図を隠そうともしない。国の莫大な天然資源を私有化し、海外に向けて大量の資本と物資の流出を企てるのである。ロシア国家が完全に疲弊してしまうかもしれないというのにだ。
政府は少数の資本家を育成しようとした。こうして国家資産を私有化する新興財閥(オリガルヒ)が出現した。
――エリツィン時代には、新体制に順応するように見えていたKGBは、ソ連時代以上に強力になった。……エリツィンから実権を奪い取った元KGBが密かに国を治めているのだ。
地方議員や連邦議会の大半が、身分を偽ったKGB将校で占められるようになった。
・1991年 守旧派クーデタ
・1993年 10月政変 ルツコイ、ハズブラドフらの議会クーデタ
・1999年 エリツィン辞任
3
ソ連解体後の独立紛争を先導したのは軍・KGBだった。ロシア軍と現地の武装勢力は武器や村(占領地)を売買した。ロシア軍は武器庫を自分たちの武器庫を略奪させることで報酬をもらい、足りなくなった武器は中央から支給させた。
チェチェン紛争もまた、チェチェン人の伝統的な独立意識を利用した、ドゥダーエフらチェチェンマフィアとロシアンマフィアとの抗争だったという。
チェチェンには石油の製油所があり、この権益をめぐって双方が争っていた。さらに、戦争によって蓄財できる者がチェチェンにも政府中枢にも多数存在する。
[つづく]