『中国の旅、食もまた楽し』につづく邱永漢の料理本。
――進化とは、違った角度から見れば退化のことだから、これは無理からぬことかもしれない。ちょうど自動車が普及すれば足は退化するように、自分で料理する必要がなくなれば、舌も退化する。アメリカ人がその先端を切っているが、日本人もやがてそのあとを追うことになろう。だが、そうなっても無形文化財に声援を送るのが文明国の美風良俗であることに変わりはないだろう。
料理職人のレベルが上がっているのに比べ、ジャンク・フードで育った、何をたべてもおいしい味オンチは増えている。
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国民党が敗れて台湾に逃げた際、地方の軍閥も蒋介石についてわらわらとやってきた。中国人は料理にこだわるので、かれらはみな自分の屋敷のコックをつれてきた。ところが民国政府に用いられない軍人たちは貧しくなり、コックは路頭に迷って屋台を出すしかなくなった。こうした屋台が一時期台湾を風靡し、中国全土の名品料理がなんでも食べられるという状態になった。
台湾が高所得の国になり、アメリカ料理を輸入するにつれて、こうした出自のわかる中華料理はすがたをけした。
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自分の料理にたいする無知に唖然とするだけでなく、自分のような料理、食事をなめた人間は料理のことをいう資格さえないのだということを痛感する。自分のまったく知らない世界のことを延々と語っているように感じられる。
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著者によれば中国も日本に負けず劣らず文化を輸入してきた国だという。そもそも、純粋培養の文化というものはほとんどないはずだ。
考えるきっかけはいくらでもでてくる。食をおろそかにしているといつか奇襲をくらうことになる。