うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『千日の旅』石上玄一郎

 石上玄一郎(いしがみ げんいちろう)(1910-2009)は札幌出身、東北で育った小説家である。

 この人物を知ったのは、田中清玄が自伝のなかで、かれが尊敬すべき中学の同級生である、と言及していたからである。

 作品のほとんどは、仏教的な世界観の影響を受けているが、総じて平坦である。わたしには合わなかった。


 「針」

 餌差という職業は、武家の所有する鷹のために、小鳥を生け捕りにし餌として提供する。餌差は針を口で吹き小鳥を仕留める。

 餌差の祖先をもつ娘が、死んだ小鳥と針の因果に悩まされて放浪する話。

 娘は山里にやってくる座頭から浄瑠璃を教わるが、娘の父、座頭たちは皆、針にまつわる不幸に見舞われる。娘も家出し、浄瑠璃を語りながら諸国をさまよう。

 浄瑠璃本の発掘のために実家に戻ってくると、かつて不倫女だった母親はしわしわの骸骨婆になっており、村もますますさびれていた。

 いわく、「この世の一切は神と申しますか仏と申しますか、そういうおおいなるものの語るひとくだりの浄瑠璃なのででもございましょう。……世上の治乱興亡はともかくといたしまして、人の世のまことの姿はつまるところいまも昔もさして変わりがないのではございますまいか」。

 山間のさびれた集落の生活や、旅芸人らの生態、人びとの噂話や下品な話など、生々しい世界が印象に残る。

 

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 「絵姿」

 絵姿に描かれた白拍子の女を探して、男が旅をする物語。

 男は豪族の家に生まれたが、労働者に対する過酷な仕打ちに嫌気がさして流浪の人物となる。

 行く先々で男は様々な怪異を見聞する。災害のときに人を切り捨てた者は幻にさいなまれ、また恋人を捨てた男は、日夜、女の屍体に襲われる。

 

 「鍵」、「針」ともに、主人公は俗世の身分のまま旅人となり、諸行無常の世間を観察する。うつろうこの世において不変のものは、この話では「観音の姿」である。

 

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 「鰓裂(さいれつ)」

 表題の意味は、エラの穴、または脊椎動物の発生途中に生まれる咽頭の穴のこと。

 田舎での日常生活の中に、ふと怪異が現れる様子を断片的に書く。しかし、その怪異がどこかで聞いたような妖怪、幽霊の類で、あまり驚きはない。

 

 「氷河期」

 中国戦線で俘虜となり、人間の世の無常さを悟った男の話。かれは戦死扱いをうけ、「生きている英霊」となって復員するが、かつての生活に戻ることができなかった。

 問題の人物の手記が冗長である。

 

 「蓮花照応」

 主人公の幼少期から戦後にかけての思い出と、蓮華の幻を見る老人の話。

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千日の旅―石上玄一郎アンソロジー

千日の旅―石上玄一郎アンソロジー

 

 



『陸軍登戸研究所の真実』伴繁雄 その2

 植物、作物に対する病原菌兵器の開発が行われ、大陸で実験された。しかし結果は不明確である。

 風船爆弾に牛の病原菌兵器を搭載し米本土を攻撃する計画もあったが、中止になった。

 

 電波兵器(1科)

 怪力光線、殺人光線ともいわれる「く」号は、怪力電波によって兵器に損耗を与え敵兵を殺傷する決戦兵器として開発されていたが結局実用されなかった。

 その他、探知レーダー(「ち」号)の開発も進められたが、欧米に大きく後れをとった。

 陸軍の電波兵器開発には、八木アンテナ八木秀次理研仁科芳雄、NHKの高柳健次郎ら優秀な部外者が顧問に就いていた。

 

 ――研究のスタートは同じ、周辺技術も大差はなかったと思われるが、日本は方式の採用と周波数の選定を誤ってしまった。

 

 風船爆弾(1科)

 風船爆弾による米本土攻撃である「ふ」号作戦は、昭和19年に開始された。この年は戦艦武蔵が沈没し、また第1航空艦隊司令長官大西中将の命により神風特別攻撃隊が活動を開始していた。

 こんにゃく製の気球を用いた爆弾を米大陸まで8000kmかけて飛ばすのは困難だったという。

 「ふ」号作戦のための部隊は約3大隊規模であり、本部、通信隊、気象隊、材料廠、試射隊、標定隊からなる。

 以下、参謀総長による攻撃準備命令及び攻撃命令の引用。

 

 ――気球聯隊ハ主力ヲ以テ大津、勿来付近ニ一部ヲ以テ一宮、岩沼、茂原及ビ古間木付近ニ陣地ヲ占領シ概ネ十月末迄ニ攻撃準備ヲ完了スベシ

 ――米国内部攪乱ノ目的ヲ以テ米国本土ニ対シ特殊攻撃ヲ実施セントス

 

 対支経済謀略としての贋札工作(3科)

 国民政府の通貨「法幣」を偽造することで経済を破壊し、また現地の調達に寄与することが目的だった。工作は有効だったが、一方で国民政府はこの贋札を逆用しインフレ防止に役立たせたという。

 

 ――戦後、しばらくの間、チ―三七号事件など千円札の偽造事件やパスポート、身分証明書等の偽造事件が起きると、製造が登戸研究所の元所員ではないかと疑いをかけられ、マスコミでもたびたび捜査の対象としてとりざたされたことがあった。

 

 研究所では度々爆発事故やガス、劇薬等による事故が起こり、所員や軍人が焼け死んだり粉々になったりしたという。

 

 3 秘密戦の実相

 著者は秘密戦の器材送達や教育のため、前線へ出張している。

 関東軍情報部(ハルビン機関)は主に対ソ情報収集を任務としていたが、ソ連の防諜態勢は強固であり浸透は困難だった。南方軍参加のF機関(藤原機関)はインド独立工作のためインド人と交渉していた。

 その他、蘭領インドネシア、フィリピン等で、中野学校出身者を中心に秘密戦活動が行われていた。

 昭和18年、ガダルカナル島撤退や山本五十六の墜落死等戦況が悪化してくると、中野学校は従来の諜報工作から遊撃戦要員の養成に重点を移した。

 敗戦直前に研究所は各科ごと地方に疎開し、降伏後恒例の証拠隠滅作業が行われた。

 

  ***

 731部隊は有名だが、他に動物家畜用生物兵器研究を任務とする100部隊というのもあったようだ。

 

陸軍登戸研究所の真実

陸軍登戸研究所の真実

 

 

『陸軍登戸研究所の真実』伴繁雄 その1

 陸軍登戸研究所川崎市生田に1939年設立された陸軍所管の研究機関であり、陸軍中野学校関東軍情報部、特務機関等と連携して、生物化学兵器、電波兵器、風船爆弾、中国紙幣の偽札など様々な謀略戦兵器を開発した。

 本書は創設から研究所及び中野学校等関連機関に携わってきた職員による記録である。

 映画や漫画のようなスパイ道具や、奇怪な新兵器開発の一端を知ることができる。また、BC兵器開発の分野で、研究所が戦争犯罪に関係していたことも推察される。

  ***

 1 秘密戦の組織と構造

 総力戦時代に備え、秘密戦のための研究機関が創設されたのは大正8年である。科学研究所の出張所である登戸研究所は秘密戦のための器材開発機関として運営された。

 初代所長である篠田大尉(後中将)は、地道な文献収集と想像力、発想を重視し、インテリジェンスを磨くよう方針を定めた。

 登戸研究所の秘密戦器材研究は翻訳スパイ小説や映画を参考に始められ、やがて諜報、防諜、謀略、宣伝の4つの器材に大別された。

 主要研究項目は以下のとおり。

 

・郵信諜報資材(秘密インキ)

・万能発見法

・特殊秘密通信用具

・書信及び梱包検閲法

・変装及び扮装用具

・尾行者探知用具

・秘密覗見法

・鑑別鏡及び窃話及び録音法

・逮捕器材

・防弾具

・訊問器材(嘘発見器)

・防盗用具

・軍用犬の運用及び番犬防避法

・放火資材

・爆破及び殺傷資材

・特殊信管

・小型写真機

・特殊写真機

・複写装置

・毒物

指紋押捺及び採取用器材

・現場検証器材

・理科学鑑識器材

・法医鑑識器材

・金属探知

・各種銃器とその弾丸

・不法無線探査器材

・捜査及び鑑識用自動車

 

 その他、陸軍第9研究所(登戸研究所)組織図を見ると、「殺人光線」、「人口雷」、「え号剤」、「対動物・植物謀略兵器」等、怪しげな文言が記載されている。

 陸軍中野学校は昭和14年「後方勤務要員養成所」として設立され、秘密戦、遊撃戦要員の養成が行われた。

 群馬県の富岡校舎、静岡県の二俣分校はもっぱら遊撃戦要員予備役士官の教育を目的とした。

 遊撃戦のための道具は、見たところ忍者アイテムそのものである。

 

 2 登戸研究所各科の研究内容と成果

 諜報器材……秘密インキ、赤外線写真撮影、

 防諜器材……憲兵隊等の養成により、科学捜査器材等の研究を行った。

 謀略器材……爆破、殺傷、焼夷等。

 対生物兵器……「人体実験のため南京に出張」の項について。

 昭和16年、2科長以下7名で南京に向かい、参謀本部にて関東軍防疫給水部(のち満州731部隊)の石井四郎部隊長と接触した。

 

 ――実験対象者は中国軍捕虜または、一般死刑囚15、6名とされた。

 ――……実験の結果は、予想していた通りで、青酸ニトリールと青酸カリは、服用後死亡に至るまで大体同様の経過と解剖所見が得られた。また、注射が最も良く効果を現し、これは皮下注射でよかったことも分かった。

 ――捕虜・死刑囚に対して行われたとはいえ、非人道的な悲惨な人体実験が行われたのである。戦争の暗黒面としてこれまで闇の中に葬り去られてきたが、いまこのいまわしい事実を明らかにしたいと書き綴った。いまは、歴史の空白を埋め、実験の対象となった人びとの冥福を祈り、平和を心から願う気持ちである。

[つづく]

 

陸軍登戸研究所の真実

陸軍登戸研究所の真実

 

 

『貧しき女』レオン・ブロワ

 レオン・ブロワ(Leon Bloy)(1846-1917)はフランスの小説家・エッセイストで、同時代のユーゴーモーパッサン、ゾラなどを敵とみなして攻撃していたことで有名である。

 敬虔なカトリック作家といわれるが、慈悲深い説教のようなイメージを期待するとその差におどろく。

 

 ごてごてと飾り付けられた濃度の高い訳文が特徴のブロワの本。すべての出来事や人物は宗教との関連において表現される。

 この本の語り手にとって、近代は腐敗した時代である。かれが理想とするのは、中世である。中世に対する極端な憧れが全編にわたって噴出している。

 

 

  ***

 平凡なあらすじ:

 1 無頼漢のシャピュイは、娘を連れたマルシャレ未亡人と同棲していた。

 2 未亡人の娘、クロチルドは、貧しくみじめな家で育ち、生活費を稼ぐために画家のモデルをすることになった。

 3 画家のガクニョルはクロチルドにまともな服装を買い与え、寄宿生に住まわせる。クロチルドはみじめな生活から救われたと感じ、ガクニョルや作家のマルシュノワール、レオポールらと親交を深める。

 4 ところが、無頼漢シャピュイは画家のガクニョルを刺殺し捕まった。クロチルドは、レオポールと結婚した。間もなく貧しさに苦しめられ、生まれた子供は悪臭の中で死んだ。残った2人は転居し、さらに貧しい生活を強いられる。

 5 クロチルドとレオポールは貧困の中で暮らす。最後、レオポールは火事の中から人びとを助け出し焼け死ぬ。

 

  ***

 キリスト教徒への迫害は、貧しさと悪臭、不潔という形をともなってやってくる。

 

 ――過酷な貧しさによって殺害されたかれは、その数か月前に死んだレオポールの子供と同じ墓地に葬られた。いともつつましい2つの墓は、さほど遠からぬところにあった。そこに憩う死者たちのきびしい眠りは、新たに眠りについた者を運ぶ人びとの足音によって、乱されはしなかった。おお、否、1匹のはえがかれらにつきまとっていた。しかしかれらは心から泣いた。

 

 ――まず、この忌まわしい家、恐怖と悪臭の小屋のことがあった。かれらは、すぐにそこから脱出することができず、お金がないために、ここで悪臭のなかの服喪という過酷な状態を強制されたのである。……その悪魔的な恐怖を想像していただきたい。葬儀人夫が子供を棺に納めようとしたとき、クロチルドは、神の涙をもってしても蘇生させえないラザル坊やに最後の口づけをしようとした。しかし、かれを死にいたらしめた厭わしい気体がかわいい顔のまわりに立ちこめていて、かの女は息が詰まりそうになった。

 

 ――キリスト教徒、貧しい真のキリスト教徒がもっとも無防備な存在であることは、疑いえぬ事実である。偶像礼拝の権利も意志ももたないとき、かれは何をなしえるであろうか?

 

 中世が終わり、卑しい近代が訪れたことについて。

 

 ――中世の数千年は、あなたの保護の聖人クロチルドから、愛徳の熱情を棺のなかまで運んだクリストファー・コロンブスに至る、偉大なキリスト教的服喪の期間でした。

 

 ――ルッターという無頼漢は、都合のいいことに、北方的乞食根性の族長たちによって期待されていたのです。……北ヨーロッパは、母なる教会を急いで忘れようとして、この猪の子の糞のなかに入りました。やがて400年にもなるこうした動きと、さきほど正しく定義したドイツ哲学が、プロテスタンティズムの落とした、もっともみごとなうんこです。それは検証の精神と呼ばれていて、梅毒のように生まれるまえに伝染するのです。だから、それはわが国民的天才の直観に完全に優る、などと書く、肥溜めの下で生まれた下劣なフランス人がいるんですよ。

 

 ――「中世とは、神の再臨の日までもう見ることができないような、巨大な教会――西洋全体と同じくらい広大な、サバオの十戒を思わせる、千年の法悦のうえに建立された祈りの場です! そこでは全世界が、賛美または恐怖のうちにひざまずいていました。神を冒涜する者すら、また残虐な人びともひざまずいていました」。

 

 中世を理想とする、そもそも全く共感できない狂信に基づいた強烈な非難が続く。

 信仰が、このような罵詈雑言と不潔きわまる文体を生み出すという落差がおもしろい。著者の中世信仰が正しいかどうかは関係ない。問題は、貧しい人びとの話をこのように装飾する表現がすぐれているかどうかである。

 

  ***

 ――かの女は病気になり、死に瀕した。近所の人びとの喜びはたいへんなもので、それは古代の勝利のプログラムのように展開された。野蛮な喧噪、人喰い鬼の声が夜じゅう聞かれた。奇怪な言葉、悪魔的な笑い声は壁を貫き、不幸な女を……。

 

貧しき女―現代の挿話

貧しき女―現代の挿話

 

 

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