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『陸軍登戸研究所の真実』伴繁雄 その1

 陸軍登戸研究所川崎市生田に1939年設立された陸軍所管の研究機関であり、陸軍中野学校関東軍情報部、特務機関等と連携して、生物化学兵器、電波兵器、風船爆弾、中国紙幣の偽札など様々な謀略戦兵器を開発した。

 本書は創設から研究所及び中野学校等関連機関に携わってきた職員による記録である。

 映画や漫画のようなスパイ道具や、奇怪な新兵器開発の一端を知ることができる。また、BC兵器開発の分野で、研究所が戦争犯罪に関係していたことも推察される。

  ***

 1 秘密戦の組織と構造

 総力戦時代に備え、秘密戦のための研究機関が創設されたのは大正8年である。科学研究所の出張所である登戸研究所は秘密戦のための器材開発機関として運営された。

 初代所長である篠田大尉(後中将)は、地道な文献収集と想像力、発想を重視し、インテリジェンスを磨くよう方針を定めた。

 登戸研究所の秘密戦器材研究は翻訳スパイ小説や映画を参考に始められ、やがて諜報、防諜、謀略、宣伝の4つの器材に大別された。

 主要研究項目は以下のとおり。

 

・郵信諜報資材(秘密インキ)

・万能発見法

・特殊秘密通信用具

・書信及び梱包検閲法

・変装及び扮装用具

・尾行者探知用具

・秘密覗見法

・鑑別鏡及び窃話及び録音法

・逮捕器材

・防弾具

・訊問器材(嘘発見器)

・防盗用具

・軍用犬の運用及び番犬防避法

・放火資材

・爆破及び殺傷資材

・特殊信管

・小型写真機

・特殊写真機

・複写装置

・毒物

指紋押捺及び採取用器材

・現場検証器材

・理科学鑑識器材

・法医鑑識器材

・金属探知

・各種銃器とその弾丸

・不法無線探査器材

・捜査及び鑑識用自動車

 

 その他、陸軍第9研究所(登戸研究所)組織図を見ると、「殺人光線」、「人口雷」、「え号剤」、「対動物・植物謀略兵器」等、怪しげな文言が記載されている。

 陸軍中野学校は昭和14年「後方勤務要員養成所」として設立され、秘密戦、遊撃戦要員の養成が行われた。

 群馬県の富岡校舎、静岡県の二俣分校はもっぱら遊撃戦要員予備役士官の教育を目的とした。

 遊撃戦のための道具は、見たところ忍者アイテムそのものである。

 

 2 登戸研究所各科の研究内容と成果

 諜報器材……秘密インキ、赤外線写真撮影、

 防諜器材……憲兵隊等の養成により、科学捜査器材等の研究を行った。

 謀略器材……爆破、殺傷、焼夷等。

 対生物兵器……「人体実験のため南京に出張」の項について。

 昭和16年、2科長以下7名で南京に向かい、参謀本部にて関東軍防疫給水部(のち満州731部隊)の石井四郎部隊長と接触した。

 

 ――実験対象者は中国軍捕虜または、一般死刑囚15、6名とされた。

 ――……実験の結果は、予想していた通りで、青酸ニトリールと青酸カリは、服用後死亡に至るまで大体同様の経過と解剖所見が得られた。また、注射が最も良く効果を現し、これは皮下注射でよかったことも分かった。

 ――捕虜・死刑囚に対して行われたとはいえ、非人道的な悲惨な人体実験が行われたのである。戦争の暗黒面としてこれまで闇の中に葬り去られてきたが、いまこのいまわしい事実を明らかにしたいと書き綴った。いまは、歴史の空白を埋め、実験の対象となった人びとの冥福を祈り、平和を心から願う気持ちである。

[つづく]

 

陸軍登戸研究所の真実

陸軍登戸研究所の真実