◆昔の話
『日本残酷物語』では、今よりはるかに苛酷、理不尽な社会が描かれている。それを徐々に改善することができたのは、人びとが声をあげ問題を提起したからである。
1933年、および戦後の1954年の裁判では、部落出身の素性を隠して女性と交際した男が起訴され有罪となった。
このときの裁判官は、「特殊部落民でありながら自己の身分をことさらに秘し、甘言策謀を用いて彼女を誘惑したるもの」、「被告人方が……世人よりひそかに蔑称され、一般社会との交際疎遠である所謂特殊部落内の一家であるとの観念のもとに……」という事実を認めた。
――法にもとづいて世人の偏見を正さねばならぬはずの裁判官が、あべこべに世人の差別を法律的に認めようとしている。これでは世人の偏見が容易になくならないのも当然といわねばならない。
1865年、開国にともないやってきたフランスの宣教師2名が長崎の大浦に天主堂を建てたところ、信徒たちがあらわれた。カトリックではこれを「キリシタンの復活」と呼ぶ。
その後、浦上のきりしたんたちが表立って仏寺に反抗したため、奉行、手付(被差別部落民)、町司、遊撃隊ら170名が浦上を襲撃した。
――キリシタン襲撃にたくさんの部落民が利用されていることは注目される。このときの記憶が生々しくかたりつたえられ、浦上付近のキリシタンの一部には、いまも部落民をはげしく憎悪するものがある。キリシタンと部落民。かれらはともにおなじ支配者から迫害を受け、世間の人びとから偏見でみられ、おなじように貧しさにあえぎながら、かえって迫害と貧しさの記憶によって相互の憎しみをきざみこまれたのである。
◆ラシャメンの話
『日本残酷物語4』には、人びとから忌み嫌われていた外国人用娼婦や、混血児の話が収録されている。非常に暗い話である。
外国人と付き合う女はラシャメンと呼ばれた。ラシャとは羊であり、イギリス人が船に羊を持ち込んで犯すという風習から来たという説がある。
外国人専門売春婦が増大したが、齢をとったものは用がなくなったため、中国人商人によって異国にまとめて売られていった。
混血児は忌み嫌われ捨てられた。堕胎や性病によって死ぬ「ラシャメン」が多く生まれた。
また、ある4人の混血児は橋の建設の際、人柱として生き埋めにされたという。
◆幕末の危ない街並み
幕末から大政奉還にかけて、江戸は戦争と武士の没落で治安が悪化したようだ。
江戸では、試し切りをするために夜徘徊する武士たちがおり、因縁をつけられると斬殺された。
『残酷物語4』では、落ちぶれた武士たちの殺し合いに関する話がある。
没落した旗本の中には犯罪者になった者もいた。
――剣術のできるもので、強盗殺人を働くものもかなりいた。切ってやる、殺してやる、という腹立ちまぎれなニヒルな気持ちから出発して、それで天朝に逆らい、幕府の旧恩にこたえているような自己満足も感じていた。
かれらはしばしば、同じ武士出身の巡査と戦闘し、夜明けには屍体が転がっていた。
沼津兵学校は、明治元年(1868年)に徳川家が開設したフランス式軍隊教育学校である。旗本御家人のレベルの低いものがいた半面、後の陸軍将官となる者も在籍した。
まともな学問・技量のない旗本を見て教官たちは「これだから徳川は亡んだのだ」と笑ったという。
◆ほかに読みたいもの……
その他、今年中に読む予定の本について。
- 作者: イザベラバード,Isabella L. Bird,高梨健吉
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2000/02/15
- メディア: 文庫
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◆最近の暇つぶし
無職戦闘員はひまをもてあましているので、インターネットで公開されている行政文書を読んでいる。
以下の本は、現在は政府の公文書サイトで閲覧可能である。
作戦要務令を読んでいて、今も〇〇隊で使われている教範が日本軍文書のコピペ、切り貼り、改変であることに気がついた。
細かく比較していきたいが現行教範の開示区分が不明なので公開は難しいだろう。
◆軍法について
日本の軍法に関する研究・研究者について調べたが非常に少ない気がするがどうだろうか。
日本軍の軍事司法を取り扱った本も、Amazonで数冊である。
もし詳しい方がいればぜひ教えていただきたいです。