◆チャタヌーガのロック・シティ
道路を走っていたらとなりを馬の輸送車が走っていた。
1日8~10時間運転すると足が蒸れるので、本土では靴を脱いで運転した。
チャタヌーガは南北戦争における戦場であり、非常に険しい岩山を舞台にグラント率いる北軍とブラッグの南軍が戦った。
現在は、国立公園となっている戦場跡のほか、天然の岩を利用した庭園も営業されている。
ロックシティでは絶壁からチャタヌーガや周辺の州を展望することもでき、非常に見晴らしがよい。
天然洞窟の内部を改造し、民話や童話に基づいた小人ジオラマを展示している。こちらも創業者の手作りらしく、どれも凝っていて面白かった。
◆チャタヌーガ国立公園
ロック・シティから車で5分ほど移動すると、チャタヌーガ国立軍事公園にたどり着く。
南北戦争の主要な戦場は連邦政府によって管理されており、ビジターセンターではパーク・レンジャーが働いている。
パーク・レンジャーは連邦政府職員であり、合衆国内の国立公園で勤務している。歴史や生態系等、様々な知識・技術を持っており、わたしは非常に魅力的な職業だと感じた。
ルックアウト(山の頂上)にたどりついたときはひどい雨で、観光客が1人もいなかった。
ビジターセンターにはジオラマを利用した小さな上映施設があり、戦闘の経緯を立体図によって把握することができる。
ルックアウト・マウンテンにはトラムがあり、麓と頂上を往復している。
わたしはいったん麓に下りて散歩した。のどかな町で、アイスクリーム屋やスパゲッティ屋が並んでいた。
◆昼ご飯
チャタヌーガを出発して、ヴァージニア州に向かった。
途中でフライドチキンを食べた。クラッカー・バレルCracker Barrelは南部のハイウェイを走っていると1時間に1回は見かけるチェーン店である。値段はハワイより安く、わたしのセンスでは質量ともに満足のいくものだった。
南部を旅行する間、毎日の食事がチキンかハンバーガーかステーキその他の肉に偏ってしまった。このため、旅行の後半はアジア料理店の利用比率が異様に高くなった。
◆モンティチェロ、トマス・ジェファソンの邸宅
シャーロッツビルのモーテルに泊まり、翌日、合衆国第3代大統領トマス・ジェファソンの邸宅モンティチェロを観光した。
邸宅とプランテーションが合わさった施設で、世界遺産に指定されている。
トマス・ジェファソンは邸宅の設計にかなり関わった。屋敷の内部をツアーで案内してもらったが、細かい仕掛けや間取りまで、ジェファソンがこだわっていることがわかった。
おもしろかったのは、ヨーロッパ風の食卓にあるような長テーブルが「非民主的」(un-democratic)であるとしてジェファソンに排除されたことである。その代わり、食堂にはカフェのような丸テーブルが複数配置されていた。
トマス・ジェファソンは独立宣言の主要な考案者であり、またアメリカの民主主義制度確立にも貢献した人物である。合衆国歴代大統領ランキングでは常に上位に位置している。
※ ランキング上位はリンカーン、フランクリン・D・ルーズヴェルト、ワシントン、ジェファソン、セオドア・ルーズヴェルト、次いでウィルソン、トゥルーマン、アイゼンハワーなど。
一方で、奴隷制には反対しながら終生奴隷所有者であり、また奴隷の1人サリー・ヘミングスと愛人関係にあり、6人の私生児(うち4人が成人)が存在した。
18世紀末には、ジェファソン邸宅を訪れたジャーナリストが、浅黒い混血の子供たちの存在に気付いており、ゴシップとして政敵からの攻撃にも用いられた。
モンティチェロのガイドはこの事実にも触れて、「不都合ではあるがこのような事実は厳然として存在する」と説明していた。
屋敷の一角、ワイン貯蔵室付近を改造して、サリー・ヘミングスの特設展示が行われていた。
黒人奴隷サリー・ヘミングスは、外見は白人と変わらなかったらしいが、当該女性とジェファソンとの関係が通常のものだったのか、主人/奴隷的な、圧政的なものだったのかははっきりしていない。
わたしたちを担当したガイドは、ジェファソンという人物は常に「民主主義と僭主政治の間(Democracy and Tyranny)」をさまよっているとコメントした。
◆権力と栄光
素人なりにいろいろと各国の歴史を調べてみて、大体どの国も後ろ暗い歴史を持っていると思うようになった。
アメリカ合衆国は自由と民主主義の国を確立したが、その陰には先住民に対するジェノサイドや奴隷制、多くの征服戦争が存在する。
当無職ブログでは合衆国、ロシア、日本がやり玉にあがるが、わたしはそれ以外の国を理想化しているわけではない。
人間は集団で生活する動物であり、そこには必ず権力が生じる。権力は非常に強いものであり、歴史上無数に発生したような、個々の人間に対する迫害を生む源であると考える。
国、宗教、部族、軍隊、学校その他あらゆる組織は強制力を持つようになる。
無秩序や無法世界から脱するためには、一定の権力=強制力が不可欠であるのは否定できない。しかし、力を行使するにはよくよく用心深くなければならない。また、主権が国民にあるのであれば、権力の行使に対しては常に監督が必要である。
わたしのような無職戦闘員にも、些末ではあるが権力を持っていた時代がある。
わたしが棒を振り回す兵隊だったとき、居室には数人の後輩がいたが、かれらに対する権力は絶対だった。わたしがあくまで個人の感想として「このテレビ番組はつまらん」といえば、かれらは以降当該番組を部屋で見ることができなくなった。
何の気なしに発言したことがかれらの行動を大きく制約していると気がついた。
わたしたちの仕事は24時間シフト制でラジオを聴き続けるようなものだったが、となりのクルーでは、クルー長が非常に意識の高い人物だった。
クルー長は、「軍人は365日、24時間臨戦態勢だ」と主張し、自分の部下数名に対しては絶対に有給休暇をとらせなかった。
別の職場では、メタボオッサン軍曹の方針により、その下で働く十数人の部下は勤務中、椅子に座ることが許されなかった。部下たちは、ヤクザ映画の事務所のように、常に立っていた。
当のオッサンは、すべての作業を若者にやらせて自分は一日中、オセロをやっていた。
こうした光景は、国家や軍、警察が行使する権力にくらべれば、ノミかアリみたいなものでしかない。しかし、しょうもない輩の下で労働させられた人びとにとっては、バカな上官が人生の大部分だったに違いない。かれらの労働生活は糞だっただろう。
短い労働経験を通じて、わたしは次のような教訓を学んだ。
・自分に与えられた権力は自分自身の力ではない。みな、役職や階級に従っているだけである。
・すべての発言、行動は、下の者に対し大きな影響を与える。下の人を不快にさせ傷つける言動の大半は、権力者の無神経やうかつさに由来する。
・権力を持っているのにそれを行使しないことは黙認することと一緒である。文句を言う権限があるのにただ黙っているのは、上の者に追従しているのと変わらない。
・上官に文句があっても、それを下の者といっしょにぼやくだけでは、ただ自分が部下の機嫌を取りたいだけ、自分は火の粉をかぶりたくないだけとみなされる。
・完全に邪悪な人間はごく一部である。しかし大半の人は、他人への思いやりよりも保身を優先する。
わたしの考えでは、無数のおかしな権力行使が山のように積み上げられて、最終的に、居心地の悪い社会、不正な国が建設されるのではないかと思う。