3
ヴェルサイユ条約における最大の不備が賠償金であることを説明する。
・賠償金は戦後数年たっても確定しなかった。研究の結果、ドイツは賠償金の支払いを怠慢していたことが判明している。
・ドイツのインフレと困窮は戦費が主因だが、ドイツ国民の大半は賠償金が原因であると憤った。
・賠償金も武装解除も、ドイツの自発的協力なしには達成できなかった。フランスによるルール占領は、逆にフランス経済を混乱に陥れた。
・英米は国際貿易安定化の観点から、ドイツに対して宥和政策を進めた。1922年のロカルノ条約は、フランスもまた対独宥和に方針転換したことを示す。
一方、ドイツの東方領土問題は確定せず、ドイツに強い不満を残した。
・連合国の不和……ソ連はドイツとの密約により封じこめ政策を無力化した。イタリアは国際連盟に加入していながら、ムッソリーニが独裁体制を敷いており、「欧州の民主主義諸国」という大義名分を形骸化していた。
4
ヒトラーが1933年に首相に任命されたことで、ヴェルサイユ体制は終焉に向かった。ヒトラーは国内政治のほぼすべてを変えたが、外交については従来の路線をたどった。すなわち……
・東方拡大
・再軍備
ヒトラーを含む政治家、ドイツ国民の大半は、自分たちの国力を不当に制限するヴェルサイユ条約の破棄を望んでいた。
条約にうたわれている軍備縮小を英仏等が実行していなかったことも、ドイツ国民の不満の種だった。
ドイツは1933年に国際連盟を脱退し、1935年、ヴェルサイユ条約破棄を通告し再軍備を開始した(ドイツ再軍備宣言)。しかし英仏は具体的な行動をとらず、英国は単独で英独海軍協定を結んだ。
5
オーストリア・ナチスは独自に活動しドイツとの連携を志した。
国際連盟の無力化は、エチオピア(アビシニア)戦争で露呈した。
ムッソリーニはエチオピアの再征服を公言したが、英仏は対独連携のためにこれを黙認した。英国世論はこの宥和に反発した。イタリアは国際連盟を脱退し、ドイツとの連携に傾いた。これは国際連盟による秩序構築システムが崩壊したことを意味する。
国際機関による関係構築が終わり、再び勢力均衡が始まった。
軍事力について……相手と対等な軍事力は、敗北を防ぐには十分だが、自分の要求を通すには不十分である。英仏がドイツに対して強硬手段に出られないのには、軍事力の問題があった。
非民主主義国家であれば、秘密警察を用いて他国を操作できるだろう。しかし、連合国はドイツに対してそういった手段をとることができなかった。
6
英仏の不作為はドイツやイタリアを増長させていった。イタリアとドイツが日独伊防共協定を結んだが、イギリスやフランスの支配層は、共産主義や自国の左翼内閣(レオン・ブルーム)よりはヒトラーのほうがましと考えていた。
スペイン内戦の決定的な要因は、英仏が不介入方針を定めたことにある。かれらは独伊との対立を避けるため、共和国側に加担することを避けた。
欧州は、自分たちで危機を脱することができなくなっていた。
ドイツとソ連という危機に対して、アメリカを引き入れなければ解決できなかった。
[つづく]
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