うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『スペイン史』ピエール・ヴィラール

 この文庫はたまにものすごく読みにくい翻訳が混ざっている。本書にも日本語として不自然な個所が散見される。

 

 スペインは地中海と大西洋とピレネー山脈で隔絶されている。また中央には台地(メセタ)があり、フランスのような河川による連絡がない。豊穣な海岸部と中部はつねに切断されてきた。オルテガは「無脊椎」のスペインと名づけた。

 スペインは地方によって分かれていて、またグラナダコルドバは、かつてイスラム教徒の地だったが、レコンキスタの過程でイスラムは追い出され、またカスティーリャのイサベルによる統一が進んだ。ポルトガルは独自に発展し帝国を築いた。

 大貴族が立つことで他の田舎貴族や聖職者はそれほど優雅な暮らしを営むことができなかった。彼らは郷士「イダルゴ」と呼ばれ、彼らこそが新大陸になだれこむ人間である。後のスペインの世界進出はカスティーリャ、台地(メセタ)の気風によってなされることになる。

 ――その後スペインの歴史を導いていったのは、牧人的、好戦的な半島中央部の精神、レコンキスタ時代の精神であった……商業的、経済的な野心ではなく、依然として、中世の長期にわたる戦いの遺産と、領土と宗教の拡大発展を志向する概念であった。

 これらの精神は「資本主義の萌芽にみられる事象に極度に逆行していた」。

 新大陸を征服する一方、スペイン本土の地域分立は消えなかった。十五世紀から十六世紀にかけてユダヤ人とモーロ人の追放、異端審問がおこなわれ、半島はカトリックによって統一された。しかし、これは当時の宗教改革吹き荒れるヨーロッパに逆行するものだった。カトリックは生産活動を軽蔑したから、経済活動衰退の一因となった。

 カルロス五世、フェリペ二世の代で絶対主義が確立した。ところがそれは同時に財政破綻のときでもあった。ネーデルラントは分離独立してしまった。またアルマダの敗北によってイギリスが勃興し、やがてポルトガル植民地が奪われることになった。

 いまだに「黄金世紀」とよばれるのは十九世紀末の知識人にとってそれが唯一の偉大な過去だったからだ。黄金世紀の後には無能な王がつづき、人口は減少し、産業と貿易は衰退した。

 ナポレオンの侵攻によりスペインは一時団結し独立戦争を開始するが、戦闘的ゲリラとカディス議会は乖離していた。結局ジョゼフ・ボナパルトを追放しフェルナンドが戻ってくると、議会は撤廃され、親フランス派と愛国的自由主義者は弾圧された。

 ――「暗黒のスペイン」を構成する大衆は少数派の啓蒙主義者たちに勝利を収めた。

 スペインは資本主義と自由主義からまた遠ざかり、時代遅れのままだった。十九世紀を通じて、保守主義者と自由主義者との政権のたらい回し、喜劇的な汚職、陰謀がつづく。ついには一八九八年の米西戦争によってスペインはすべての海外領土を失う。

 ――専制的な体制はスペイン人が生まれながらに持っているものであるが、スペイン人は、上からは「軍事蜂起」によって、下からは無政府状態によって、この専制的な体制を抑制している……スペインが今日でも、どうして軍隊や街頭における革命騒ぎほど、王や議会のことを考えないのか、ということを、この点はよく説明している。

 軍隊は兵士より将校のほうが多く、特殊部隊が通常軍隊を上回っていた。しばしば軍隊は国内の抗争のために使われ、政治的勢力のひとつとなった。クーデターはいつも港か遠隔地ではじまった。

 カルリスタ戦争は国民暴動の範疇に含められる。北カタルーニャバスク、ナヴァラのカルリスタ根拠地。この戦争はスペイン内戦の前兆ともいえる。

 「すなわち、村落の蜂起、消すことのできない党派間の憎しみ、軍人と聖職者がこの戦争に果たした役割など、共通点がいろいろとみられた」。

 一方アンダルシアでは古くから貧困と土地の渇望が騒乱をおこしてきた。「土地の分配、森林の違法な伐採、農園への放火、地方ボス(カシケ)か警官の虐殺」など。

 

 スペインは土地と農業に問題があった。

 「右翼陣営はカルリスモを、左翼陣営は連邦主義を標榜するという遠心的傾向がみられた」。

 カスティーリャは政治を牛耳り、カタルーニャは経済面でなりあがった。

 労働者階級の数は多くなかったが、二十世紀にはアナーキズムサンディカリズムマルクス主義が台頭する。レーニンはスペインを第二の革命の国とみなした。バクーニン第一インターナショナル(一八六八年)の中心はカタルーニャとアンダルシアだった。

 内戦前後の展開は複雑でとても覚えられない。アナーキスト共産党、サンディカリストなど左派はお互いに分裂してしまう。キローガ首相の共和政府が成立すると同時に、モロッコ(スペインの下)からフランコ将軍らが軍事蜂起を開始する。フランコ率いる反乱軍は各地で軍隊を掌握したがときには抵抗を受けることもあった。反乱軍はファシストイタリアとドイツの空軍援助を受け、また国内では保守的な国民や教会の支持を得ていた。一方共和国軍は英仏から不干渉の宣告をつきつけられついに敗北する。

 ファシストフランコは圧制を敷いたが大戦中は非交戦国となった。その後は生き残ったファシズム国家、反共国家としてアメリカの傘下に入れられる。経済は復興するが、カタルーニャバスクの独立運動で内政は不安定だった。

 全体主義は一体性をその最大の特徴とするが彼らがつねに闘ってきたのは地方分立主義である。とくにバスクにはETAというテロ組織が棲息していて、カレーロ・ブランコ提督が自動車爆弾で暗殺されている。

 フランコの手下がファランヘ党、ほかにオプス・デイという各界に影響を与えるカトリック団体もフランコ政権の中核をなしていた。

 ポルトガルでも革命がおきている。フランコはフアン・カルロス王子を後継者に指名したが、彼の健康が悪化したときには後継者騒ぎがおきた。ファシスト政権時代にスペインは国連加盟を果たす。

 「血の純血」という悪習。

スペイン史 (文庫クセジュ)

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