うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『追悼の政治』エルンスト・ユンガー その2

 「平和」

 第一部 種子

 第二次世界大戦が終戦をむかえたときに書かれた。

 平和をもたらす福音は、「戦争が万人に果実をもたらさなければならない、ということである」。尊い犠牲はすでに無数の者によってはらわれた。

 「灼熱する縫い目によって初めて地球を一つに縫合した赤く燃える前線の背後には、労働の軍隊の陰鬱で暗い深淵が広がった」。

 学ぶべきことは、彼ら労働の戦死者のなかには、純粋な献身、犠牲への感覚が生きていたということである。

 今回の戦争は「世界内戦」だった。なぜ第一次大戦よりも恐ろしい戦いだったのか、「甚だしい冷酷さは、もっぱら祖国の国境を守る者ではなく、理念と純粋な教義のための戦いを信じる者の特徴だからである」。戦場で死んだ者のなかには祖国よりももっと大きな目的を感じ取ったものがいたかもしれない。彼らが世界に蒔かれた貴重な種である。

 ――前世紀の諸々の大理論は、実践へと転ずることによって、戦争と内戦の温室の中に実を結んだ……恐怖をもたらした戦争は、その陰惨な結果において何ら内戦に劣ることなく、また階級や党派や外国軍隊の支配において、異なるのはただ顔の向きだけで、顔つきは常に同じ暴政のそれであった……あらゆる秩序、人間精神が発明したあらゆる事物がことごとく抑圧の道具と化したように思われた。

 被抑圧者は沈黙させられ、叫び声の漏れない地下室でこっそりと殺される。アウシュビッツとおぼしきものへの言及がある。ホロコースト加担者とは「別種の妖怪がこのような死肉の置かれた餌場にやって来てわざとらしく憤激する事例をも経験した。彼らは、埋められた遺骸を掘り出し、自分たちの目的に役立てるべく、腐敗した遺体を展示して、計測したり、その数を数えたり、描写したりした」。これは報復の権利を引き出すためで、敵と同じように狂宴(orgy)を楽しんだ。

 新たなる秩序のためには、「情熱と苦痛と炎との共演が必要であった」、第二次世界大戦においては、その作業の統一性は覆い隠されていた。

 

 第二部 果実

 力によってすべてが地ならしされることが必要であった。

 「武力は決断のための場、精神的な構想のための場を創り出さねばならない……すべての当事者もまたすでに十分理解しているように、目標への道程においてはいかなる協調も存在しない。平和は決して協調の平和ではありえない」。

 しかし、戦争の力と法則がその平和になだれこんではならない。第一次大戦で君主政が民主政に倒されたように、今大戦では国民国家が帝国によってつぶされるだろう。他国から奪うことなしに祖国が強大となるには、それが連合・連邦・帝国となることが必要である。

 大きな帝国が建設されなければならない。ふるい国家の形式では、「人間と機械が完全に就業するのは、絶滅が行われるところだけである」。国境が資金や情報の流れをはばむ。

 ――久しく人間精神は、変化が必要であることを察してきた……しかしながら……人間性を教化するものは、とりわけ経験なのである。

 ヨーロッパは二度の世界大戦をひきおこした。いまこそ、領土、権利、新秩序の調和した、帝国がつくられねばならない。キリスト教会の復権は不可欠である、なぜなら人びとは常に何かを「信じようとしている」からだ。ニヒリズム、機械技術との戦い。

 「一人一人がとくに理解しなければならないことは、平和が疲労から生じることはありえないということ、これである。恐れもまた戦争とその継続とに寄与してしまう」。

 戦争を望まないということだけでは十分ではない、そうでなければ二度の大戦が立て続けにおこることはなかっただろう。平和とは精神の仕事である。

 

 解説

 「追悼論はすぐれて国体論の切実な表明としての意義を持ちうる」。

 彼の政治思想ははじめナショナリスト的だったがやがて汎ヨーロッパ・無政治的なものへと変化していった。彼のナショナリズムは秘儀的であったため、大衆的、世俗的なナチスとはやがて決別することになる。また、この個人的傾向が作家としての強みになる。

追悼の政治―忘れえぬ人々/総動員/平和

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