うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Thucydides』Perez Zagorin

 トゥキディデス入門書。

 トゥキディデスはいまでも大きな影響力をもつが、それは彼の著作がもつ特異な歴史哲学によるところが大きい。また、彼の記したペロポネソス戦争は、最盛期のアテネと、スパルタのたたかいの記述で、ここに書かれている国家関係や人間の本質は、現代世界を分析するうえでも役に立つ。

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 古今の歴史家のなかでトゥキディデスほど事実に執着したものはいない。彼は常に、見聞きしたものを基盤に執筆した。演説および会話は、彼が聴いたものを極力正確に再現したものと考えられている。

 また出来事や行動はほぼ正確な時系列にそって書かれている。

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 トゥキディデスは原因をどう捉えたのだろうか。トゥキディデスこそ事件(本書ではペロポネソス戦争)の表面的理由と深層的理由を発見した最初の歴史家である、と主張するものもいれば、彼はそもそも原因というものを把握していなかった、と考えるものもいる。

 ペロポネソス戦争については、彼はその原因をアテネの力の増大と、それにたいしてスパルタや同盟諸国が抱いた恐怖に帰している。クセルクセスのペルシアに対向するために、アテネを中心に海軍都市がデロス同盟を結んだ。ペルシアの侵攻が終わると、同盟のなかでもアテネが支配的な力をもちはじめ、やがてほかの都市を従属させていった。これにはじめに危機を感じたのがコリントスである。コリントスはスパルタを盟主とするペロポネソス同盟に所属しており、このアテネの拡大にたいする恐怖がやがてアテネ対スパルタの戦争を巻き起こしたのだ、というのがトゥキディデスの説である。

 トゥキディデスのこの原因説にも、誤った箇所が見られる。まず、アテネとペルシアの関係がほとんど無視されている点である。

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 トゥキディデスは将軍や政治家を描くにあたり、外見や来歴をほとんど記していない。彼らはペロポネソス戦争における発言と行動を通して造形される。なかでもアテネペリクレスは、もっとも優れた人物の一人という扱いを受けている。

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 アテネとスパルタを巻き込む大戦争に発展する前に、まずいくつかの事件がおこった。

 ミティレネはアテネの支配に対し反乱をおこしたが、鎮圧された。この際、反徒をどう処罰するかについてアテネ内で議論が交わされた。冷酷をもってなるクレオンはミティレネの全男子の処刑と女子供の奴隷化を主張する。一方、ディオドトゥスは、(法執行の)正義よりはアテネ国益を重視すべきと述べ、寛大な処罰を提唱した。

 彼の説明は以下のようなものだ、もしミティレネの全男子に死罪を言い渡せば、次に別の都市で反乱がおこった場合、どうせ死刑になるのだから反徒は最後まで抵抗するだろう。もし程度によって罰を軽減するなら、反徒も追い詰められたネズミのような行動はしないだろう。決死の篭城を打ち破ったとしても、残るのは廃墟である。よって、反乱首謀者に対する正義に基づいた判決よりは、利益に基づいた政治的な対処を望むべきである。

 我々にはディオドトゥスの意見が合理的で洗練されているようにおもえるが、結局アテネは厳罰を選んだ。

 スパルタの同盟国テーベはプラタイアイに侵攻し、プラタイアイは陥落する。判事を前にして、プラタイアイの代表者は必死に助命嘆願をするが、死刑を言い渡される。彼らの弁明は論理が破綻しているが、トゥキディデスは効果を狙ったのだろう。

 ここで明らかになるのは、力の前の正義や公正さの無力である。またアテネに比べて、スパルタが敵対勢力にたいしより苛烈であることがわかる。

 コルキラはアテネの同盟都市であり、コリントスはスパルタの同盟都市である。古代ギリシアではたびたび革命がおこっているが、どれも民主制に対する寡頭制の反乱か、寡頭制に対する民主制の反乱かに分けられる。また、革命は富者と貧者のたたかいでもあった。

 コルキラの民主制は暴力性を帯びはじめ、敵対勢力を次々と虐殺していく。この中には単に気に食わないとか、金を借りていたなどという理由も含まれていた。これに対し反乱がおこり、父が息子を殺すなどの凄惨な殺戮がはじまる。

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 ペロポネソス戦争分水嶺はシシリア遠征である。ペリクレスの死後、アルキビアデスとニキアスという二人の傑出した将軍がアテネを導くことになったが、彼らの統制のもとにシシリアのシラクサ征服が決行される。ところがアルキビアデスは謗りを受けてスパルタに亡命し、ニキアスは判断を誤りアテネ軍は敗退する。当然勝つだろうとおもっていたアテネ市民は、遠征失敗の報を受けて我を失う。シラクサアテネと政体・人口ともに似ており、アテネに対してもっとも賢明に戦った都市だったとトゥキディデスは評した。

 アルキビアデスは権力と栄光にとりつかれた人物で、スパルタの王の妻を寝取って追い出された後、さらにペルシアに亡命し、地方総督のブレインとなる。彼は、アテネとスパルタ双方を争わせ、疲弊したところで漁夫の利を得よとアドバイスする。アルキビアデスこそは屈指の背教者、裏切り者、変節者(renegade)である。

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 戦争末期の出来事は主に三つある。すなわち、アテネ帝国各地での反乱、ペルシアの参戦、そしてアテネの分解である。シシリア遠征失敗を契機として各従属都市が反乱をおこすが、スパルタの援護などで鎮圧は思うようにいかなかった。また、ペルシアが長く結んでいたアテネとの平和協定を破棄し、スパルタ側として参戦することになった。これはアテネがペルシアの植民地政策を妨害していたためとされる。さらにアテネ内部で民主政の基盤が揺らぐ事態が発生する。前述のアルキビアデスの画策で、ペルシアの使者とアテネ内部の貴族・寡頭制支持者たちが秘密裏に連絡をとり、民主政を覆そうとする。

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 歴史的事実を確定することの難しさをトゥキディデスはわれわれに教えてくれる。彼は徹底したリアリズムと自然主義(naturalism)――哲学の用法で、自然法則以外の迷信や超自然的要因を認めない考え方――の持ち主だった。

 

Thucydides: An Introduction for the Common Reader

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