うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『東方正教会』オリヴィエ・クレマン

 ローマ・カトリックプロテスタントに並ぶ主要な教会である正教会の概説。冒頭から神学の細かい相違や学説の発展などが執拗に書かれるのでどうしようかともおもったが、正教会という組織の歴史として読めばおもしろい。

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 簡単な歴史……正教会キリスト教設立当初の特性をいまでも残している。神学の細かいことはよくわからんが他宗派よりも神秘主義的であるという。

 十世紀になるとローマとの対立は鮮明になる。同時にコンスタンティノポリスが布教伝道をおこなったため正教はキエフブルガリアセルビアルーマニアなどに広がった。コンスタンティノポリスオスマン帝国に征服されてから正教の中心となったのはモスクワだった。モスクワはまた布教を進めフィンランドカフカス地方に信仰を広めた。

 各国はやがて力をもつようになるとそれぞれセルビア正教ブルガリア正教と首教座に対し独立するようになる。ナショナリズムや、自国をキリスト教的な理想の王国とみなす思考と結びつく正教の悪癖(著者の見解)はこの過程で生まれた。

 東ローマ時代、世俗権力が教皇を従属せしめたのはイコノクラスム(偶像破壊)の時期に限られる。ピョートル大帝は教権を皇帝に従属させようとしたが後世ふたたび教会は独立した。

 十九世紀には正教を基盤にした神秘哲学がおこり、ベルジャーエフ、ソロヴィヨフなどの個性的な思想家を輩出した。

 ロシア革命によって正教会はかつてない迫害をこうむり、多数の聖職者や僧が殺害され、チホンは政府の監視下におかれた。しかしスターリンの時代に正教はその存在を認められる。チホンののち主教は相次いで迫害され、主教の代理代行としてセールギーがついた。ソヴィエトによって首筋に刃物をつきつけられた状態にかかわらず彼は政府との交渉に邁進し、国家への服従を信徒に命じながらもいずれはソヴィエトをキリスト教化することを目指していた。もっともセールギーに反対して国教分離を唱えた信徒は処刑された。

 第二次世界大戦で正教は献身し、スターリンはこれを認めざるを得なくなり、国家と教会の関係は正常化した。以降、容認と迫害の波をこうむりながらも、ソ連のなかで正教は生きつづけている。「ロシアのキリスト教信仰のねばり強さはとても一般には信じられぬほどである」。

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 神はキリストを通して教えを説いたが、われわれの知性はそれを理解するには堕落しすぎ、また論証(ロギスモイ)に頼りすぎていた。神学とは元来聖書を意味するものであり、三位一体の神秘性を理解することこそ、聖書の超越性を理解することだった。三位一体が正教会の神学において占める位置は大きい。教理と典礼は不可分であり、また神はセム教的な見えない絶対者だが、同時にあらわれる神でもある。この矛盾を乗り越えるには知性を犠牲にしなければならない。

 教会とはキリストの「からだ」のことであり、聖霊にみたされ、人と宇宙が進化する場所である。主教は使徒職を継承したものである。各地の司祭は完全に主教の管轄下にある。

 正教会の中心がどこかという問題にはモスクワとコンスタンティノポリスのあいだにくいちがいがある。コンスタンティノポリスは中心が必要と主張するが、モスクワは「各独立教会の独立と平等を強調」する。

 正教会においては、典礼は「教会をとおして信仰を体験することである」。典礼の《奥義》は神秘主義の基盤をなしている。ひとつの目的に仕えるために、楽器の使用は禁止されているという。

 イコンは典礼に不可欠のものである。教会がイコンの意味をはっきりと定義したのはイコノクラスムに直面したときである。

 ――旧約聖書では、神は「ことば」をとおしてあらわれたため、神を描きだすことは冒涜であった。しかし……キリストは「神のことば」であるだけでなく、神の「像」でもある。イコンの基盤は「受肉」にあり、イコンは「受肉」を証明するものである。……イコンとはキリストの顔そのものである。

 正教会の基盤は「唯一つの精神、修道士の求道的な精神」であり、洗礼をうけるとは修道生活に入ることの象徴である。

 正教会における聖人の基準を大まかに述べると、使徒的なもの、苦しみのうちに栄光をうけたもの、キリストのために分別を失ったもの、である。

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 著者は正教会の人間らしく、現代および未来にあっては正教会が救いとなるだろうと説く。曰く、静寂主義は非キリスト教的東洋の精神とユダヤ的西欧的精神を総合しており、「精神工学と没人格的な気分が蔓延している今日」に支えとなるのは正教会だけだろう。精神工学とはなんとなくわからないでもないが、没人格的な気分とはいったいなんだろうか。

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 役職名は名前のつぎに重要であり、これは現代に限ったことではなくたとえば日本史上でも肩書きが名前のように扱われることがよくある。主教職には世界の(エキュメニカル)総主教、総主教、府主教、大主教、主教があり、司祭職には掌院、典院、修道司祭、首司祭、長司祭、司祭があり、輔祭職には首輔祭、長輔祭、修道輔祭輔祭、副輔祭がある。

 なぜ役職による分類に魅力を感じるのだろうか。役職は組織があることを意味する。また、彼が組織のなかに属していることを示す。

 

東方正教会 (文庫クセジュ)

東方正教会 (文庫クセジュ)