◆所感と個人的な話
グアテマラ内戦の実態や、被害について詳しく書かれた本。
軍事独裁を行ったリオス・モントは、2013年に国内裁判所で有罪判決を受けた後、2018年に死亡した。
◆グアテマラのフィクション
グアテマラの現代文学は日本語にも翻訳されている。特に、ロドリゴ・レイローサの本は内戦や軍事政権における暴力を題材としたもので、非常に面白かった。
The Pelcari Project/Carcel De Arboles
- 作者:Rey Rosa, Rodrigo,Rosa, Rodrigo Rey,Bowles, Paul
- 発売日: 1997/02/25
- メディア: ペーパーバック
◆メモ
はじめに
36年間続いた内戦によって死者・行方不明者は20万人以上発生しその9割が非戦闘員である。
犠牲者の8割強がキチェ県の間や民族であることからジェノサイドとしても指摘される。
1982年クーデタにより権力を奪取したリオス・モント将軍は、その年に7万5千人を殺害している。
20世紀末でも人口の半数が電気のない環境で暮らしているが、国軍情報部は1960年代から米国・イスラエルの支援を受け、最新コンピュータにより国民の個人情報ファイルを収集し殺戮戦略を練っていた。
96年の和平協定後、国連組織を中心に政府の是正や真相究明が進められてきた。
ヘラルディ司教は当時キチェ県の司教を務め、軍政に好意的なグアテマラ教会に反対し批判を続けたが、1998年に何者かによって暗殺された。
司教は歴史的記憶の回復プロジェクト(REMHI、レミー)の代表だった。レミーは国内から「アニマドーレス」と呼ばれる調査員を集めて育成し、迫害の事実に関する聞き取り、秘密墓地の調査等を行った。
1961年に始まった内戦は、米国の支援を受けた政府軍と、ソ連の影響を受けた左翼ゲリラとの戦いだった。
しかし70年代末から1985年にかけては、マヤ民族に対する全体主義的虐殺が行われた。マヤ民族の男性は自警団(PAC)に編入され、軍務委員の支配のもと虐殺を実行した。また虐殺戦略には大学卒業者や銀行出身者などが関与した。
マヤ民族虐殺が起きた理由は以下のとおりである。
グアテマラは大地主によるプランテーション経営を基礎としており、住民の三分の二を先住民が占めていた。こうした先住民が共産ゲリラと結託することは阻止されなければならなかった。
共産主義ゲリラ、「解放の神学」を説く聖職者、先住民の協力に対し、軍部は70年代後半から、社会的指導者の殺害を開始し、続いて共同体自体の破壊に着手した。
82年以降、リオス・モントはゲリラに与した先住民を殺害する一方、かれらを集めて収容所に等しい「モデル村」に住まわせた。体制批判を強めるカトリックに対抗し、プロテスタントを統治の道具として普及させた。
ゲリラは住民を見捨てて逃亡したため、住民からの支持を失った。
しかし、それまで言語別に孤立した社会を築いていた先住民族たちは、モデル村の強制収容や軍による迫害という共通経験を通じて、先住民族としての意識を確立し、権利運動を進めた。
停戦後も、真実と和解を求める作業はなかなか進んでいない状況である。
キチェ司教の掲げる重要項目。
・遺体発掘
・メンタル・ケア
・和解
・社会の網の目の再建
・正義の達成
***
第1部 証言―破壊
1
左翼ゲリラはグアテマラ軍内のアルベンス派(合衆国のクーデタ工作で追放された)が結集し戦力を整備したものである。
1部
1
証言を引用しながら、軍による犯罪行為の詳細を説明する。
軍は左翼ゲリラを掃討するだけでなく、ゲリラに友好的とみなされたマヤ先住民族を根絶するために、計画的に虐殺を行った。
拷問や処刑が行われ、またみせしめのために屍体をさらすこともあった。PAC(自警団)を組織させ、仲間内、身内での処刑やリンチを強制することにより、かれらに罪悪感や自責の念を植え付けた。現在でも、加害者が村の実力者であることがあり、被害を訴えることが困難である。
テロの時代を生きた人びと、親しい人間を殺された者の多くは、無力感や恐怖にさいなまれ、健康障害などの後遺症を持っている。
マヤ文化では死者の弔いを重視するが、軍はかれらが死者を埋葬したり、弔問したりするのを禁止した。多くの住民が強制的に拉致され、行方不明となった。こうした強制失踪被害者の多くは秘密墓地(駐屯地などにあった)に捨てられた。
ゲリラが敵対する住民を処刑することもあった。
――ゲリラの中では軍事優先主義が力を持ち、また厳格な組織論理もあいまって、人びとの苦悩や生活は軽視され、軍事の目的こそ第一と考えられた。
ゲリラへの合流を拒んだために処刑されたケースがある。
2
将来の報復や訴えをなくすために子供も殺害対象となった。
――一般住民の居住する村の多くはゲリラの一部とみなされ、子供を含む村全体を物理的に抹消することが、この時期計画的に展開された戦略であった。
女性や子供に対する強姦、加害者による誘拐、生きたまま胎児を引きずり出すなどの行為があった。
3
共同体の破壊……軍による略奪が日常化した。共同体機構を破壊し、軍による統治を進めるため、村の指導者である司祭、教師、書記が、殺害対象となった。
PAC団員の支配する村やモデル村では、暴力が統治の道具となった。
4
軍は、犠牲者に暴力の責任を帰す新興宗派エバンヘリコの普及を奨励した。カトリック教会は壊され、時には拷問本部として使用された。軍は司教などの聖職者を直接の殺害標的とした。
2部
1
人権侵害を担った情報組織について。軍部の統制下に、国軍情報局(統合参謀本部第二局)、通称「アルチーボ」で知られる大統領参謀本部情報部、移動軍事警察(PMA)、国家警察調査局が存在し、その組織に従い軍務委員やPACが活動した。
国軍情報局は政府、軍のなかでも特権的な立場にあり通常部隊とは別の指揮系統で動くことができた。
情報局とは別個に活動する組織として大統領参謀本部があり、合衆国の援助を受けて、盗聴や準軍事組織の活用、「死の部隊」運用に関与した。
犯罪調査局は、市民の安全保障ではなく政治的迫害を主任務とした。
国家警察第四部は「社会浄化」すなわち犯罪容疑者やストリートチルドレンの殺害を担った。1980年には、国家警察の部隊がスペイン大使館襲撃事件を実行した。
移動軍事警察は農村・民間企業の監視、軍警業務を担うだけでなく、本部や地方支部を拷問センターとして活用した。
死の部隊:
最初の部隊「マノ・ブランカ」(白い手)は1966年設置され、軍と古都アンティグアに暮らす富裕階級から資金提供を受けていた。
他、グアテマラ反共審議会、反共新組織、反共秘密軍、準軍事組織制裁ジャガー団などがある。
情報機関によるネットワークは、合衆国の支援を受けて、盗聴、検閲、亡命者の殺害などを行った。
・防諜課の任務……反乱勢力メンバーの殺害、拷問による情報収集、超法規的処刑
反乱勢力URNG(グアテマラ民族革命連合)は4つの組織からなる……EGP(貧民ゲリラ軍)、ORPA(武装人民組織)、FAR(反乱武装勢力)、PGT(グアテマラ労働党)。
[つづく]